楽譜に息吹を与えるのは演奏者
ムソルグスキー「展覧会の絵」

1.楽譜に息吹を与えるのは演奏者
2.ムソルグスキー「展覧会の絵」


1.楽譜に息吹を与えるのは演奏者
残念なことですが私はスコアを見ただけで音楽を想像することはできません。
スコアの音を確かめるには演奏やCDなどで聞くしかありません。
でも妻は幼少からピアノを弾いていたので、楽譜を見るだけで音楽が頭に鳴るようです。不思議だけど音楽家はみんなそうなんでしょうかね。

作曲家や指揮者は当然そのような能力をもっている。みんなその設計図を読む力があるんです。これ、文字を読む能力と似ていますね。でも、文字と違うのは、そこに書かれているものを表現しなければならないという点です。つまり、記号(楽譜や台本)を人に伝えるという付加価値を与える必要があるんです。

楽譜も台本も紙に書かれている点では同じです。例えれば設計図のようなものではないでしょうか。ひとつの設計図から様々な個性のあるものができる。私はそう信じています(産業的にはそれでは困るのでしょうが)。

音楽も同じです。同じスコアでも演奏する人やグループによって様々な色合いが生まれます。解釈はもとより、演奏者、その完成、技術、音楽感覚、演奏時のコンディション、などなど様々な要因で音楽は変わります。

台本は紙に印刷されている言葉の羅列です。でもそれを再現する役者や、裏方の仕事によって、テレビや映画の映像の印象は全く違うものになります。

クラシック音楽はなぜ色々な演奏者によって演奏され、沢山CDやレコードが出ているのか。それは不思議なのですが、ここに書いたように、それぞれ全く違う音楽があるからです。同じ作品でも色々聞いてみると、面白い。
楽譜に息吹を与えるのはそれを表現する演奏者なのです。音楽の醍醐味はやはり色々な演奏者による演奏を聞くことにあるとすれば、音楽の最も贅沢な鑑賞方法は演奏会なのかも?
だってそこの、その空間でしか聞けない唯一の音楽ですから。ぜひ演奏会に行きたいものです。


2.ムソルグスキー「展覧会の絵」


「展覧会の絵」は中学校の音楽の授業で初めて聞きました。
トランペットで始まるプロムナードがとても印象的な曲です。あの頃は、展覧会で絵を見る光景を描いているのだと勝手に解釈していたのですが(実際これはムソルグスキーの親友の画家の遺作展を見た印象をまとめたものらしい)、これはムソルグスキーが想像した「音楽」による展覧会なのだと私が思えるようになったのはこの頃です。
元々はピアノ組曲だったのですが、発表当時全く相手にされなかったものを、ラヴェルがオーケストラ用に編曲してから注目された作品です。
プロムナードは、作品の合間合間に違う雰囲気で挿入され、これがそれぞれの曲を更に印象づける役割を果たしています。
私は今、ズービン・メータとニューヨーク・フィルハーモニックによるCDを聞いているのですが、実に優しい演奏だという印象を感じました。
だいぶ昔ですが、エマーソン、レイク&パーマーというバンドが、この作品をアルバムとして発表しました。エレクトリック楽器による、クラシック音楽の表現という当時としては実に珍しい試み。
クラシックを取り巻く言いようのない束縛を解き放つために、クラシックとロックの融合を目ざしたといいいます(「イン・ザ・ホット・シート」というアルバムの解説で伊藤政則氏が書いています)。
各曲共独特のアレンジが加わっている興味深い作品です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です