変奏曲に心奪われる

〜変奏曲に心奪われる〜
1. 音楽用語は『地上の星』
2. 変奏曲とはなんぞや
3. ベートーヴェン
   「プロメテウスの創造物」の主題による15の変奏曲とフーガ
   変ホ長調(エロイカ変奏曲) 作品35


1.音楽用語は『地上の星』

このメルマガを長くお読み頂いている皆さんは、私がいかにクラシック音楽の専門用語に拒絶感をもっているかご理解いただいているだろう。 何度もいうが、クラシック系の専門用語は、音楽そのものを楽しむ上で不要だ と私は考えている。専門用語はいらない。専門用語はその筋の人たち(怖いひ とたちではなく、音楽でメシを食べている方々という意味です、、)に必須な のはいうまでもないが、、。

関連性はないけれど別の例を少し述べよう。

私が携わっている印刷業界にも色々な用語がある。仕事をする上の必須知識で あるばかりでなく、これらの用語が仕事をスムーズに進めているともいえる。 しかし、こうした用語は、印刷物を手にする一般人には全く必要のない用語である。たとえば本を手にして、

「この本は160ページか。すると16ページ折10台分で印刷したんですね。あ、写真は随分綺麗ですがやはり150線ですか?コート紙ならそれだけの品質で刷れますよね。随分見やすい文字ですが、なるほど、14Qですね。え?写研の文字ですか。やはり違いますね、、、。」

なんて語る人は業界の人か、あるいはDTPエキスパート認証試験をめざして勉強中の人だろう。一般人が言ったら不気味である。

本を買う人は本を読むために買う。印刷業界の専門用語なんか必要ない。当たり前のことだ。印刷業界の人々は本を商品に相応しい形にするための仕事をしている。日夜印刷業界特有の用語を使って。その用語は一生陽の目をみることがない日陰の存在だ。それでいいのだ。

文章を書くプロにも用語は色々ある。プロたちはやはり日常こうした用語を使い仕事をしているはずだ。しかし、読者はこの用語を知らなくとも、読んで笑い、泣き、感銘し、怒ることができる。

音楽の専門用語もいうまでもなく音楽の道のプロたちに必要なもののはずだ。作曲家、演奏家、編曲者、研究者、その他数え切れない位の関連する人々にはなくてはならない専門知識だ。

ところがプロのための専門知識であるはずの用語が一般向けレコードやCDの説文においてふんだんに使用されている。解説者はこういう専門用語を読み手が皆理解している前提で書くのだろうか。不思議なことだ。

日本には義務教育において音楽教育というものがある。はるか遠い昔私も音楽の授業を受けた経験があるが、たしか楽典を詰め込まれた記憶がある。日本人は学校でひととおり音楽用語の基礎知識のようなものを習っている。

また、クラシック音楽はどちらかというと「教養」とみなされている。だからクラシックを聞く人は、音楽用語の基礎くらいは知っているだろうという前提があるのかもしれない。勘違いもはなはだしい。

最近は少し改善されてきたが、読むと頭の血管が「ぶっちぎれる」くらい用語オンパレードの音楽解説も中にはある。あれを理解でき、本当に必要とするのはほんの一握りの人ではないか?用語満載の解説を理解できない人には、音楽を聞く資格などないというのか?

専門用語は本来中島みゆきの歌のような存在なのではないか?

(陰の声:お前の文章だって訳のわからない用語や言葉を使っている。同じようなものではないか?)


2.変奏曲とはなんぞや?

私がこれほど用語を拒絶する理由は、用語というものは、使えば書く側は「説明できた」気に、読む側は「理解できた」気になる危険性があるからだ。

たとえば、私の手元にあるベートーヴェン「交響曲第三番」のスコアに掲載されている楽曲の解説、

  第四楽章 これは変奏曲である。その主題は彼の旧作からの旋律が転用された。しかも彼は、それをすでに三度使用している、、、、(略)

この筆者の解説文は作品ができた経緯などが詳しく説明されているし、クラシック音楽系の文章の中ではかなりわかりやすいものだ。専門書系の書籍にして音楽専門用語は少ない方である(スコアを買う人はもはや一般の音楽ファンではなくマニアの領域に足を踏み入れている)。しかし、第四楽章冒頭の記述が妙に気になった。

これでは英雄交響曲の終章が「変奏曲」というひとことで片づけられててしまう恐れがある。

★父と子の会話
「お父さん、交響曲第三番の第四楽章はね、変奏曲なんだって」
「へー、そうなんだ。なるほどな、変奏曲か。さすがベートーヴェンだよな」
「ところで変奏曲って何?」
「え?そそそ、そりゃー変奏ってなもんだから、変奏するんだよ。」
「音楽が変わるってこと?」
「メロディが変わるというか、つまり、変奏するんだ。」
「変わるのはメロディだけなの?」
「もちろん、メロディ以外だって変わるんだ。なにしろ変奏だから。それより宿題やったのか?」

この会話で両者が本当に変奏曲とは何かを理解し、その変奏曲という手法で書かれた第四楽章が素晴らしい点はあいまいである。

この子は疑問に素直な気持ちを大切にしつつ、第四楽章をひたすら聞いてみる必要がある。父も、子供の質問をはぐらかさずに、やはり音楽を何度も聞いてみるといい。おぼろげに変奏曲というものがイメージできるようになるはずだ。その上で子供ともう一度会話すればいい。


【もっと知りたくなった時に、初めて専門用語を意識する】

しかし、、、。
音楽を聞き続けていると、不思議なものだが、その音楽について色々な事を知りたくなる。まず作曲家が曲を書いた時の状況、気分、社会情勢。そして作品をどういう手法で書いたのか、等々。そして音楽の知識欲が芽生えると必ず壁にぶちあたる。まさにそれが用語なのだ。

何度も何度も「英雄交響曲」の第四楽章を聞き続けた後、興味もなかった「変奏曲」という用語に突如興味を覚える。変奏曲とは何か?と。そこで図書館などで調べてみる。

(以下『標準音楽辞典』音楽之友社刊より転載)
=変奏曲=
(1)旋律や和声の骨格を変えず、そこに装飾を加えてゆく変奏
(2)定旋律をほぼ原型どおり反復しながら、そこに異なる対位声部を付加してく変奏
(3)主題の音程や和声やリズムなどを、拡大あるいは発展させて、個々の変奏に性格的特性をあたえる変奏
(4)素材を、転回、逆行、拡大、縮小していく変奏

音楽辞典だから仕方がないが用語ばかりで難しい。けれど、かみ砕けばこうなるか?(以下musiker流解釈)

(1) 同じメロディやコードを使い雰囲気を変えないで、メロディにちょっとし たアクセントをつける。歌手がよくやるアドリブのようなもの?
(2) メロディとは別のメロディを加えること。もちろん、コードを構成する音程の範囲内でメロディは作られる?サイモン&ガーファンクルの「スカボローフェア」の主メロディと副メロディのようなもの。
(3) 性格的特性という言葉が難しいが、ようするに構成しているメロディとコードを基本にするものの、もう少し大胆に変えて強調することか?あまり変えすぎると原型がわからなくなるので注意。同じ素材を使いながら和洋中の料理、しかもとびっきり個性的なのを作るようなもの??
(4) これはグラフィックデザインにも似ているけれど、音楽を素材に分解して、それぞれ組み合わせる方法だろうか。拡大縮小というのがおもしろいな。

わかったようなわからないような説明になるが、変奏曲とは作曲家が以上のような作業を音楽的に行った結果の音楽だということは感じとれた。料理のレシピに似ている。それも、隠しレシピに近いものだってあるしな。

また、多かれ少なかれ、作曲家はその昔から変奏曲的な手法で音楽を書き続けている。ただ変奏曲という名称が前面にでないだけで、音楽には少なからず、変奏曲的な部分はあるのではないか?

わかった?
うーん、、、。
結局、変奏曲がなんたるものか、は永遠にわからないだろう。

しかし、用語を忌み嫌っていた私が、こうして改めて調べてみると、用語をきっかけとして音楽を聞く別の面白みみたいなものが心の底から沸いてくる。嫌い専門用語に触発される、、、、。全く不本意だが、、楽しくもある。

3. ベートーヴェン(1770-1827) Ludwig van Beethoven
   「プロメテウスの創造物」の主題による15の変奏曲とフーガ
   変ホ長調(エロイカ変奏曲) 作品35
   15 Variation mit einer Fuga uber ein Thema asu dem Ballet
   ’Die Geschoepfe des Prometheus'(Eroica-Variation) Op.35

ということでタイトルに「変奏曲」と命名されている曲を無性に聞いてみたくなった。私の手元にあるレコードやCDなので、もちろんベートーヴェンだ。それも第三交響曲と深い繋がりのあるこの曲。

第三交響曲だけではない。ベートーヴェンはこのテーマをなんと4曲に使っているのだ。

 「12のコントラタンツ」 ※第7番に使用
 バレエ音楽「プロメテウスの創造物」作品43 ※フィナーレに使用
 「15の変奏曲」作品35 ※本作品
 「交響曲第3番」作品55 ※第四楽章

「巧妙な使い回しとはこのこと。いや、ベートーヴェンだから安易にことを運んだのではなく、いい主題だからこそ何度も転用したのだろうが、、。

ともかく曲を聞いてみよう。

ドカーン!
なんと乱暴に始めるのかと思ってしまう最初のフレーズ。ピアノのペダル全開である。

そして低音から単音でシンプルなメロディを弾く。その間突如として、目を覚ますようなアクセントが「タタターン」と鳴る。これがピアニストのオスベルガーさんがセミナーでいっていた「聴衆を驚かせる工夫」か。

シンプルで親しみ深いこのメロディに音が加わり、徐々にではあるが、次第に華やかになっていく。何だかとても嬉しくなる。同じメロディがこんなに表情豊かになるんだ。ジャズやロックのセッションというものがある。アーチストがそれぞれの楽器で自由自在にアドリブを担当しながら曲全体がまとまっていく。まさに変奏曲とはアドリブの宝庫のような気がしてきた。もちろんいきあたりばったりのものではなく、変奏曲の場合は作曲家が周到に考え抜いたのもではあるが、その精神は似ている。

全部で15曲の変奏がある。いちいち説明するのは邪道だからやめるが、特に主題提示の第1番ー単音でメロディが鳴るのが不気味でまたコミカルでいい。途中映画音楽みたいに現代的なおよそベートーヴェンらしくない曲想が出てくる。エロチックで幻想的だ。そして終曲のフーガがかっこいい。これは英雄交響曲第四楽章でも用いられたフーガで、本当に秀逸。すばらしい。最後にメロディが再び現れる頃には、体の底からじーんとしたものが湧き出てくるのを拒絶できない、、、。

気に入った。しばらくこの曲を聴き続けよう!

★私の聞いたCD

演奏: バックハウス(ヴィルヘルム)
作曲: ベートーヴェン
CD (2004/3/24)
ディスク枚数: 1
フォーマット: Limited Edition
レーベル: ユニバーサル ミュージック クラシック
収録時間: 44 分
ASIN: B0001FABXA
JAN: 4988005359469

プーランク作曲 「六重奏曲」

笑わせてくれる愉快な音楽って、めったにない!

思わず笑ってしまったのです。でも、この「六重奏曲」は、あまりに面白すぎる室内楽曲です。

具体的に編成を書きますと、
フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、ピアノという六種の楽器による編成。

第一楽章 冒頭から、いきなり冗談で始まるかのような和音。驚かされます。そして、まるで「トムとジェリー」という漫画みたいな息をつかせる間もないような楽器同士の鬼ごっこが始まります。美しいメロディもあるけれど、終始忙しいかけっこ。

かけっこが終わるとファゴットの哀愁帯びたメロディに続き、ピアノの叙情的ソロ、オーボエ、クラリネット、ファゴットの音、フルート、そしてホルン。
変な音楽だけれど、雰囲気たっぷりの曲想に、なんとなく神秘性を感ずるのは不思議です。「ドラゴンクエスト」のほこらでの彷徨いを思い起こしてしまいます。

やがて曲は再び鬼ごっこに戻ります。いやあ、疲れますよ、この楽章。

第二楽章 は、オーボエの綺麗なメロディで始まります。神秘的?いや、安らぎかも。フルートやホルン、ピアノもいいな。いきなり、ホルンの快活なメロディが続き、とても微笑ましい。第一楽章に比べると安心して聞けるかな?第一楽章を思い起こさせる曲想も途中出るけれどこの楽章冒頭の美しいメロディに続きます。

第三楽章は、再びピアノが伴う鬼ごっこに逆戻り。これこそ、笑ってしまうほどの快活さです。それぞれの楽器が持ち前の特徴を生かし、この楽章は少しはメロディというものを感じられる。でも、一見支離滅裂のようなメロディと和音は、不思議と調和がとれている感じがしてきます。最後になって、クラリネットが導くぶきみなメロディに続く、不協和音(聞いていて心地よくない和音だから不協和音。でも、これが結構病みつきになるんです。苦み、辛みなど、普通でない物にひかれることって人間にはあるでしょう?)でのフィナーレ。

音楽で笑いたい方は、ぜひこの曲を、一度聞いてみて下さい。プーランク独特なメロディや和音は魅力的です。最初は驚くでしょうし、「何だこれは?」と感じるかもしれませんが、そのうちきっと病みつきになります。

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番
変ホ長調 作品73

「皇帝」というニックネームで親しまれているこの作品の魅力。第一楽章、華麗なピアノのカデンツァで始まり、その後、ほとんど管弦楽曲かと勘違いしそ うな英雄的な音楽。ホルンのハーモニー、テンパニーの主張。オーケストラの後、「まってました!」ではなく「ここいらで、そろそろよろしいでしょうか」 と控えめに始まるピアノ、など。憎い演出満載の作品です。まさに栄華究める王者にふさわしい音楽として、以後二百年もの間、愛され続けてきたピアノ協奏曲です。

もっとも、初演時の評判はかんばしくなく、音楽があまりに難解ということで、 批評家だけでなく一般聴衆にも受け入れられず、ついにベートーヴェン生前に は冷遇されたままでした。ベートーヴェンの死後十年も経った1830年代後半には絶賛され始めたといいます。作品は1809年頃に完成し、聴衆の前に登場したのは1810〜1811年で、世に認められたのは初演から20年以上経過してようやくだったというわけです。

★軍隊的で男性的、けど女性的華麗な両面をもつ音楽
作曲された時期のウィーンの状況、戦争のまっただ中という悲惨な状況が深く関わっていないはずのないこの音楽に、当時のベートーヴェンの心のうちが鋭 く表現されています。

音楽全体を覆うのは、戦闘的心情。ホルンの美しいハーモニーとティンパニーのリズムが軍隊を想像させます。よく聞かなければ気が付きませんけれど、特に第一楽章にその傾向が見いだされます。管弦楽による戦闘的音楽を中和するというか、必死に否定しようとするのがピアノの独奏です。彼(ピアノ)は、勇ましく進む戦士らの、心の隙間へと執拗に入り込もうとしています。

君たちが進もうとしている道は、人々を平和へと導くための大義名分だろう?でも、なぜその大儀名分のため、多くの命を巻き添えにするのだ?といわんばかりのピアノの問いに対し、返す言葉もありません。第一楽章の一見華麗な曲想は、実はこのような二つの対立、葛藤を音楽でそのまま表現しているように思えてなりません。もっとも、こういう男性的な感覚が聞き手の共感を呼んでいるともいえるのです。

圧巻はピアノの下降する怒濤の半音階的フレーズと共に叩く右手の力強いメロディ。本当に一人で弾いているのか?と疑いたくなるほどすさまじい。ほぼ半音階のフレーズは「でたらめに弾いているんじゃない?」とさえ錯覚するほど見事なものです。(もちろんでたらめであるはずはなく、ちゃんとベートーヴェンが書いていることは言うまでもありません)

★世にも美しいアダージョ、第二楽章
ベートーヴェンの作品はアダージョが際立っています。やれ英雄だの運命だの、男性的ベートーヴェン音楽ばかりが強調されていますが、彼のもうひとつ忘れていけない本領、つまり魅力は、第二楽章や第三楽章(四楽章形式の場合)に必ず添えられるアダージョ楽章といえるでしょう。

とりわけこの「皇帝」第二楽章は、弦楽器のためらいがちな曲想に、夢心地のピアノがまたためらいがちに色を添え、たぶんベートーヴェンの作品の中でも最高に美しい楽章です。

映画「不滅の恋」の印象的シーン。「皇帝」の演奏を指揮するベートーヴェンが、耳が聞こえないため適切な指示をオケに出せず、大恥をかきます。人々の笑い声の中、聴衆のひとりエルデーディ侯爵夫人が、ベートーヴェンの手をとり、会場を出ていきます。このシーンでバックに流れていたのが、他ならぬ「皇帝」の第二楽章でした。

ベートーヴェンの家に立ち寄った夫人は、彼の部屋の乱雑さに唖然とし、彼に「私が家政婦を手配しますから…」とと提案します。でも、聞こえないベートーヴェンは、筆談用のプレートを彼女に差し出し、身振りで、ここに書いてください、と語ります。その時の優しい目の表情。これはあくまで映画。でも、私は、バックに流れる音楽と共に、まるで本当にベートーヴェンがあの優しげな目をしていたのだ、と思えてなりません。

この楽章は、難解でもなんでもなく、冒頭の弦楽器のメロディを、ピアノが受け継ぎ変奏曲風に続く、ただそれだけです。ただそれだけですが、それがすべて。ピアノ協奏曲の大きな魅力の根源がこの第二楽章に秘められているのです。

★あなたと踊りたい、第三楽章
第二楽章は静かに終わります。奇妙なのは、楽章最後の音が半音下がり、ピアノはまたためらいがちに次のフレーズを奏でようとするところ。第一楽章は、変ホ長調(E♭メジャー)、第二楽章はホ長調(Eメジャー)、そして第三楽章で再び変ホ長調(E♭メジャー)へと戻る演出です。

ピアノがフェイントともいえるリズムで第三楽章のテーマを始めます。ワルツなんだけど、ワルツではない。摩訶不思議なこのリズムを私たちはどううけとめましょう?

ちょっと専門的になりますが少し説明を。 第三楽章の基本リズムは ♪♪♪ ♪♪♪ というに分割されたワルツです。

ところが冒頭の一小節だけちょっと違い、 ♪♪ ♪♪ ♪♪(三番目は、実際は八分休符+十六分音符が二拍) というふうに、三分割されています。

おかしなリズムだな〜、と思っていたけれど、よく考えると、あれは、ワルツを踊る時の助走のような役割を音楽が果たしている、ということがわかります。
バックハウスの演奏ではこのリズムが明快にわかります。続く管弦楽も、まあ慣れたもの。

それにしても、ベートーヴェンの作品はクライマックスがこういうワルツや舞踊曲が目立ちます。有名どころでは「交響曲第三番」。きっと、この曲を最後まで聞く方はきわめて少ないでしょうから、気が付く人はそう多くないです。あの第四楽章は壮大な舞踊曲です。「ヴァイオリン協奏曲」はちょっとスピーディなワルツです。「交響曲第七番」最終楽章は踊り狂うにふさわしい舞曲です。

★ピアノとティンパニーのデュオ
極めつけは、第三楽章のクライマックス。管弦楽が静かになり、ティンパニーとピアノのみの二重奏です。よく聞かないと気が付かないけれど、第一楽章と 第三楽章でオケと共に存在感を示しているティンパニーを忘れてはいけません。どこか戦闘的音楽を印象づける理由はティンパニーが存在感を示しているからでしょう。そして、第三楽章最後のデュオですから、ますます強烈な印象が残ります。ピアノとティンパニーの二重奏が終わると、怒濤のようなピアノと管弦楽によって、ベートーヴェンにしては珍しく、あっさり目にしめくくります。

第一楽章は確かに英雄的。でも、第二楽章は夢心地のロマン。そして、第三楽章は怒濤の舞曲。「皇帝」というニックネームなんか忘れ、ピアノと管弦楽が織りなす七変化をこの音楽で楽しんでください。

【第一楽章】Allegro 約20分
【第二楽章】Adagio un poco mosso
【第三楽章】Rondo Allegro ※第二楽章〜三楽章 合わせて約20分


★私の定番音源
ピアノ:ヴィルヘルム・バックハウス
指揮:インセルシュテット
管弦楽:ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

ピアノ: エレーヌ・グリモー
管弦楽ドレスデン国立管弦楽団
指揮: ラディーミル・ユロフスキ

ブラームス  アルト、ヴィオラ、ピアノのための「2つの歌」作品91

Brahms(1833-1897) Zwei Gesaenge op.91

第2曲 聖なる子守歌 Geistliches Wiegenlied

●ザルツブルクのセミナーでの「聖なる子守歌」

オーストリアのザルツブルクで特別音楽セミナーが企画開催され、日本から20 人の参加者と共に現地で二週間過ごしたことがあります。受講者はピアノ、ヴ ァイオリン、声楽で、現地で指導を行っている講師のもと、毎日レッスンを受けるのです。日本各地からやってきた参加の皆さんたちの真剣な表情がとても 印象的でした。音楽を学ぶ学生さん、プロの卵、大学で教鞭にあたっている先 生など色々な方々がおられ、日常の会話も楽しいものでした。世話係の私でし たが、ピアノ受講者のオブザーバーとしてレッスンに同席し、受講生さんたち が時々理解できない先生の発言の意味を説明するなどでお手伝いをしました。
一日、何人もの受講生さんのレッスンに同席ということで、4~5時間、多い ときは6時間以上ピアノのレッスンに毎日つき合うわけです。ベートーヴェン、 ブラームス、リスト等のピアノ曲の細部にわたる弾き方について英語で行き交 うレッスンです。今から考えると随分贅沢な体験だったと思います。当時は、 クラシック系音楽のめくるめく刺激的な世界に魅せられ始めた頃です。ピアノ をまともに弾けない私も、長い時間中、本当に好奇心ギラギラの目つきで先生 と受講生さんのレッスンを見守っていました。まるで自分が指導を受けている ような錯覚を覚えたくらいです。

レッスンで題材になったベートーヴェンのピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」に魅せられ、その時のことは、既に本誌Op.20で書きました。その他、 曲目ははっきり覚えていないけれど強く耳に残ったブラームスの幻想曲、リス トの作品などがあります。音の記憶だけでして、作品名が特定できないため、 レコードやCDを今頃になって探している最中ですがまだ見つかりません。い ずれ本誌に出てくるでしょう。

セミナーの仕上げとしてザルツブルク宮殿内のホールで演奏会を行い、夜にお 世話頂いた地元の音楽院の先生ご自宅で、参加者で簡単なパーティをすること になりました。昼間のコンサートは受講者それぞれの単独演奏だったので、夜 のパーティでは、受講者同士でアンサンブルをしようというお話になりました。

その時の曲のひとつに、ブラームスの「聖なる子守歌」がありました。アルト、 ヴィオラ、ピアノという珍しい組み合わせの曲で、特に印象に残っています。 リハーサルを数回行った時、近くで聞かせて頂いていた時から心奪われたその 美しいメロディと、アルトとヴィオラ、そしてピアノが創り出す音色。深夜ま で続いたパーティは、受講者皆さんがリラックスしていろんな曲を次々余興で 演奏する底抜けに楽しい歓喜の時間。その楽しい時間にこの暖かなブラームス の作品がいっそう深い感動を与えてくれました。

●ドイツの民謡のメロディ

子守唄といえば、赤い鳥と「竹田の子守唄」を連想するォーク世代の私にとっ て、このブラームスの歌は、同じ子守唄でも雰囲気が違います。子供が眠って いるので、風よ吹くのを止めよ!、という気持はわかるとして、椰子の木やら、 天使が出てきて、日本ではない、ブラームスの故郷ドイツでもない土地が目に 浮かびます。詩を以下に記しましょう。(スペインの詩、ガイベルによるもの)

  Geistliches Wiegenlied 聖なる子守歌

  Die ihr schwebet um diese Palmen
  椰子の木のあたり
  In Nacht und Wind
  夜の風の中に漂う
  Ihr heil’gen Engel
  聖なる天使たち
  Stillet die Wipfel!
  梢の音を静めてください
  Es schlummert mei Kind
  私の子が眠っているのです

  Ihr Palmen von Bethlehem
  ベツレヘムの椰子よ
  in Windes brausen,
  ざわめく風の中で
  Wie moegt ihr heute
  今日はなぜそんなに激しく
  So zornig sausen!
  騒いでいるのですか
  O rauscht nicht also,
  吹き荒れるのを止めてください
  schweigt, neiget
  沈黙し静かに
  Euch leis’ und lind,
  優しく身をかがめてください
  Stillet die Wipfel!
  梢の音を鎮めてください
  Es schlummert mein Kind
  私の子が眠っているのです

   ※日本語はmusikerによる迷訳

詩では生まれたばかりのイエスを気遣う母親マリアを歌っているようです。だ から「聖なる」子守唄なのでしょう。歌は全部で四つの部分に分かれ、上がそ の二つ。後半では、地上の煩いに苦悩する神としてのイエスをイメージさせる フレーズも出てきます。疲れ果てた神がひととき眠りにつけるよう、梢のざわ めきを止めよ!と歌います。

驚くほどシンプルな主メロディ。ピアノとヴィオラの音色と共に、見事な音楽 が聞こえてきます。主役のアルトも控えめに、しかし力強く歌い、サポート役 のヴィオラ、幹のようなピアノ、各々が個性を発揮しながらも脇役に徹する、 妙を感じられる音楽ですね。変幻自在な転調、テンポの変化も聞きどころ。四 つのの部分それぞれが印象に残るでしょう。

前奏がとても印象的です。ドイツをはじめ欧米の人々はメロディを聞くとたち まちわかるこの曲は、残念ながら日本人にはいまひとつピンとこないクリスマ スキャロルの歌でした。
http://www.hymnsandcarolsofchristmas.com/Hymns_and_Carols/joseph_o_dear_joseph_mine.htm

親しみのあるこのメロディを、前奏と、曲の要所要所にすえるという演出で、 ブラームスはこの歌を身近な存在に創り上げました。前奏が始まったとたんに、 ドイツの人々、いえ、欧州の人々は思わず笑みを浮かべ、優しい気持ちになる のでしょう。しかし民謡からの転用はあくまでひかえめです。ヴィオラに歌わせ、ピアノにもさりげなく歌わせているのに、肝心の歌には一切そのメロディを使っていません。憎い演出。許せませんなブラームスさんは(笑)。でも、 許してあげましょう。この絶妙の演出のおかげでとても不思議な音楽になっています。 不思議な音楽?神秘的と表現するべきかもしれません。


【私の聞いたCD】
お薦め度★★★★★

B01MXIXZ8Z
収録曲
ヴィオラ・ソナタ第一番 ヘ短調 作品120の1
 Sonate fuer Viola und Klavier f-moll op.120 No.1
ヴィオラ・ソナタ第二番 変ホ長調 作品120の2
 Sonate fuer Viola und Klavier f-moll op.120 No.2
2つの歌 作品91~アルト独唱、ヴィオラとピアノのための
 Zwei Gesaenge Op.91
 静められた憧れ(リュッケルト詩)Gestillte Schnsuch
 宗教的な子守歌(スペインの詩、ガイベルによる)Geistelisches Wiegenlied

イリス・ヴェルミヨン(アルト)2つの歌
ヴェロニカ・ハーゲン(ヴィオラ)
パウル・グルダ(ピアノ)

この大好きなCDは、所有していたCDは10年前ころ出産で退社する社員にプレゼントした後しばらく手元にありませんでした。後に自分用に再び買おうとしたところ絶版になっており長いこと入手不可で、我慢できずに中古市場から入手しました。しかし、今日Amazonで探してみたところ、なんと、今年再版されており、今では入手可能になっています。嬉しいです!今度は試聴も可能です。みなさん、ぜひ聴いてみてください。

バルトーク ピアノ協奏曲第3番 PIano Concerto No.3, Sz.119

★バックハウスにピアノコンクールで敗れる…
バルトークはコダーイと並び、ハンガリーに昔から伝わる音楽の収集と研究を重ね、豊かな民族音楽のソースを使い独特の音楽を残した異色の作曲家です。彼らの音楽は聞けばすぐにわかる本当に独特の色合いです。東洋の音楽に通ずるところがあるからでしょうか、妙に懐かしい気分にさせられるのです。
バルトークは幼少よりピアノを母に習い、先生についてピアノと作曲を学んだそうです。若いときから才能豊かだったようです。ところで彼はピアノコンクールに出ています。1905年、パリのルービンシュテイン・コンクール。しかし勝利を獲得したのはあのバックハウス(ヴィルヘルム)でした。

失意でハンガリーに戻った彼は伝承音楽の収集を始めることになります。この伝承音楽の収集と研究の成果が音楽界に多大な貢献をしたのですから、挫折が必ずしもマイナスではなく、見事にバネにした典型的例ではないでしょうか。もちろんたゆまぬ努力、そしてバルトーク自身の才能があったからであることはいうまでもありません(バックハウスにバルトークが勝っていたら音楽の歴史はどう変わっていたのでしょうか興味深いはありませんか)。

★音楽の源泉を探りあて、更に独自の新しい音楽を創造
バルトークの研究が優れていた点は、収集した音楽をとことん調べあげ限りなくその源泉までさかのぼったことにあると言われています。音楽は地理的環境の影響を受け、時代の洗礼をうけています。ハンガリーの伝統的音楽も次第に西の音楽的要素が加わり原型はちっぽけなものになっていきます。彼はまさに失われつつあった民族の音楽の核を手に入れるのです。

こういう源泉を発掘するだけでなく、バルトークはそれら音楽の源泉を独自にアレンジし新しい音楽を創造します。ここがすごいのです。確かに彼の音楽は他の音楽家の誰にも似ていない独特の世界があります。ここのところ特にウィーン古典派を中心とした音楽を聞いてきた私の耳には非常に新鮮で、月並みな表現ですが、ワクワクするんです。

★晩年は不遇の日々
バルトークが1940年にアメリカに亡命してからの5年間は苦難の日々でした。祖国を愛していた彼が国を捨てるという行動に出たのはひとえにナチスの台頭による戦禍。母親が亡くなり彼はついにに亡命を決意するのです。

しかし亡命先のアメリカでも彼の音楽は一部の人々にしか受け入れられず、失意の中白血病に倒れました。祖国ハンガリーの民族音楽の魂に新たな息吹を与えた彼の音楽は本来普遍的なもののはずですが、その独特の音楽が、人々から指示を受けるためにはもうしばらく時間が必要でした。遺作となったピアノ協奏曲第三番は最後の17小節が未完のまま彼は1945年に亡くなりました。最後のオーケストレーションはバルトークの指示に従い、弟子のティボール・シェルリーが完成させたものです。

★スリルとロマンの両方を兼ね備えたコーフンものの音楽
この作品を始めて聞いた時の素直な感想をいわせてみらえば、
 「これ、本当にピアノ協奏曲?」
という感じです。確かにピアノは大活躍するし独壇場の箇所ばかり。しかし、ピアノがピアノという楽器というよりは、一種の打楽器のような印象を得るのです。88鍵の打楽器…。変な例えでしょうが本当なのです。ピアノという独立した楽器ではなくオーケストラのパートの一部のような。

特に第一楽章はこの印象が強く、じっと聞いているとハンガリーの奥深い森の向こうにありそうな未知の世界を覗いているような錯覚に陥ります。りりしい第一テーマ。シンプルですが、複雑に絡み合う音色とその音色と一体となったリズムが、頭の中で渦巻き、知らぬうちに興奮してきていることに驚きます。管楽器の雄弁さ。ピアノの怒濤の流れのようなアルペジオを伴奏に奏でられる木管楽器の不思議な哀愁帯びたメロディ。とんでもない音楽ですよこれは。なのに終わりはあっけなくフルートが印象的な声をたてて、中途半端に終わってしまうのは、妙な演出だ…。

第二楽章がこれまたいいんだなぁ。たぶんこの楽章はかなり聞きやすいでしょう。弦楽器による深い前奏。途中でフェイントぎみに妙なメロディが入りますが細かいことは気にしないでください。本題に入り寡黙なピアノによるメロディ、対話の相手は弦楽器です。ロマンチックで深い曲想ですね。ときおりフェイントぎみに妙な音も入ってきます。そこがまたアクセントになっていて微妙な余韻を醸し出すのです。中間部は第一楽章の再現のような木管楽器のざわめきが始まります。それにピアノも目を覚ましたように応える。この箇所はおもしろい!やがてこの楽章最初の音楽へと戻るのは再び眠りにつくためでしょうか。眠りにつくにしてはこのやるせないほどの情熱に、目がギラギラとしそう。そしてまたもや中途半端な終わりが…。ううっ、欲求不満になりそう。

二楽章続けてくれた欲求不満を解消するように第三楽章は騒がしく興奮もの音楽。ティンパニーの雄叫びがカッコイイ。そしてその後ピアノのソロ。これがほれぼれするほど見事なメロディです。思わず体を動かしたくなります。ピアノとリレーで弦楽器がややフーガ気味でつながります。以後ピアノと管弦楽が微妙に絡み合い、要所要所でティンパニーが小刻みのリズムを叩く。後は余計な説明をしている余裕はありません。頭の中では色んなメロディと和音、リズムが交錯し少々パニックになったり、パニックを感じたかと思えばウルトラロマンチックな曲想を挟んだり、そして再びスリリングな展開。休む暇もない音楽にきっと振り回され続けることでしょう。そして今度は、クライマックスは、ちゃんとスカッと終わってくれます(ああ、よかった…)。

★難関だが、バルトークの音楽の世界に一歩足を踏み入れると…
この作品、たぶん聞いて一度目は「?」だと思います。二度目は少しだけ興味をそそられることでしょう。でもまだ部分的にしか受け入れられない。三度目でようやく曲として全体を受け入れる心の余裕が芽生えます。本当に楽しめるのはこれからです。三度目まででこういう感じになれなければ、思い切ってここで聞くのを止めてください。CDをどこか奥底にしまうのもよし。人にあげるのもよし。でも出来ればしばらくしたらまた引っ張り出してきて聞いてみて下さい。

三度目までで運良く感覚的に受け入れられた方、さてその後?何度も聞いて下さい。いつの間にか、毎日聞きたくなっていることでしょう。おめでとう!あなたはバルトークという作曲家に少し興味を覚え始めたはずです。たぶんあなたは彼の他のピアノ協奏曲や管弦楽曲をそう遠くない将来聞いてみようとするでしょう。

でも、それからが意外に難関ですから覚悟して下さい。なぜなら「ピアノ協奏曲第三番」はバルトークの作品の中でも比較的親しみやすい方だからです。他の作品はてこずるかもしれません。でも恐れる必要はありません。そんな時はリズムと一体となった彼独特のメロディに、まず断片的にでも結構ですから耳を傾けましょう。それとこの音楽は頭だけではなく、体全体で聞いてみましょう。彼の音楽の根源には、民族が育んだ「生きた音楽」があるのですから。そうすると自然に音楽は受け入れられるはずです。

その先?私は知りませんよ。あなたはめくるめくバルトーク音楽の世界に足を踏み入れたんですから、もう抜けられません。ずっと楽しんで下さい。


【私の聞いたCD】
バルトーク「ピアノ協奏曲第3番」Sz.119
「弦楽器,打楽器とチェレスタのための音楽」Sz.106
 ※バルトーク最高傑作とされている超有名な作品です。編成がとんでもありません。2つのオーケストラ、小太鼓、シンバル、タムタム、大太鼓、チェレスタ、ティンパニ、木琴、ハープ、ピアノというユニークなもの。浮遊するような弦楽器のメロディが怖い第一楽章。スリリングな第二楽章。火の用心カチカチかと勘違いしそうな第三楽章。これもまた怖い弦楽器の独壇場。第四楽章はリズムが圧巻。すごい。
「管楽器のための2つの肖像」op.5,Sz.37
 ※この作品は第一曲目はベルトークが恋したヴァイオリニストに捧げた「ヴァイオリン協奏曲」の第一楽章。美しくも観念的過ぎて、こんな音楽を捧げられた女性はコロッと参ってしまうか、けんもほろろに無視されるかどちらかでしょう。バルトークは見事にフラれ、原曲の協奏曲は女の死後発見され初演となったそうです。バルトークはこの曲を転用し「2つの肖像」として発表したわけです。
指揮: ギーレン(ミヒャエル), ペスコ(ゾルタン), その他
演奏: シャーマン(ラッセル), 南西ドイツ放送交響楽団
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