今私の目の前に一枚のアルバムがあります。懐かしいアナログLPレコード。買ってから既に27年以上経っているのに、汚れもなく、あの時のそのまま。
ポール・サイモンの「時の流れに/Still Crazy After All These Years」緑色っぽい帽子をかぶってどこかのビルの外階段に立つポールが、30cm×30cmのクリーム色のジャケットの真ん中に縦長の写真で写っています。タイトルは写植文字でなく手書き。
時は1975年。昭和50年です。この時代を懐かしく感じる世代と私は同世代です。日本が成長期まっただかで元気、行く先は夢しかない、そんな時代でした。
レコードに針を落としたとたん、不思議な気持ちになりました。イメージしていたサイモン&ガーファンクル風音楽とは全く別の世界がそこにあったからです。音楽だけではなく、詩も、アレンジも。何もかもが違うのです。少しやりきれない気持ち、、、。だから最初は積極的に聞かなかった。
でも、数ヶ月経過した頃、部屋にいると不思議と手がのび、以後何度も何度も聞きました。決して孤独な気持ちを癒してくれるアルバムではないし、むしろ聞いていてますます孤独感が増してくる。とりわけタイトル曲の複雑な雰囲気。三十年近い年月の後、このアルバムが最愛の友になることなど、知らないまま、板橋の木造アパート四畳半の部屋には毎夜この歌が流れ続けました、、、。
印象的なエレクトリックピアノによる味のある前奏。このサウンドに誰も心奪われることでしょう。この魅力たっぷりの前奏に続きポールの少しけだるい歌声です。
Still Crazy After All These Years
昔の恋人に会った
昨日の夜、通りで
彼女は喜んでくれ
僕も微笑んだ、ただ素直に
懐かしい昔の話に花が咲く
二人でビールを飲みながらね
何年も経ったけれど、まだ夢中なんだな
時が流れても、まだ、、、
(※訳=musiker。原文は非掲載)
映画にもなりそうなこの場面。実は本当の映画のワンシーンだそうです。私は見ていませんが、いずれにしても前の恋人(ポールの場合はかつて結婚し共に暮らしていた相手)と道で会って、こんな展開があるのか、どうかはわかりませんが、ロマンチックですよね。しかもビールを飲みながら昔話ですよ。大人の世界です。
この歌に感じた良い意味での「違和感」。おそらくそれはポールのサウンドとしては聞き慣れないコード進行の仕業ですね。メインコードと補助的コードがmajor、7th、major7の組み合わせで微妙に変化しています。三拍子のリズムも効いていて流れるように進みます。絶妙の和音展開にぴったりとはまるメロディ。しかも、1コーラス最後の和音が5度和音のマイナー、驚き!ベースの一音でとどめをさされます。上の1コーラスを聞いただけでそれこそ crazy になるではありませんか!
僕は社交的ふるまいのできる男じゃない
流れに身を任せるだけなんて、、
人の世の常識ってやつにね
ラヴ・ソングのささやきにも
だまされるもんか
いつまでもこんな馬鹿なのさ
時が流れても、変わらない
誰もが常識と思われるような手口にははまらない。この人物は、信念の芯で、普通の人と少し違った考え方をするようです。世間の常識とか先入観とは無縁。恋愛も同じようです。彼のパートーナーは本当に大変でしょう(?)。この二番目の歌詞は I Am A Rock を少し思い出しませんか?あの若者は少し大人になりました。少しは包容力のある大人になったけれど、相変わらず変わっていないようですね。
9thコードでストリングスが代わりサビの主和音はメインコードを全音上げた「とんでもない」転調になります。サビの部分のコードの流れも見事です!
朝方の四時
疲労困憊
あくびが出る
人生なんて消えてしまえ
憂うなんてまっぴら
心配する必要など、これっぽっちもないのさ
結局、みな消え失せるんだから
酔った頭、夢心地の中「人生なんてくそ食らえ!」って叫んでいる感じですか?ふだん思慮深い彼もさすが飲み明かした後はこんな気分になるんですね。
(または朝まで仕事かも?)
“Crapped out、Yawning”の部分のメロディの半音展開がいいですね。ポールお得意の「朝の四時」がまた出てきました。朝方まで飲み明かし、この時間帯に彼はよく道を歩くんでしょうか。Feelin’ Grrovy (五十九番街橋の歌)でも小石を蹴飛ばしていましたし(笑)。
サビの歌が終わると間奏です。夢遊病者のように不気味にさまようフルートの音色。頭が混乱し視線も定まりません。行き所のない気持ちでしょうか、、。そのやるせなさを一気に払拭させるように、サクスフォンが歌います。素晴らしい!余計なコメントは一切不要。ただ、ただ、お聞きください。
見事な間奏の後、エレクトリック・ピアノとドラム、ベースのシンプルな伴奏に戻り、場面は室内へと変わります。やはり(?)彼は窓から外を見ています。
窓際に座り
道行く車を見ている
ある晴れた日、僕が何か過失を
しでかさないとも限らない
でも裁かれるなんてご免だ
僕以上でも、僕以下でもない奴らから
裁かれるなんて馬鹿げている
何年も過ぎようが
みんな狂っているのさ
自分がいつの日か交通事故か何かを起こさないとも限らないという「恐れ」を抱く、実に内向的な表現になっています。でも、彼は内向的な気分を「陪審員」への挑戦的態度で発散させます。自分に似たり寄ったりのレベルでしかない人たちに裁かれるなんてイヤだよ、といっているのです。それにしても突然裁判の話が出てくるのが不思議ですね。
最後に何度か Still Crazy と繰り返し。つぶやきです。この歌の伴奏の主役エレクトリックピアノとていねいに歌い締めくくるポールが印象的です。
今日の文はやたらとコード名が多くギターやピアノを弾かない方には心地悪い表現になっているかもしれません。この歌が、不思議な魅力にあふれている理由のひとつが、めまぐるしく変わる和音展開なのだと書きたかったのですが、うまい表現を考えつきませんでした。でもまあ、理論など知らなくとも音楽そのものが語ってくれます。
この流れるような音楽は、ニューヨークという都会の光景、そして人間を「プリズム」のように、ポール・サイモンが表現しているのだ、と私は信じています。
最後にいつものように『伝記/サイモン&ガーファンクル』(ヴィクトリア・キングストン著)日本未刊行 ’The Biography Simon & Garfunkel’ by Victoria Kingston に掲載の文章を引用します(意訳:musiker)。
ほら、僕は毎日働いている。常に間違いを犯さないように、自分の知る限り最善の方法でことにあたる。有名にもなったけれど、悪口をいわれて内面的にボロボロの僕については誰も知らないのさ。ツアーに出かけたり、精神科医の世話にもなった。恋愛や結婚の経験もしたし、それが原因で奈落の底に落とされた。ここ数年間の痛みとトラブルの数々、こういうすべての経験。君もわかってくれるよね、少しは。僕はやっぱりクレイジー(であり続ける)なんだ。
最後の I’m still crazy は、「狂っている」=「狂気」と解釈してもさしつかえありませんが、それは決して後向きな意味だけではなく、前向きな「夢中」という意味合いにも受け取るべきです。色々な事があったけれどすべて自分の人生。日本的表現でいえば「人生悔いなし」でしょうか。
I’m still crazy本当に粋なカッコイイ表現ですね。