My Little Town
マイ・リトル・タウン 

マイ・リトル・タウン My Little Town」
アルバム 「時の流れに」第2曲 1975年

1973年発表になったアート初のソロ・アルバム「天使の歌声 Angel Clare」には時のシンガー・ソングライターの最新作やトラディッショナルな名曲、ハイチの民謡、バッハの旋律を元にした作品などが収められており、アートのヴォーカルが光る秀作です。特にランディー・ニューマンが書いた「老人 Old Man」は静かな曲調の中にも力がみなぎる傑作で、アートの歌声がその作品の魅力になお一層輝きを与えています。このアルバムに残念ながらポールの作品は入っていないのですがアルバム裏に記載の参加ミュージシャン・リストの中(しかもメインではなく「その他」のミュージシャンの欄)のギター担当の最後にPaul Simonの名があるのです。

このようにソロ活動後もサイモンとガーファンクルの二人はかつての親友としての交友は続いていました。共同作業はしなくなりましたがお互いの音楽は意識し合っていたのでしょう。

アートがセカンドアルバム「愛への旅立ち Break Away」を録音していた同じ時期、ポールは「時の流れに Still Crazy After All These Years」を録音しており、別々のスタジオではありましたが二人は同じ建物の中でそれぞれの仕事に励んでいました。

1975年、そんな事は知らない一般ファンが「あっ」と驚く作品がシングルでリリースされました。

題名は「マイ・リトル・タウン My Little Town」、しかもサイモン&ガーファンクルの作品として発表されたのです(正確にはポールとアートそれぞれのシングルヴァージョンがありB面は各々の作品が納められているようです。
※日本版がどうであったかについては私の手元にはシングル盤レコードが残っていないため不明)。

元々これはポール自らの意志でアートのために書いた作品です。
「マイ・リトル・タウン My Little Town」についてポールはこんな風に語っています。

この歌は僕が彼にプレゼントするつもりで作ったんだ。アートにはこう言ったんだ、、
「君の取りあげる歌は良い歌なんだけど、甘めの歌が多いね。それがちょっと不満なんだなぁ。少し毒気のある歌を書くから君のアルバム用にプレゼントさせてくれ」

アートはたぶん嬉しかったと想像するのですが、少しクールなコメントを残しています。

「提案を受け入れよう。ちょうど次のアルバムには色々な形式の歌を取りあげようとしているところだ。きっとポールの歌が最も僕の興味深いものになるさ、、」

ポールはアートに歌を教えます。その過程でアートはこう考えるのです。中間部分はハーモニーにする方が効果的だと。それはまさにかつてのS&Gのサウンドにぴったり。まるでポールと一緒に歌っていた時の感覚みたい、、、だと。

こうして「マイ・リトル・タウン My Little Town」は久々のサイモン&ガーファンクルの作品として世に出ることになります。

歌は二人のアルバムにそれぞれ収録されます。アートの「愛への旅立ち Break Away」ではB面の第1曲目(CDでは7曲目)に、ポールの「時の流れに Still Crazy After All These Years」では第2曲目に。同じ歌がそれぞれのソロアルバムに収録という珍しいスタイルに、ファンは驚きましたが、ポールとアート二人のアーチストが各々特徴あるアルバムを楽しみ、しかも一曲のみとはいえS&G再結成という出来事に感無量だったのです。


ところがサイモン&ガーファンクルの歌というのに、聞こえてきた曲は、全く想像を超えた別のサウンドでした。ピアノ低音部をまるで打楽器のように使用した印象的なイントロが力強いです。アコースティックギターのストロークは入り、厚みのある二人の声が聞こえてきます。

In My Littel Town(1975年)
(原文は省略。迷訳:musiker)

僕の小さな街で
ずっとこう信じて成長した
人は神様に見守られていると
(※見張られている?という意味もこめているとも思える、、、)
でも時々神様は圧迫してくる
壁に向かい忠誠を誓うとき、そう感じた
神よ、僕は思い起こす
あの小さな街を

放課後家に向かう
自転車をすっ飛ばし
いくつもの工場の門を走り抜けて
ママは洗濯中で
僕らのシャツを
薄汚い風の中になびかせていた

God keeps His eye on us allの箇所でハーモニーが聞こえ、特に感動したことを覚えています。それにしてもいきなりフェイントともいえるコード進行。
印象的な転調に続き、to the wallで、最初のコードに戻るあたりで妙な安心感を覚えます。

ところが Coming home after school では今度は変則リズムです。
こういう音楽展開をポールは以前決してしなかった。明らかにソロ活動以後のポール・サイモンの味が出ていると、わずかここまでの展開でわかるのです。

僕らのシャツを汚い風(dirty breeze)にママが干していたという光景は、映画のようです。またこの箇所のハーモニーの美しさはさすがサイモン&ガーファンクルですね。納得し感激したものです。次のフレーズも虹が見えるようです。イマジネーションの箇所の三拍子も、曲に変化を与え新鮮な感じがします。

雨上がり
虹が見えた
でも色はみな真っ黒
色がなかったわけじゃない
ただ想像力が欠けていただけさ
何も変わっていない
僕の小さな街

虹が黒く見えた。しかもそれはイマジネーションの欠如とは、よほど空が汚かったのか、それとも主人公の心に色というものがなかったのか。いずれにしても考えさせられる表現ではありませんか。

死人と死にかけの人しかいない
僕の街には
死人と死にかけの人しかいない
僕の街には

そして歌のサビ、というかこの歌の主題といってもよい次の箇所の意味。重い意味です。死人と死にかけの人間しかいない町。世界のどこかにはこんな町がまだ多く存在するでしょう。一方実際の生死の意味ではなくとも、死というものを、別の事柄に置き換えて見てみると、考えさせられます。二人の歌いぶりも、より一層力が込められています。

主人公は栄光を夢見て成長していきます。おそらく彼はこの町を出て、人生を送っているのでしょう。彼は自分の故郷に戻ってきて、懐かしさと共に、何も変わっていない絶望感という、ふたつの気持ちが交差します。そして、少年時代の思いを、再び思い起こしているのです。

僕のいた小さな街では
僕は単に親父の息子という以上の存在じゃなかった
お金を貯めながら
将来の栄光を夢見て
銃の引き金にかけた指のように
ぴくぴくと震えていたんだ

この箇所は哀しい。ハーモニーが美しいだけになおさらその哀しさが強調されています。しかしSaving my money Dreaming of gloryの部分のやるせなさは力となって Twitching like a finger On the trigger of a gunという夢へと進むのです。少年の希望はどこへ向かっていったのか?ターゲットめがけて走り続けられたのでしょうか。

今も変わらない故郷にうんざりしながらも、何も変わっちゃいない故郷に安堵する複雑な気持ちは、最後のフレーズにこめられているような気がします。

Leaving nothing but the dead and dying
死人と死にかけの人しかいないまま
Back in my little town
僕の町はあの頃と同じ

抑圧され一歩間違えば爆発しかねない少年時代の精神状態、そして将来への不安と希望、郷愁、母への愛など、さまざまな要素を短い言葉を使って、巧みに表現するポールの詩。この歌こそサイモン&ガーファンクルで歌うべきだと判断し提案したアートの優れた洞察力。ダイナミックなメロディとアレンジによる重厚なサウンド。そして忘れてならない二人の絶妙なハーモニーとヴォーカル。

「マイ・リトル・タウン My Little Town」はサイモン&ガーファンクルとい枠を超え、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルという二人のアーチストの優れた共同作業によるまさに傑作ではないでしょうか。



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