ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第12番 変イ長調op.26「葬送」 

このタイトルには後ずさりしてしまう。「葬送」。すなわち…、

「死者をほうむるため墓地に送ること。死者をほうむるのを見送ること。送葬」(goo辞典 ※出典元は、三省堂提供「大辞林 第二版」より引用)

「葬送」というニックネーム付きの音楽はなんとなく怖いイメージがあり、敬遠してしまう。ベートーヴェンやマーラーの交響曲、ショパンのピアノ曲にもある。どの音楽も今は大好きなのだが、タイトルの魔力(?)が敷居を高くし、聴き始めるまでに時間がかかった。そういう経験って、皆さんありません?

しかし、この種の先入観が、音楽と向き合う際に邪魔になることが多い。タイトルなんか、ましてニックネームなど気にしないで聴き始める、聴き続ける。そうすることにより、音楽との出会いのチャンスは広がる。


さて、ベートーヴェン「ピアノソナタ第12番《葬送》作品26」。本日この作品を取り上げるのは、実は最も有名な第3楽章「葬送行進曲」について語るのが目的ではない。第1楽章と第4楽章のおもしろさをお伝えしたい。

【第1楽章】
この作品の第1楽章は、ピアノソナタの楽章構成において、少し異質のようなのだ。専門知識のない人が聴く上では全く気にならないし、まして現代人にはどーってことないのだが、ソナタを聴き慣れている人や、特にこの曲ができた19世紀初め頃の聴衆には「ん?」と少し首を傾げる特徴があった。

ソナタの第1楽章にはAllegro曲を据える、という暗黙のルールがあったらしい。ベートーヴェンもその辺の常識はわきまえ、ピアノ・ソナタ第1番から第11番までおとなしく定石に従っていた(笑)もっとも、第6番のようにAllegroであっても少し変わった趣向の作品もあるが…。

12番は、Andanteで始まる意表をつく展開。ある種の悪戯である。ベートーヴェンはこういう悪戯が好きだ。悪戯はテンポだけではない。味わい深いテーマを提示したあと、さりげなく、変奏曲にしてしまった。変奏曲こそ彼の得意技である。しかし、さすが第1楽章からいきなり変奏曲という作品はそう多くない。

私はベートーヴェンの変奏曲が大好きである。前号でも「ディアベッリのテーマによる33の変奏曲」をとりあげたくらいだから、変奏曲が始まるといつも心うきうき、銀座のカンカン娘のように、ルンルン気分になるのだ。コース料理で前菜ではなく、いきなり「メインの魚料理!」が出てきたみたいな感じで嬉しい。ちなみにベートーヴェンは魚料理に目がなかったそうな。

変奏があとに控えているせいだろうか、この楽章の冒頭はゆったりとピアノが歌う味わい深い雰囲気。心落ち着く、しみじみとした楽想がとてもよい。そして比較的わかりやすい変奏。少し油断するとオリジナルテーマがわからなくなるようなこともなく、安心して聴いていられる。さすが変奏の達人ベートーヴェン、音の操り方のあざやかなこと。

【第2楽章】
間奏曲的なスケルツォ。またもや途中から始まったような曲想で、聴き手を煙に巻く。おどけた様子はいっさいなく、逆にきびきびとして緊張感が漂う。

【第3楽章】
有名な葬送行進曲。でも、このスケールは決して葬送向けと思えない堂々とした曲想だ。中低音による和音を伴う無骨な旋律が心の底に鳴り響き、中間部、高らかなファンファーレにも似た圧倒的迫力。高めの音色のフレーズは鐘の音にも聞こえてくる。ショパンがこよなく愛したといわれているこの楽章については機会を新たに書きたいと思う。

【第4楽章】
短い楽章だ。初夏の陽がこぼれ落ち、きらきらとした水しぶきのような音が終始楽章をかけずり回っている。そして、前半、後半と二度出てくる印象的なメロディに着目。あれ〜?どこかで聴いたメロディに似ているが…。そう! 中山晋平作氏作「証城寺の狸囃子(しょうじょうじのたぬきばやし)」のフレーズに少し似ているのである。

これは、私オリジナルの発見ではなく、次のサイトにおける話題で知った。

世界の童謡・民謡

※サイト内「そっくりメロディー研究室〜偶然の一致か?それとも・・・?」の中の「くりメロNo.001「証城寺の狸囃子」とベートーベン「葬送」」に、この話題がある。

たまたま、モーツァルトの「春への憧れ」について調べていたところ、同サイトに巡り会い、「ショッ、ショッ、しょうじょうじ〜、しょうじょうじのにわは〜」のメロディとピアノソナタ「葬送」との関連性についての記述を読み、驚いた。半信半疑で、バックハウス演奏のピアノソナタ第12番第4楽章を聴いて、思わず吹き出しそうになった。

ピアノ高音、そして低音で対のようにそのメロディを奏でている。明らかにこの楽章のメインテーマのひとつであり、小刻みな音の粒による装飾がからみ、きらりと存在感を放っている。といっても、決して全面には出てこないさりげなさが格好いい。中山晋平氏がこのソナタを意識したかどうか?まあ、単なる偶然だろうが、音楽の奇跡に私は猛烈に感動している。本当におもしろい。

以後、ふだん何気なく聴いてきたこのソナタが身近に思え、聴くたびに俄然おもしろくなってきた。あれ以来、iPODで、Macで、たびたび聴き続けている。第4楽章をきっかけに、他の楽章、特に第1楽章のしみじみとした味わいが大好きになり、第2楽章の少し素っ気ないけどキビキビとした音楽に惚れ、敬遠し続けてきた第3楽章「葬送行進曲」にも聴くたびわくわくさせられている。

このソナタは、全曲聴いても20分足らずと、比較的気楽に聴ける長さ。第1楽章が7分、第3楽章が5分、第2楽章、第4楽章は各々3分に満たないコンパクトサイズ。まだ聴いたことのない方は、ぜひ一度おためしを。ファンの皆様、久しぶりにいかがですか?


★私の聞いたCD

POCL-4735/8
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集 収録
ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)

★著作権フリー音源

ベートーヴェン – クラシック音楽mp3無料ダウンロード 著作権切れ、パブリックドメインの歴史的音源

http://classicalmusicmp3freedownload.com/ja/index.php?title=ベートーヴェン

※ベートーヴェンの各種音源がある。
 12番は、ギーゼキング(1949年録音)、ケンプ(1951年録音)、シュナーベル(1932年ー1935年録音)、ナット(1955年録音)、バックハウス(1950年録音)、ランドフスカ


【iPhone、iPad用アプリ】
「ベートーヴェン全曲 ピアノソナタ シンクスコア」 600円

ベートーヴェンのピアノソナタといえば、面白いiPhone、iPad用アプリを見つけました。音源と楽譜がユニットになっているユニークなアプリです。音源は、著作権フリーでケンプ演奏。画面には楽譜が表示され、再生中に譜面の該当部分がスクロール表示されます。音楽を聴いていると、楽譜を見たい、と思うこともしばしばありますが、そういう時に実に便利。私も本日この稿を書くにあたり利用してみました。楽しいです。興味のある方はぜひAppストアをご覧ください。

※他に弦楽四重奏、ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ もあります。

モーツァルト
フルート協奏曲第1番
ト長調 K.313(K.285c)

モーツァルトのフルート協奏曲は二曲存在します。けれど、第二番は、オーボエ協奏曲とほぼ同じもので、出来たのはオーボエの方が先ですから、その意味では、純粋なフルートのための協奏曲とはこの1番が事実上唯一ということになります。

モーツァルトがフルート嫌いなのは有名ですね。その理由はフルートという楽器がまだ発展途上にあり、当時は音をコントロールすることさえもとても難しかったことを頭に置いておかなければなりません。あの頃のフルートは、木の筒に穴を開けただけのシンプルなものでした。今日のフルートとは比べようもありません。

しかし、嫌いなわりには、いい曲が多いのは、やはりモーツァルトならではでしょう。室内楽作品はいずれも軽いタッチで気軽に聞けます。もちろん短い音楽の中に明もあれば暗もある深いさが魅力です。特にフルートの音色の奥行きが感じられます。


前項で出てきたフルート四重奏曲(フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)のケッヘル番号は285(第1番)で、他に285a(第2番)、285b(第3番)があります(第3番は「セレナード」K.361の編曲ということでモーツァルト作がどうかについて疑惑あり)。協奏曲第1番にK.285cという番号もついていることから、一連の創作なのです。

依頼主はマンハイムの金持ちでアムステルダム人ド・ジャン。自らもフルートを吹く音楽愛好家です(協奏曲第2番もK.285dですから、合計5曲ジャンのために書いたことになります)。もともとは、フルートのための三曲の小さなやさしい短い協奏曲と二、三曲の四重奏曲を書いてくれたら200グルデン(=現在なら60万円くらい?)支払う、という話でした。モーツァルトが完成させたのは、二曲の協奏曲と三曲のフルート四重奏曲。

依頼主がお気に召さなかったか、期限に間に合わなかったかは定かではありませんが、彼はほぼ半額96グルデン(=29万円くらい?)を謝礼として受け取ります。ここからは私の想像で、学術的根拠はないので、単なるmusikerのお話として受け止めていただくことを前提に述べますと…。

結局、ド・ジャンは「やさしい小さな協奏曲」と言ったのに、モーツァルトは、決してやさしくない、結構なボリュームの協奏曲を書いてしまった。それがジャンは気に入らなかったのではないでしょうか。自分が演奏したかったのにちょっと難しいし、長い。「こんな長い曲吹き続けられないじゃないかい。どうしてくれるんだい!」とあからさまにクレームをつけられない。メンツもありますしね。だから謝礼をディスカウントさせたんじゃないか、と想像するのです。「フルートと管弦楽のためのアンダンテ ハ長調」(K.285e)は、協奏曲第1番の第二楽章として差し替えるために書かれたのではないかという説もあるようです。


【第1楽章】 Allegro Maestoso  約9分半
モーツァルト協奏曲のお約束、管弦楽の前奏が2分続きます。1分間の試聴ではフルートを聞けない「試聴用サンプル」泣かせ。もう少し考えて作ってもらわないと…、とモーツァルトにクレームをつけたくなります(笑)。軽快なマーチを思わせるフルートの音色に、心がおどります。小鳥のさえずりのような小刻みなメロディが心地よく、また、管弦楽の伴奏も小気味よいです。中間部は短調になり音階を巧みに飛ばしちょっと影のある音色を演出。軽快なメロディに悲哀が加わるというわけです。最後はフルートの素晴らしいカデンツァ。これは圧巻。

【第2楽章】 Adagio ma non troppo 約10分
短い厳かな前奏の後、管弦楽と一体になったフルートが奏でるメロディのホント美しいこと。このぬくもりと厚みは、弦楽器、特にヴィオラやチェロの音色が醸し出しているのでしょう。主題の繰り返しではややフルートが前面に出てきます。こみ上げてくるこの情感は何だろう…。オケとの対話もやわらかく、澄みきった空のようです。中間部は第一楽章同様、少し影を帯びてきて、思慮にふけたくなるのですが、再び青空が見えてくる。控えめなフルートの音色をぜひ堪能しましょう。最後は美しいカデンツァ。カデンツァは美しい。でも、どことなく寂しい気分になるのはなぜでしょう?

【第3楽章】 Rondeau. Tempo di Mennuetto 約8分
終章は舞曲。活き活きとした流れるようなヴァイオリンのメロディ、そして低音楽器が刻む三拍子にのって、はしゃぎまわるフルートの音色、そして対話が心を洗うでしょう。低音から高音を自由自在に行き来し、駆け回るフルートが心地よいですね。特に、中間部のメロディが本当に見事で、味わい深いです。この楽章のカデンツァは短いのですが、前の二楽章とはまた違った魅力に富んでいます。カデンツァの後、主題の再現。ここでなお一層フルートが飛び跳ね、主役に脇役に活躍。最後は、管弦楽のみでフェードアウト気味にフィナーレ。

★私が聞いたCD
モーツァルト
クラリネット協奏曲 イ長調 K.622
 アルフレード・プリンツ(クラリネット) 録1972年
フルート協奏曲第1番 ト長調 K.313(K285c)
 ヴェルナー・トリップ(フルート) 録1973年、74年
ファゴット協奏曲 変ロ長調 K.191
 デイートマール・ツェーマン(ファゴット) 録1973年
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:カール・ベーム
ウィーン・ムジークフェラインザール

My Little Town
マイ・リトル・タウン 

マイ・リトル・タウン My Little Town」
アルバム 「時の流れに」第2曲 1975年

1973年発表になったアート初のソロ・アルバム「天使の歌声 Angel Clare」には時のシンガー・ソングライターの最新作やトラディッショナルな名曲、ハイチの民謡、バッハの旋律を元にした作品などが収められており、アートのヴォーカルが光る秀作です。特にランディー・ニューマンが書いた「老人 Old Man」は静かな曲調の中にも力がみなぎる傑作で、アートの歌声がその作品の魅力になお一層輝きを与えています。このアルバムに残念ながらポールの作品は入っていないのですがアルバム裏に記載の参加ミュージシャン・リストの中(しかもメインではなく「その他」のミュージシャンの欄)のギター担当の最後にPaul Simonの名があるのです。

このようにソロ活動後もサイモンとガーファンクルの二人はかつての親友としての交友は続いていました。共同作業はしなくなりましたがお互いの音楽は意識し合っていたのでしょう。

アートがセカンドアルバム「愛への旅立ち Break Away」を録音していた同じ時期、ポールは「時の流れに Still Crazy After All These Years」を録音しており、別々のスタジオではありましたが二人は同じ建物の中でそれぞれの仕事に励んでいました。

1975年、そんな事は知らない一般ファンが「あっ」と驚く作品がシングルでリリースされました。

題名は「マイ・リトル・タウン My Little Town」、しかもサイモン&ガーファンクルの作品として発表されたのです(正確にはポールとアートそれぞれのシングルヴァージョンがありB面は各々の作品が納められているようです。
※日本版がどうであったかについては私の手元にはシングル盤レコードが残っていないため不明)。

元々これはポール自らの意志でアートのために書いた作品です。
「マイ・リトル・タウン My Little Town」についてポールはこんな風に語っています。

この歌は僕が彼にプレゼントするつもりで作ったんだ。アートにはこう言ったんだ、、
「君の取りあげる歌は良い歌なんだけど、甘めの歌が多いね。それがちょっと不満なんだなぁ。少し毒気のある歌を書くから君のアルバム用にプレゼントさせてくれ」

アートはたぶん嬉しかったと想像するのですが、少しクールなコメントを残しています。

「提案を受け入れよう。ちょうど次のアルバムには色々な形式の歌を取りあげようとしているところだ。きっとポールの歌が最も僕の興味深いものになるさ、、」

ポールはアートに歌を教えます。その過程でアートはこう考えるのです。中間部分はハーモニーにする方が効果的だと。それはまさにかつてのS&Gのサウンドにぴったり。まるでポールと一緒に歌っていた時の感覚みたい、、、だと。

こうして「マイ・リトル・タウン My Little Town」は久々のサイモン&ガーファンクルの作品として世に出ることになります。

歌は二人のアルバムにそれぞれ収録されます。アートの「愛への旅立ち Break Away」ではB面の第1曲目(CDでは7曲目)に、ポールの「時の流れに Still Crazy After All These Years」では第2曲目に。同じ歌がそれぞれのソロアルバムに収録という珍しいスタイルに、ファンは驚きましたが、ポールとアート二人のアーチストが各々特徴あるアルバムを楽しみ、しかも一曲のみとはいえS&G再結成という出来事に感無量だったのです。


ところがサイモン&ガーファンクルの歌というのに、聞こえてきた曲は、全く想像を超えた別のサウンドでした。ピアノ低音部をまるで打楽器のように使用した印象的なイントロが力強いです。アコースティックギターのストロークは入り、厚みのある二人の声が聞こえてきます。

In My Littel Town(1975年)
(原文は省略。迷訳:musiker)

僕の小さな街で
ずっとこう信じて成長した
人は神様に見守られていると
(※見張られている?という意味もこめているとも思える、、、)
でも時々神様は圧迫してくる
壁に向かい忠誠を誓うとき、そう感じた
神よ、僕は思い起こす
あの小さな街を

放課後家に向かう
自転車をすっ飛ばし
いくつもの工場の門を走り抜けて
ママは洗濯中で
僕らのシャツを
薄汚い風の中になびかせていた

God keeps His eye on us allの箇所でハーモニーが聞こえ、特に感動したことを覚えています。それにしてもいきなりフェイントともいえるコード進行。
印象的な転調に続き、to the wallで、最初のコードに戻るあたりで妙な安心感を覚えます。

ところが Coming home after school では今度は変則リズムです。
こういう音楽展開をポールは以前決してしなかった。明らかにソロ活動以後のポール・サイモンの味が出ていると、わずかここまでの展開でわかるのです。

僕らのシャツを汚い風(dirty breeze)にママが干していたという光景は、映画のようです。またこの箇所のハーモニーの美しさはさすがサイモン&ガーファンクルですね。納得し感激したものです。次のフレーズも虹が見えるようです。イマジネーションの箇所の三拍子も、曲に変化を与え新鮮な感じがします。

雨上がり
虹が見えた
でも色はみな真っ黒
色がなかったわけじゃない
ただ想像力が欠けていただけさ
何も変わっていない
僕の小さな街

虹が黒く見えた。しかもそれはイマジネーションの欠如とは、よほど空が汚かったのか、それとも主人公の心に色というものがなかったのか。いずれにしても考えさせられる表現ではありませんか。

死人と死にかけの人しかいない
僕の街には
死人と死にかけの人しかいない
僕の街には

そして歌のサビ、というかこの歌の主題といってもよい次の箇所の意味。重い意味です。死人と死にかけの人間しかいない町。世界のどこかにはこんな町がまだ多く存在するでしょう。一方実際の生死の意味ではなくとも、死というものを、別の事柄に置き換えて見てみると、考えさせられます。二人の歌いぶりも、より一層力が込められています。

主人公は栄光を夢見て成長していきます。おそらく彼はこの町を出て、人生を送っているのでしょう。彼は自分の故郷に戻ってきて、懐かしさと共に、何も変わっていない絶望感という、ふたつの気持ちが交差します。そして、少年時代の思いを、再び思い起こしているのです。

僕のいた小さな街では
僕は単に親父の息子という以上の存在じゃなかった
お金を貯めながら
将来の栄光を夢見て
銃の引き金にかけた指のように
ぴくぴくと震えていたんだ

この箇所は哀しい。ハーモニーが美しいだけになおさらその哀しさが強調されています。しかしSaving my money Dreaming of gloryの部分のやるせなさは力となって Twitching like a finger On the trigger of a gunという夢へと進むのです。少年の希望はどこへ向かっていったのか?ターゲットめがけて走り続けられたのでしょうか。

今も変わらない故郷にうんざりしながらも、何も変わっちゃいない故郷に安堵する複雑な気持ちは、最後のフレーズにこめられているような気がします。

Leaving nothing but the dead and dying
死人と死にかけの人しかいないまま
Back in my little town
僕の町はあの頃と同じ

抑圧され一歩間違えば爆発しかねない少年時代の精神状態、そして将来への不安と希望、郷愁、母への愛など、さまざまな要素を短い言葉を使って、巧みに表現するポールの詩。この歌こそサイモン&ガーファンクルで歌うべきだと判断し提案したアートの優れた洞察力。ダイナミックなメロディとアレンジによる重厚なサウンド。そして忘れてならない二人の絶妙なハーモニーとヴォーカル。

「マイ・リトル・タウン My Little Town」はサイモン&ガーファンクルとい枠を超え、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルという二人のアーチストの優れた共同作業によるまさに傑作ではないでしょうか。



Still Crazy After All These Years
時の流れに

今私の目の前に一枚のアルバムがあります。懐かしいアナログLPレコード。買ってから既に27年以上経っているのに、汚れもなく、あの時のそのまま。
ポール・サイモンの「時の流れに/Still Crazy After All These Years」緑色っぽい帽子をかぶってどこかのビルの外階段に立つポールが、30cm×30cmのクリーム色のジャケットの真ん中に縦長の写真で写っています。タイトルは写植文字でなく手書き。
時は1975年。昭和50年です。この時代を懐かしく感じる世代と私は同世代です。日本が成長期まっただかで元気、行く先は夢しかない、そんな時代でした。
レコードに針を落としたとたん、不思議な気持ちになりました。イメージしていたサイモン&ガーファンクル風音楽とは全く別の世界がそこにあったからです。音楽だけではなく、詩も、アレンジも。何もかもが違うのです。少しやりきれない気持ち、、、。だから最初は積極的に聞かなかった。
でも、数ヶ月経過した頃、部屋にいると不思議と手がのび、以後何度も何度も聞きました。決して孤独な気持ちを癒してくれるアルバムではないし、むしろ聞いていてますます孤独感が増してくる。とりわけタイトル曲の複雑な雰囲気。三十年近い年月の後、このアルバムが最愛の友になることなど、知らないまま、板橋の木造アパート四畳半の部屋には毎夜この歌が流れ続けました、、、。


印象的なエレクトリックピアノによる味のある前奏。このサウンドに誰も心奪われることでしょう。この魅力たっぷりの前奏に続きポールの少しけだるい歌声です。

  Still Crazy After All These Years

  昔の恋人に会った
  昨日の夜、通りで
  彼女は喜んでくれ
  僕も微笑んだ、ただ素直に
  懐かしい昔の話に花が咲く
  二人でビールを飲みながらね
  何年も経ったけれど、まだ夢中なんだな
  時が流れても、まだ、、、
  (※訳=musiker。原文は非掲載)

映画にもなりそうなこの場面。実は本当の映画のワンシーンだそうです。私は見ていませんが、いずれにしても前の恋人(ポールの場合はかつて結婚し共に暮らしていた相手)と道で会って、こんな展開があるのか、どうかはわかりませんが、ロマンチックですよね。しかもビールを飲みながら昔話ですよ。大人の世界です。
この歌に感じた良い意味での「違和感」。おそらくそれはポールのサウンドとしては聞き慣れないコード進行の仕業ですね。メインコードと補助的コードがmajor、7th、major7の組み合わせで微妙に変化しています。三拍子のリズムも効いていて流れるように進みます。絶妙の和音展開にぴったりとはまるメロディ。しかも、1コーラス最後の和音が5度和音のマイナー、驚き!ベースの一音でとどめをさされます。上の1コーラスを聞いただけでそれこそ crazy になるではありませんか!

  僕は社交的ふるまいのできる男じゃない
  流れに身を任せるだけなんて、、
  人の世の常識ってやつにね
  ラヴ・ソングのささやきにも
  だまされるもんか
  いつまでもこんな馬鹿なのさ
  時が流れても、変わらない

誰もが常識と思われるような手口にははまらない。この人物は、信念の芯で、普通の人と少し違った考え方をするようです。世間の常識とか先入観とは無縁。恋愛も同じようです。彼のパートーナーは本当に大変でしょう(?)。この二番目の歌詞は I Am A Rock を少し思い出しませんか?あの若者は少し大人になりました。少しは包容力のある大人になったけれど、相変わらず変わっていないようですね。
9thコードでストリングスが代わりサビの主和音はメインコードを全音上げた「とんでもない」転調になります。サビの部分のコードの流れも見事です!

  朝方の四時
  疲労困憊
  あくびが出る
  人生なんて消えてしまえ
  憂うなんてまっぴら
  心配する必要など、これっぽっちもないのさ
  結局、みな消え失せるんだから
  
酔った頭、夢心地の中「人生なんてくそ食らえ!」って叫んでいる感じですか?ふだん思慮深い彼もさすが飲み明かした後はこんな気分になるんですね。
(または朝まで仕事かも?)
“Crapped out、Yawning”の部分のメロディの半音展開がいいですね。ポールお得意の「朝の四時」がまた出てきました。朝方まで飲み明かし、この時間帯に彼はよく道を歩くんでしょうか。Feelin’ Grrovy (五十九番街橋の歌)でも小石を蹴飛ばしていましたし(笑)。
サビの歌が終わると間奏です。夢遊病者のように不気味にさまようフルートの音色。頭が混乱し視線も定まりません。行き所のない気持ちでしょうか、、。そのやるせなさを一気に払拭させるように、サクスフォンが歌います。素晴らしい!余計なコメントは一切不要。ただ、ただ、お聞きください。
見事な間奏の後、エレクトリック・ピアノとドラム、ベースのシンプルな伴奏に戻り、場面は室内へと変わります。やはり(?)彼は窓から外を見ています。

  窓際に座り
  道行く車を見ている
  ある晴れた日、僕が何か過失を
  しでかさないとも限らない
  でも裁かれるなんてご免だ
  僕以上でも、僕以下でもない奴らから
  裁かれるなんて馬鹿げている
  何年も過ぎようが
  みんな狂っているのさ

自分がいつの日か交通事故か何かを起こさないとも限らないという「恐れ」を抱く、実に内向的な表現になっています。でも、彼は内向的な気分を「陪審員」への挑戦的態度で発散させます。自分に似たり寄ったりのレベルでしかない人たちに裁かれるなんてイヤだよ、といっているのです。それにしても突然裁判の話が出てくるのが不思議ですね。
最後に何度か Still Crazy と繰り返し。つぶやきです。この歌の伴奏の主役エレクトリックピアノとていねいに歌い締めくくるポールが印象的です。


今日の文はやたらとコード名が多くギターやピアノを弾かない方には心地悪い表現になっているかもしれません。この歌が、不思議な魅力にあふれている理由のひとつが、めまぐるしく変わる和音展開なのだと書きたかったのですが、うまい表現を考えつきませんでした。でもまあ、理論など知らなくとも音楽そのものが語ってくれます。
この流れるような音楽は、ニューヨークという都会の光景、そして人間を「プリズム」のように、ポール・サイモンが表現しているのだ、と私は信じています。

最後にいつものように『伝記/サイモン&ガーファンクル』(ヴィクトリア・キングストン著)日本未刊行 ’The Biography Simon & Garfunkel’ by Victoria Kingston に掲載の文章を引用します(意訳:musiker)。

ほら、僕は毎日働いている。常に間違いを犯さないように、自分の知る限り最善の方法でことにあたる。有名にもなったけれど、悪口をいわれて内面的にボロボロの僕については誰も知らないのさ。ツアーに出かけたり、精神科医の世話にもなった。恋愛や結婚の経験もしたし、それが原因で奈落の底に落とされた。ここ数年間の痛みとトラブルの数々、こういうすべての経験。君もわかってくれるよね、少しは。僕はやっぱりクレイジー(であり続ける)なんだ。

最後の I’m still crazy は、「狂っている」=「狂気」と解釈してもさしつかえありませんが、それは決して後向きな意味だけではなく、前向きな「夢中」という意味合いにも受け取るべきです。色々な事があったけれどすべて自分の人生。日本的表現でいえば「人生悔いなし」でしょうか。
I’m still crazy本当に粋なカッコイイ表現ですね。

ザ・ビートルズ 最後のアルバム「アビー・ロード」

ザ・ビートルズの最後のアルバムは発売年月日としては、「Let it Be」です。でも、実際最後に録音されたのは、この「アビー・ロード」でした。この頃四人は既にバラバラの状態だったのですが、このアルバムで最後のグループとしての連係プレーをしてくれたのでした。
Come Together、Something、Oh Darling、Here Come the Sunをはじめとした名曲が多いのですが、私はB面(といっても今はCDですからB面などという区別は死語でしょうか?)の You Never Give Me Your Money から始まる連作が好きです。コーラスやギターのソロ、リンゴのドラムソロなど、聞き所満載。
このアルバムはジャケットがいわくつきでした。アビー・ロードとは、ザ・ビートルズのオリジナルレーベルAppleのスタジオ近くの道の名前で、ジャケットには、その道の横断歩道を渡るビートルズ四人の写真が載っています。その四人の服装等から、ジョンが神父、リンゴが葬儀屋、ジョージが墓堀人、そしてポールが死人(彼のみ裸足だった)という、解釈がなされたのでした。ちょうどその頃、ポールが死んだという悪い噂が世界に流されていましたので、その噂を更に助長しました。
ポールは今も生きていますのでそれは単なるデマだったわけですが、有名人たちは何かと物議を醸し出す話題を提供してくれるようです。本人たちとは全く無関係のところで。
余談はともかく、このアルバムはロック至上最高峰の内容だと思います。