サン・サーンス 「動物の謝肉祭」 ※室内楽ヴァージョン Saint-Saens Le Carnaval des Animaux

音楽の授業では必ず取りあげられたはずのこの作品。これほどわかりやすく、親しみのある音楽も珍しいでしょう。クラシック音楽という分類なんか忘れててしまいます。

13曲で構成されるこの組曲はサン・サーンスの友人の夜会で演奏する目的で書かれました。初演と数回の演奏ではサン・サーンス自らピアノを弾き、当時有名な演奏者が参加したといわれています。

しかし数回の演奏会を後に彼は生涯二度と自ら演奏しなかっただけでなく、一般における演奏も禁止したのです。もともと夜会向けきわめて私的に書いた作品ですし、いろいろな作曲家の作品をパロディ的に扱っていたこともあり、道義上納得いかなかったわけです。ですから楽譜が出版されたのも演奏会で公開したのも彼の死後でした。

オーケストラで演奏されるのが一般的な「動物の謝肉祭」の原点は上のような事情で室内楽でした。私はたまたまいつもの「アンサンブル」で物色していた際にアナログLPレコードを見つけました。

編成を見てみましょう。
(1) 序奏とライオンの行進 (2台のピアノと弦5部)
(2) めんどりとおんどり(クラリネット、2台のピアノ、ヴァイオリン第1、第2とヴィオラ)
(3) 野生のらば (2台のピアノ)
(4) かめ (第1ピアノと弦5部)
(5) 象(第2ピアノとコントラバス)
(6) カンガルー(2台のピアノ)
(7) 水族館(フルート、グラス・ハーモニカ、2台のピアノ、ヴァイオリン第1、第2、ヴィオラとチェロ)
(8) 耳の長い登場人物 (ヴァイオリン第1、第2)
(9) 森の奥に住むかっこう(舞台裏で吹くクラリネットと2台のピアノ)
(10) おおきな鳥かご(弦5部、フルート、2台のピアノ)
(11) ピアニスト(2台のピアノと弦5部)
(12) 化石(弦5部、木琴、2台のピアノ、クラリネット)
(13) 白鳥(チェロと2台のピアノ)
(14) 終曲(ピッコロ、クラリネット、グラス・ハーモニカ、木琴、2台のピアノと弦5部)

ピアノが2台あるので、それだけで骨格のしっかりとした音色になっています。オーケストラ版と比べるとこじんまりとした印象ですが、室内楽らしく個々の楽器の持ち味を堪能できて興味深いです。

堂々とした「ライオンの行進」、2台のピアノと弦5人だけでもこれだけ迫力ある音色になるのですね。「かめ」は有名な「天国と地獄」のメロディを弦5台でユニゾンで奏でます。不思議な気分です。

「象」のコントラバスのソロがイカすなぁ。「水族館」はグラス・ハーモニカという変わった楽器が使用されています。ガラスのコップを大きさの順に並べて回転させ、それに指を触れて鳴らす楽器で、19世紀にはフランスでかなり愛されていたとのこと。神秘的な音色に虜にさせられます。

「森の奥に住むかっこう」の厳かなピアノの音に遠くで聞こえるワンパターンのクラリネットとのコントラストが笑ってしまいます。「大きな鳥かご」の美しいフルートには心奪われます。私の聞いたレコードでは「ピアニスト」は少しおふざけがはげしいけど、下手くそな演奏が妙にいい味を出します。

色々な歌曲が混ざっている「化石」、木琴の音が効きます。クラリネットのユーモラスな音色も楽しい。誰もが知っている美しいメロディの「白鳥」、チェロの音色を充分味わってください。バレリーナが必死に踊る光景を思い浮かべます。「終曲」は「序奏」と同じオープニングですが、その後の調子のよいテンポやピアノの活躍などが気持ちいいフィナーレです。

モーツァルトはドイツ人か

先日Yahooで発見した話題の中に興味深い記事を見つけました。ドイツでモーツァルトがドイツ人かオーストリア人かの議論が巻き起こっているというのです。発端はテレビ局の企画で「最も偉大なドイツ人は誰か」というアンケートを実施したところモーツァルトが300票獲得したことでした。
ま、遠い遠い極東の我が国からすれば正直言ってどーでもいい話題なのですが当事国にとっては大問題のようです。

★モーツァルトは現オーストリア領内が活動の拠点だった
モーツァルトは1756年ザルツブルクという街に生まれました。神童として父親とヨーロッパ各地を旅して廻る旅芸人みたいな生活を経た後、ザルツブルク大司教に仕える音楽家になります。しかし窮屈な生活に嫌気がさしてウィーンへ飛び出て、宮廷音楽家になることを夢見つつ数々の名曲を書きます。活躍、そして挫折(というよりも彼の音楽があまりに新しすぎてウィーン人がそれを受け入れることができなかった)。35歳の若さでなくなるまでモーツァルトはウィーンに生きました。
ということで神童として欧州全土を旅していた時期以外の彼の活動拠点は確かに現オーストリアになります。現代的感覚でいえばドイツ人ではなくオーストリア人です。現にこのアンケートにクレームをつけたのは在ドイツのオーストリア大使館でした。
しかしドイツ側の主張は、モーツァルトが生きた時代(1756-1791)オーストリアという国そのものが存在せず、ザルツブルクもウィーンも単なる神聖ローマ帝国下の町である。だからオーストリア人ではない、という理屈なのです。(※正確にいえば当時ザルツブルクは一種の独立国であり、大司教国でした)

★オーストリアは1806年、ドイツは1871年にそれぞれ誕生
西洋の歴史に疎い私は改めて調べてみました。オーストリア帝国が誕生したのが1806年。一方ドイツ帝国が誕生するのは1871年なのです。その後戦争やら紛争が繰り返され19世紀と20世紀はドイツとオーストリアにとっては混沌とした時代でした。第二次世界大戦後オーストリア共和国が誕生し、ドイツは長い間ドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国の東西ドイツに分かれた後に21世紀になる間際、感動的なベルリンの壁崩壊を経て統一国ドイツになります。
でもこれはあくまで政治的な意味での国家としてのドイツとオーストリアのお話。ドイツもオーストリアも文化的な意味合いとしては国が誕生する以前から長い歴史があります。

★ドイツ人にもモーツァルトがドイツ人だという感覚があるのか?
まあ、事実はこんなところです。結局ドイツ側の言い分もオーストリア側の言い分も両者どっちもどっちだと思います。しかし、ドイツ側の主張は少しへ理屈のような印象を受けます。同種のへ理屈で対抗するなら、ゲーテやベートーヴェンも厳密に云えばドイツ人とはいえなくなります。しかし現代人がゲーテとベートーヴェンの出身国をいうとき、誰もがためらいもなくドイツといいます。
少し次元の低い例をあげましょうか。私はオーストリアとドイツを何度も訪問しています。オーストリアはことある事にモーツァルトを自国の音楽家としてアピールし、名物等にいろいろ彼の名を使っています。しかし、ドイツでモーツァルトを同種の目的で使用している例には一度もお目にかかったことがありません。ドイツ人の意識の中ではお国の音楽家はベートーヴェンであり、ワーグナー等というのが一般的な常識のように思えるのです。
もっとも私の訪問した土地だけからの印象かもしれませんので、何ともいえませんが、感覚としてはそうなのです。それなのに、先のテレビのアンケートの結果を見ると、現代ドイツ人がモーツァルトを自国の音楽家だと認識している人もいるという事実。このギャップに驚きます。

★ドイツ文化が生んだ偉人、そして世界の宝モーツァルト
そういえば音楽の歴史では、ドイツ音楽の範疇にモーツァルトは入っています。音楽史の観点からなら全く違和感はありません。また、モーツァルト自身だって必死にドイツ民族のためのドイツ語によるオペラを持つべきだと主張しました。彼はドイツと西方(主にイタリア)との対比で音楽をとらえていたといいます。ですからドイツ「文化」の偉大な人物という見方をすれば、このアンケート結果は、別に不思議でも何でもないのです。
まあ、歴史と人間との結びつきは大変奥深いものがあるということを教えてくれた出来事でした。日本やアジアだって微妙な関係がありますし、まして遠いヨーロッパのこと、我々が知り得ない深い何かがあるのでしょう。
いずれにしてもモーツァルトは世界の、いや地球の生んだ偉大な音楽家。彼の残してくれた音楽に、私たちは一生酔いしれようではありませんか。

【註】ちなみにグローヴ音楽事典(コンサイス版)では、モーツァルトは、オーストリアの作曲家(Austrian Composer)と記載されている。ベートーヴェンはドイツの作曲家(German Composer)。当たり前か?

長野県飯山市に流れたモーツァルト

★長野県最北端の飯山市
長野県は縦に細長い県である。最北端の栄村から最南端の根羽村までおよそ直線距離にして約200kmある。北から南まで高速道路を使えば2時間半ほどで走り抜けられるが、山が多いため、普通道や列車を使うととてつもない時間がかかる。
最北端の栄村の隣に飯山市がある。新潟県に隣接した雪国である。人口約26,000人。江戸時代までは千曲川を利用した舟運や越後へ続く街道を使った物流拠点として栄えたが、明治以後信越線の開通により拠点としての機能はなくなる。以後は農業を中心に、飯山仏壇、内山紙などの伝統工芸をはじめとする地場産業により発展。斑尾・戸狩などのスキー場があり、スキー用具の製造地でもある。
長野市から列車で行けば1時間ほどの距離にあるのだが、長野市とは全く別の風景になる。これは驚くばかりだ。こんなに近いのに別世界(もっとも長野は市街から少しはいると豊かな自然。その豊かさは半端ではないのだが、、)。飯山には冬に「いいやま雪まつり(2月)」という有名なイベントがある。冬はスキー客などで賑わうが夏はそれほど人も観光客も多くなくここはまさにのどかな田園地である。

なんだか飯山市の観光PRのような文になったが本題はこれからだ。
この飯山市を約20年前、1984年秋にウィーンの音楽家たちと訪れた。音楽家たちはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバー(現役あるいは引退したメンバー)を中心とした室内楽団であり、本場ウィーンで活動していた一流の音楽家たちである。ウィーン楽友協会のホールと、当時できたばかりの長野県県民文化会館との姉妹提携(楽友協会が姉妹提携に応ずるのは前代未聞だった)事業の一環として長野県に招待されたのだ。

★ポンコツバスでの道中、そして超シンプルな会館
相当古いポンコツバスでメンバーと長野から向かった。旧式のエンジンで、乗り心地も最悪だった。長い飛行機旅行、時差ぼけ、東京からの移動(当時はまだ「特急あさま」で上野から片道3時の旅)、連日のハードスケジュールで疲れていたウィーンのメンバーたちの表情が堅い。「まずい……」と私は思った。
ところが、、飯山市に近くなりあたりの景色を見るにつれて、彼らに笑みが戻ってくる。そう、緑豊かなこの地が、まるで故郷のオーストリアの田舎の景色に似ていて、心がなごんだのだ。
飯山市の市民会館に到着する。そこは本当に昔ながらの会館であった。シンプルで今みたいに設備も整っていない。舞台袖から階段を上った所にある控え室は引き戸の古びた部屋で、折り畳み式のテーブルとパイプ椅子。紺色の湯飲み茶碗とポット。本当にクラシックな日本の控え室(こういう表現でわかってもらえるかな?)。とてもウィーンの一流の音楽家に使ってもらうような部屋ではない、とその時は正直思った。内心困ったのだが、どうしようもない、、。
でも、彼らは文句のひとつもいわない。それよりステージでのリハーサルに余念がない。やがて開演時間がやってくる。会場にはたぶんそれまで一度もクラシック音楽、それも室内楽曲の生演奏など聞いたことのないであろう聴衆が大勢集まってきた。老若男女、子供もいる。会場は満員とまではいかなかったが7割程度埋まっている。

★第一楽章終了後の拍手喝采
ステージへメンバーが出ていく。大拍手。やがて演奏が始まる。モーツァルト「ピアノ四重奏曲第一番」である。冒頭からピアノと三本の弦楽器がユニゾンでテーマをダイナミックに奏でる。きびきびとしたいい曲である。聴衆もじっと聞いている。彼らの耳や心にはこのウィーンの音楽家たちが奏でるとてつもなく美しく柔らかな音色はどう響いただろうか。
第一楽章が終わる。ここで!私の最も恐れていたことが起こる。盛大な拍手がわき上がったのだ。それは大喝采といっていいほどの拍手である。拍手は鳴りやまないのだ。ううう、困った。ステージのメンバーを見る。彼らは苦笑している。まさか席を立ち拍手に応えるわけにはいかないから困っている。しばらくすると拍手は納まった。

第二楽章が始まる。今度はスローテンポの美しい楽章。ピアノの華麗な指裁きと繊細な弦楽器の音色のハーモニーが美しい。夢心地で第二楽章の演奏は終わる。さて、ここでも拍手が起こる。ピアニストは微笑みながら会場を見渡し少しだけうなずくしぐさを見せる。「ありがとう、でもまだ終わりじゃないからね、、」といいたげに。
快活な第三楽章が終わる。スリルとサスペンスの時間は終わった。割れんばかりの拍手だ!「いいんだよ、いいんだよ、今度はいくら拍手してもいいんだよ」ここで初めて私が胸をなで下ろしたのはいうまでもない。

★オーストリアやドイツだって同じさ

だが私の悪夢は続く。結局その日は最初から最後まで楽章が終わるたびに拍手が起こった。でも、メンバー達は皆嬉しそうだった。演奏会のマナーはともかく、自分たちの演奏を喜んでもらえたことに感動していたようだ。
帰りのバスの中、メンバーの一人はいう。「拍手のことかい? オーストリアや、ドイツだって、田舎なら同じようなものさ」間髪開けず別のメンバーが話しに加わってきた。「楽章の区別がつくかどうかは、知識の問題だからね。クラシック音楽を初めて聞く人だって多かったんだろう?それなら仕方がない。それより音楽を楽しんでもらえたのか、この会場に来て聴衆たちは幸せだったのか、それが大切なのさ」「……………………。」
拍手が起きるたび凍え、恥を感じていた未熟な自分を、私は恥じた。
私はこの作品を聞く度に、飯山のあの会館と、人々の満面の笑み、そして楽章毎の拍手がよみがえる。それにしてもあの時のモーツァルトは最高の演奏だった。あんな演奏は一生聞けないかもしれない。

マーラーの交響曲5つ魅力

マーラーに出会ったのは偶然だった。
今から25年ほど前、小澤征爾という日本を代表する指揮者(と私がいまさら書く必要性はないのだが)の指揮で、スタバトマーテルという曲の合唱団として参加することになった。リハーサルに及んだその夜、彼の音楽性の魅力にとりつかれた。そして、帰りに駅前のレコード店に寄り、小澤征爾指揮のレコードを探した。そして買ったのが、マーラーの「交響曲第一番」だった。日本語訳のサブタイトルが「巨人」だ。何となく、幻想的なイメージを抱いた。そして音楽も、本当に幻想的だった。
それから第二番を買い、やがて社会人になってすぐ、再び小澤征爾氏の指揮で、マーラー「交響曲第八番・一千人の交響曲」を歌い、ますますマーラーの虜になった。その後、四番、六番、七番、三番、九番、十番、大地の歌と続いた。オーケストラや指揮者の組み合わせも各種様々。やはりマーラーといえば、交響曲である。
マーラーの交響曲の魅力はどこにあるのだろう? 学問的な分析はできないので、あくまでも印象批評となるのだが、次の5点がその特徴だと思う。

壮大なスケール
第一に壮大なスケールだ。昔ヨーロッパ各地を回る仕事をしてきた。欧州にはどこにも牧歌的な田園風景がある。その風景をマーラーの音楽が感じさせる。しかも雄大な風景だ。そして、どちらかというと、東欧の風景が似合っている。彼がボヘミヤ地方の生まれであるせいなのかは定かでないが。

民族色の匂い
第二に、その牧歌的な雰囲気に結びつくのだが、メロディのどこかに、民族的匂いが漂っている。古典派、ロマン派といわれている作曲家たちとはすこし違う匂い。第二楽章、三楽章あたりで登場するメロディがそれだ。マーラーの交響曲を聞くのは体力勝負だ。気軽に聞けるような長さではない(短くて40分、一番長いのは1時間半)し、嵐のような激しい管弦楽の絡みと勝負するには、並大抵の精神力では太刀打ちできない。どの交響曲も第一楽章はそうだ。すると、第二楽章や第三楽章の軽快なリズムにのった牧歌的で民族的な音楽に出会うとほっとするのだ。憎い演出ではないか。

映像的
第三は映像的な点。音楽が映像的であるだけでなく、映像と見事に合うのだ。マーラーの曲が映画に使われている例は多いらしい。代表的なところでは、海外映画では「ヴェニスに死す」。日本映画では、伊丹十三監督作品「タンポポ」に効果的に使われている。確かに、マーラーの交響曲と映像は見事にマッチすると思う。

大編成
第四に、楽器編成が大げさで大編成な点。これは長所といっていいかどうか苦しいところだが、長所短所の両面を持っているだろう。弦楽の数はモーツァルトの頃の二倍は必要だし、管楽器も必ずフル編成。時には、トランペット10本、ホルン8本なんてこともある。ステージ上だけではない、観客席3階にブラスアンサンブルとか、舞台袖のトランペットだとか、「一千人の交響曲」に至っては、合唱団が混声合唱2、少年合唱団1と合計三つの合唱団が必要だ。交響曲第九番には、弦楽合奏団が2つ。プロモーターはたまったもものではない。金がかかりすぎる。聞く方は豪華なのは大歓迎だけれど、、。

美しくも妖しいメロディ
そしてなんといっても、そのメロディの美しさには、だれもが心奪われるに違いない。この美しさは、モーツァルトやベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどとはひと味違う美しさなのだ。どこか官能をくすぐられるというか、妖しげで、なんともいえない。

さてマーラーのCDは多数出ている。それだけ需要が多いのだろうが、その中でどれを選べばよいか迷う。好みもあるので、どれが良いと特定できないが、これからマーラーを聴く人の道しるべとして、このweb版「クラシック音楽夜話」でも次々と紹介していく。Op.2ではまずバーンスタインの演奏を紹介する予定である。

【今日聞いている一枚】
グスタフ・マーラー Gustav Mahler(1860-1911)
交響曲第7番 ホ短調《夜の歌》 演奏時間約75分
Symphonie Nr.7 E-moll
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 Orchester:Berliner Philarmoniker
指揮:クラウディオ・アバド Dirigent:Claudio Abbado
録音:2001年5月 ベルリン(ライヴ・レコーディング)

CD・レコードと生演奏のはざまで

「コンサートに行きたい」と思っても、クラシック音楽の場合日本では毎日演奏会が行われているわけでもないから、無理な話だ。たまたま良さそうなアーチストが、運よく住んでいる土地に訪れることがあれば良いが、そんなチャンスはそうない。
アマチュアの演奏会ならけっこう頻繁に行われているが、こちらは音楽を楽しむというより、演奏している知人の晴れ姿を見て、両者で感動を共有する、友情(親族であれば愛情か?)という側面もある。中にはプロ顔負けの素晴らしい演奏をする団体もある。そんな演奏会が聞けるあなたは、幸せ者ですよ!
それでも!それでも、CDで聞く音楽より、やはりライブで、会場で音楽を聞く方が数倍素晴らしいのだ。私はこの頃強くそう感じている。
指揮者フルトヴェングラー氏も自著「音と言葉」の中で、「メカニカルな音」の音楽の問題を語り嘆いている。時は1930年代。「メカニカルな音」という意味がわからなく、戸惑ったがこれはつまりレコードとラジオのことだ。レコードとラジオで音楽を聞くのがごく普通の現代人には、ぴんとこないかもしれない。しかし、これは本質をついている。
クラシック音楽とは本来生演奏できくべきものだった。当たり前の話だが、ベートーヴェンの時代には生演奏以外に音楽を聞ける手だてはなかったはず。だから演奏会場で、演奏者と聴衆が同じ音と空間を共有した。
一方録音という技術は人間に途方もない恩恵を与えただろう。演奏者がそこにいなくても音楽を聞けるのだから画期的だ。しかし、この技術は、生で音楽を聞く機会を減らしていった。
レコードの存在を否定するのは現代ではナンセンスだ。技術の進歩で確かに音は格段に良くなっている。コンサート会場で聞くのと同じ臨場感や音質を感じさせる質はすでに手に入れている。だからどちらで聞いてもいい。
ただ、私たちは両者の違いを知るべきだ。コンサートつまり生演奏による音と、録音された音とは全く違うものなのだと。どう違うのか説明することは難しいが、それは演奏者と聴衆が共有する空間と空気の中における音の響のせいだろう。演奏者の息づかい、聴衆の息づかい(演奏中にはもちろん聞こえないけれど)。
先日実に10年ぶりにプロによる生演奏を聞いた。あの時聞いた音は、CDやアナログレコード、MP3による音とは全く違った。あまりにも当たり前の話で、読者の皆様は笑うかもしれないが、本当に感動した。
フルトヴェングラー氏の発言の受け売りかもしれない。しかし、私の独断的発 言を許して頂くとすれば、生音は、メカニカルな音の数倍、時には数十倍の付加価値がある。だってクラシック作曲家達は本来メカニックに録音されたものではなく、あくまで、生による演奏を想定して音楽を書いたに違いないから。