バルトーク ピアノ協奏曲第3番 PIano Concerto No.3, Sz.119

★バックハウスにピアノコンクールで敗れる…
バルトークはコダーイと並び、ハンガリーに昔から伝わる音楽の収集と研究を重ね、豊かな民族音楽のソースを使い独特の音楽を残した異色の作曲家です。彼らの音楽は聞けばすぐにわかる本当に独特の色合いです。東洋の音楽に通ずるところがあるからでしょうか、妙に懐かしい気分にさせられるのです。
バルトークは幼少よりピアノを母に習い、先生についてピアノと作曲を学んだそうです。若いときから才能豊かだったようです。ところで彼はピアノコンクールに出ています。1905年、パリのルービンシュテイン・コンクール。しかし勝利を獲得したのはあのバックハウス(ヴィルヘルム)でした。

失意でハンガリーに戻った彼は伝承音楽の収集を始めることになります。この伝承音楽の収集と研究の成果が音楽界に多大な貢献をしたのですから、挫折が必ずしもマイナスではなく、見事にバネにした典型的例ではないでしょうか。もちろんたゆまぬ努力、そしてバルトーク自身の才能があったからであることはいうまでもありません(バックハウスにバルトークが勝っていたら音楽の歴史はどう変わっていたのでしょうか興味深いはありませんか)。

★音楽の源泉を探りあて、更に独自の新しい音楽を創造
バルトークの研究が優れていた点は、収集した音楽をとことん調べあげ限りなくその源泉までさかのぼったことにあると言われています。音楽は地理的環境の影響を受け、時代の洗礼をうけています。ハンガリーの伝統的音楽も次第に西の音楽的要素が加わり原型はちっぽけなものになっていきます。彼はまさに失われつつあった民族の音楽の核を手に入れるのです。

こういう源泉を発掘するだけでなく、バルトークはそれら音楽の源泉を独自にアレンジし新しい音楽を創造します。ここがすごいのです。確かに彼の音楽は他の音楽家の誰にも似ていない独特の世界があります。ここのところ特にウィーン古典派を中心とした音楽を聞いてきた私の耳には非常に新鮮で、月並みな表現ですが、ワクワクするんです。

★晩年は不遇の日々
バルトークが1940年にアメリカに亡命してからの5年間は苦難の日々でした。祖国を愛していた彼が国を捨てるという行動に出たのはひとえにナチスの台頭による戦禍。母親が亡くなり彼はついにに亡命を決意するのです。

しかし亡命先のアメリカでも彼の音楽は一部の人々にしか受け入れられず、失意の中白血病に倒れました。祖国ハンガリーの民族音楽の魂に新たな息吹を与えた彼の音楽は本来普遍的なもののはずですが、その独特の音楽が、人々から指示を受けるためにはもうしばらく時間が必要でした。遺作となったピアノ協奏曲第三番は最後の17小節が未完のまま彼は1945年に亡くなりました。最後のオーケストレーションはバルトークの指示に従い、弟子のティボール・シェルリーが完成させたものです。

★スリルとロマンの両方を兼ね備えたコーフンものの音楽
この作品を始めて聞いた時の素直な感想をいわせてみらえば、
 「これ、本当にピアノ協奏曲?」
という感じです。確かにピアノは大活躍するし独壇場の箇所ばかり。しかし、ピアノがピアノという楽器というよりは、一種の打楽器のような印象を得るのです。88鍵の打楽器…。変な例えでしょうが本当なのです。ピアノという独立した楽器ではなくオーケストラのパートの一部のような。

特に第一楽章はこの印象が強く、じっと聞いているとハンガリーの奥深い森の向こうにありそうな未知の世界を覗いているような錯覚に陥ります。りりしい第一テーマ。シンプルですが、複雑に絡み合う音色とその音色と一体となったリズムが、頭の中で渦巻き、知らぬうちに興奮してきていることに驚きます。管楽器の雄弁さ。ピアノの怒濤の流れのようなアルペジオを伴奏に奏でられる木管楽器の不思議な哀愁帯びたメロディ。とんでもない音楽ですよこれは。なのに終わりはあっけなくフルートが印象的な声をたてて、中途半端に終わってしまうのは、妙な演出だ…。

第二楽章がこれまたいいんだなぁ。たぶんこの楽章はかなり聞きやすいでしょう。弦楽器による深い前奏。途中でフェイントぎみに妙なメロディが入りますが細かいことは気にしないでください。本題に入り寡黙なピアノによるメロディ、対話の相手は弦楽器です。ロマンチックで深い曲想ですね。ときおりフェイントぎみに妙な音も入ってきます。そこがまたアクセントになっていて微妙な余韻を醸し出すのです。中間部は第一楽章の再現のような木管楽器のざわめきが始まります。それにピアノも目を覚ましたように応える。この箇所はおもしろい!やがてこの楽章最初の音楽へと戻るのは再び眠りにつくためでしょうか。眠りにつくにしてはこのやるせないほどの情熱に、目がギラギラとしそう。そしてまたもや中途半端な終わりが…。ううっ、欲求不満になりそう。

二楽章続けてくれた欲求不満を解消するように第三楽章は騒がしく興奮もの音楽。ティンパニーの雄叫びがカッコイイ。そしてその後ピアノのソロ。これがほれぼれするほど見事なメロディです。思わず体を動かしたくなります。ピアノとリレーで弦楽器がややフーガ気味でつながります。以後ピアノと管弦楽が微妙に絡み合い、要所要所でティンパニーが小刻みのリズムを叩く。後は余計な説明をしている余裕はありません。頭の中では色んなメロディと和音、リズムが交錯し少々パニックになったり、パニックを感じたかと思えばウルトラロマンチックな曲想を挟んだり、そして再びスリリングな展開。休む暇もない音楽にきっと振り回され続けることでしょう。そして今度は、クライマックスは、ちゃんとスカッと終わってくれます(ああ、よかった…)。

★難関だが、バルトークの音楽の世界に一歩足を踏み入れると…
この作品、たぶん聞いて一度目は「?」だと思います。二度目は少しだけ興味をそそられることでしょう。でもまだ部分的にしか受け入れられない。三度目でようやく曲として全体を受け入れる心の余裕が芽生えます。本当に楽しめるのはこれからです。三度目まででこういう感じになれなければ、思い切ってここで聞くのを止めてください。CDをどこか奥底にしまうのもよし。人にあげるのもよし。でも出来ればしばらくしたらまた引っ張り出してきて聞いてみて下さい。

三度目までで運良く感覚的に受け入れられた方、さてその後?何度も聞いて下さい。いつの間にか、毎日聞きたくなっていることでしょう。おめでとう!あなたはバルトークという作曲家に少し興味を覚え始めたはずです。たぶんあなたは彼の他のピアノ協奏曲や管弦楽曲をそう遠くない将来聞いてみようとするでしょう。

でも、それからが意外に難関ですから覚悟して下さい。なぜなら「ピアノ協奏曲第三番」はバルトークの作品の中でも比較的親しみやすい方だからです。他の作品はてこずるかもしれません。でも恐れる必要はありません。そんな時はリズムと一体となった彼独特のメロディに、まず断片的にでも結構ですから耳を傾けましょう。それとこの音楽は頭だけではなく、体全体で聞いてみましょう。彼の音楽の根源には、民族が育んだ「生きた音楽」があるのですから。そうすると自然に音楽は受け入れられるはずです。

その先?私は知りませんよ。あなたはめくるめくバルトーク音楽の世界に足を踏み入れたんですから、もう抜けられません。ずっと楽しんで下さい。


【私の聞いたCD】
バルトーク「ピアノ協奏曲第3番」Sz.119
「弦楽器,打楽器とチェレスタのための音楽」Sz.106
 ※バルトーク最高傑作とされている超有名な作品です。編成がとんでもありません。2つのオーケストラ、小太鼓、シンバル、タムタム、大太鼓、チェレスタ、ティンパニ、木琴、ハープ、ピアノというユニークなもの。浮遊するような弦楽器のメロディが怖い第一楽章。スリリングな第二楽章。火の用心カチカチかと勘違いしそうな第三楽章。これもまた怖い弦楽器の独壇場。第四楽章はリズムが圧巻。すごい。
「管楽器のための2つの肖像」op.5,Sz.37
 ※この作品は第一曲目はベルトークが恋したヴァイオリニストに捧げた「ヴァイオリン協奏曲」の第一楽章。美しくも観念的過ぎて、こんな音楽を捧げられた女性はコロッと参ってしまうか、けんもほろろに無視されるかどちらかでしょう。バルトークは見事にフラれ、原曲の協奏曲は女の死後発見され初演となったそうです。バルトークはこの曲を転用し「2つの肖像」として発表したわけです。
指揮: ギーレン(ミヒャエル), ペスコ(ゾルタン), その他
演奏: シャーマン(ラッセル), 南西ドイツ放送交響楽団
アマゾンのリンク

ショスタコーヴィチ 「ピアノ(とトランペットのための)協奏曲第1番」ハ短調 作品35

ショスタコーヴィチ(1906-1975)
Dmitri Shostakovich  「ピアノ(とトランペットのための)協奏曲第1番」ハ短調 作品35  Concerto No.1 in C minor for PIano, Trumpet and Orchestra Op.35

普通ピアノ協奏曲といえば華麗であり、ピアノという楽器の美しさを堪能できる音楽のはずだ。ある種のパターンというものが、聞き手にはある。多少普通とは違う曲想が出てきても、それは主流を逸脱しない程度のいわばフェイントであり、だいたいが安心してその華麗さに身を(耳を?)浸れる、それがピアノ協奏曲だと、私は信じている。いや、いたというべきか。

ショスターコーヴィチはそんな私の既成概念などお構いなしに、独特の世界をこの「ピアノ(とトランペットのための)協奏曲第1番」で提供してくれた。なにしろ主ソロ楽器のピアノに加えて、要所要所でトランペットを第2のソロ楽器として加えている。その独創的なこと。
頭がはち切れそうな音楽だ、本当に。聞いて下さい、第一楽章から度肝を抜かれること保証しますよ。私は先に述べたような「普通の(何をもって普通なのかという議論もありそうだが、、、)」ピアノ協奏曲を受け入れる耳で心の準備をしていたのだが、途中で頭がパニックになりました。これ、マーラーよりすごい常識を逸脱した音楽ですよ。あ!プーランクに似ているな。

先の予想ができない。今日、ベートーヴェンのピアノ協奏曲を全曲通して聞いたけれど、ベートーヴェンの場合はメロディや展開がある程度は予想できる。ところがショスタコーヴィチは全く予想できない。まるでジョージ・ルーカスの映画のようにスリリングで、息をつく間もないのです。疲れる、、。
第一楽章 唐突なピアノとトランペットの音による始まりに続き、「熱情」のメロディにほんの少し似た主題。そしてはちゃめちゃぶりはすぐに始まるのだ。美しい曲想が出てくると思えば、全く別のリズムや和音が登場するわ、トランペットが鳴るわ、とにかく忙しい。この音楽についていくためには既成概念を捨てなければなりません。

第二楽章 弦楽器による深い味わいのある前奏だ。不思議なメロディに心を奪われる。そのメロディに見事にフィットした叙情的なピアノ。ピアノとオケのデュオの素晴らしさ。ドラマチックな中間部の展開。その後の弦の美しさといったら言葉では表せない。トランペットも控えめに哀愁帯びたソロを奏でる。低音楽器のソロにも注目!

第三楽章 宝石のきらめきのようなピアノのソロ。また弦楽器の情熱的なメロディ。

第四楽章 この余韻にひたっていると、突然快活なリズムに曲は変わっていく。またもやあわただしい音楽の始まりだ。ピアノ、オーケストラ、それにトランペットが彩りを加える。ひととおりの騒ぎが終われば、トランペットのソロ。それをぶちこわすようにピアノが邪魔をするが、トランペットは何食わぬ顔でソロを続ける。再び騒ぎは続いて、今度はトランペットまでもが騒ぎに加わり一気にフィナーレを迎える。ああ、、、疲れた。
この曲にはショスタコーヴィチが経験した職業の影響がある。彼は生活のため無声映画のバックグランドミュージックをピアノで奏でるというアルバイトをしていた。音声による台詞のない映像を、いかにスリリングに見せるか。それはひとえに映画館のピアニストの腕にかかっていた。スペクタクル!ジョージ・ルーカスの映画のようだと先に書いたのは、大げさではあるまい。まさに彼はそれをピアノだけで演じていたのだから。


色々と憂鬱なことが多かったので最近気が滅入っていた。そんな気持ちをスカッとさせてくれたのがこの「ピアノ協奏曲」。深い味わいのメロディもあるし、はらはらさせてくれる。エンタテインメントとしてのクラシック音楽にふさわしい逸品である。オススメ!
【私の聞いたCD】
ショスタコーヴィチピアノ協奏曲第一番&第二番、ピアノ五重奏曲
イェフィム・ブロフマン(ピアノ)
トーマス・スティーブンス(トランペット)
エサ=ベッカ・サロネン
指揮ロサンゼルス・フィルハーモニック
ジュリアード弦楽四重奏団
SRCR 2475

シューベルト 「ロザムンデ(魔法の竪琴)序曲」 D.644

シューベルト 「ロザムンデ(魔法の竪琴)序曲」 D.644
Overture “Die Zaberharfe”, D.644
付随音楽「ロザムンデ」 D.797 全曲
Rosamunde von Cypern, D.797(Op.26)

交響曲に限らず劇音楽(オペラを含む)もシューベルトは未完成作が多い。完成したのは10作。そのうち彼の生前に公演があったのはわずか3作。未完成やスケッチの残っているのは9作。焼失したため未完状態になっているものも含まれる。多くはよほどのシューベルトファンにでもなければ一般的に知られていないし、残念ながら長い間注目もされてこなかった。近年再評価されているらしい。付随音楽として残っている完成作品は「魔法の竪琴」序曲と「ロザムンデ」だけである。だから「ロザムンデ」は貴重な作品なのだ。

やっと今日の本題だ。
さてこれは劇の付随音楽であるから、できれば劇のあらすじなどを知りたい。ところが私の持っているレコードの解説には「台本が今日残っていないので劇の内容はもとより、シューベルトの曲がどの場面で用いられたか、正確には不明」(小林利之氏筆)とある。困る。せっかく関心をもちはじめた題材だ、もっと知りたい。ということでインターネットで国内外のホームページを調べた結果、次のようなストーリーであることがわかった。

★ファンタジーの常道をいくシンプルな物語
題名は「キプロスの女王ロザムンデ」というのが正式なタイトル。貧乏な未亡人に育てられた娘が実はキプロスの王位継承権のある姫でありある日突然女王になる。なぜ娘が外に預けられたのか理由はわからないが、一夜で世界が変わっていたとはこのことだ。だが、国には政権を狙う輩がいて陰謀を企てる。彼女との結婚をもくろんだり、挙げ句の果てに毒殺などを。王女の運命やいかに?という危機一髪の所で、ファンタジーの常道、若き青年が彼女を救いに来る。セーラームーンが危機の時にかならず現れるタキシード仮面のように。王女は救われる。しかもその青年は王女が子供の頃に将来結婚するべく定められた許嫁であったこともわかる。めでたしめでたし。映画にしたらきっと映画館が閑古鳥を泣きそうなクサイ物語である。が、劇やオペラはストーリーが単純な方がわかりやすくっていいのだ。この劇を見てみたい気がするが、台本がないのなら仕方がない。ということでシューベルトが書いた音楽だけが残っている。

★序曲+10の楽曲、その全貌
曲は序曲と10曲で構成されている。なぜ序曲を分けるかって?この序曲、実は別の付随音楽「魔法の竪琴」の序曲なのだ。つまりシューベルトは「ロザムンデ」のために序曲を書いていない。時間がなかったのが主な理由のようである。また当時はいろいろな音楽を使い回すことはよく行われていたようだ。初公演時には彼のオペラ「アルフォンゾとエストレッラ」の序曲を転用したという説や、実際には「魔法の竪琴」を使用したという説があるようだが、現代、「ロザムンデ」の序曲といえば「魔法の竪琴」D.644のことをさす。


《序曲》
この一曲だけでも充分聞く価値のある序曲だ。事実この序曲が最もポピュラーで録音も多い。全体は三部に分けられそれぞれが美しいメロディと躍動的な弦楽器や緑の風のような木管楽器で彩られている。序奏部はおごそかなユニゾンで始まる。一瞬ゴジラのテーマかと思い違いしそうな冒頭だが弦楽器のダイナミックな音色は気持ちがいい。すぐに木管楽器のメランコリックなメロディが現れる。メロディを低音弦楽器が受け継ぐ箇所が特にいい。やがてヴァイオリンによるメインテーマ。これがいいんだなぁ。メロディメーカーのシューベルトならではの曲想だ。先週からずっと頭を離れないこの旋律。口ずさみながら道を歩いていれば心も軽やかで明るくなる。バックで控えめに鳴るベース音も効果的。この美しいメロディはやがてクラリネット、オーボエソロによる第二テーマに受け継がれ音楽も曲調もクレッシェンドだ。聞いていて自然と気持ちが高まってくる。それほど素晴らしい。「ロザムンデ」で最もポピュラーなのはこの序曲だろう。録音も数多い。それもうなずける充実した音楽。
でも、読者の皆さんには、序曲だけでなくこの後の音楽もぜひ聞いて頂きたい。楽しみはまだまだ続くのだ。


《間奏曲第1番》
日本古謡「さくら」が主題に使われている希有な音楽。というのはジョークですから真に受けないで下さい。でも序奏後メインメロディ冒頭の一小節は似ています(←似てないって!)。序曲とはうって変わり予断を許さない場面設定になるような、つまり悲劇を予感される雰囲気である。弦楽器のダイナミックな動きに注目したい。ティンパニーのドカンというアクセントが印象的。第二主題はこれまた美しい弦楽器と管楽器のハーモニー。クライマックスの激しさは圧巻!最後金管楽器のハーモニーを残す。この余韻には不思議な気持ちにさせられる。間奏曲後に繰り広げられるのはどんなシーンだろう。


《舞踊音楽 第1番》
「間奏曲第一番」と前半は同じなので録音ミスかと勘違いするが、舞曲が展開するにつれて曲の雰囲気は徐々に変わり木管楽器の美しい音色が堪能できる。舞曲の継ぎ目で現れるホルン音の余韻がいい。クラリネットとオーボエのソロを特に聞いてほしい。やがて弦のトレモロ先導で低音楽器の深いメロディと木管楽器の会話。牧歌的なメロディがオーボエ、フルート、クラリネットへと受け継がれる。ここの箇所はまさに夢の世界か?


《間奏曲 第二番》
ゆったりとした合奏はどこかもの悲しい。常にハーモニーでメロディは進む。弓を使わず指による音で弦がまるで運命が押し寄せるように静かにクレッシェンドしてくるのが、なんとなく怖い。ハーモニーは美しいのに、背筋がぞっとするのはなぜだ?最後に現れるトロンボーンのメロディは後の曲へつなぐメッセージかもしれない。


《ロマンス「満月は輝き」》
アルト独唱木管楽器の静かな前奏に続き、深いアルトの歌声。前奏は長調なのに歌では一転し短調。これがまた深い叙情的なメロディ。さすがメロディメーカーだ。間奏と歌との見事なコントラストを楽しみたい。


《亡霊の合唱「深みの中に光が」》
男声合唱男声合唱ファンの皆様、ついにシューベルトの男声合唱曲の登場ですよ!何も言うことはありません。このハーモニーの醍醐味を堪能しましょう。途中の不協和音を含む和音の動きの見事なこと。どちらかといえばポリフォニー崇拝者である私もこのホモフォニーを聞けば考えを変えざるを得ません。圧倒される素晴らしさ。表現の言葉が見つかりません。


《間奏曲 第三番》
弦楽四重奏曲第13番第二楽章にも登場する有名なこのメロディ。清涼で暖かな音楽に心奪われます。中間部のクラリネットソロはがまたメランコリックで、いい味が出ています。


《羊飼いのメロディ》
ホルンのシンプルなハーモニーをバックにクラリネットが奏でる間奏曲的存在。だが不思議な存在感。


《羊飼いの合唱「この草原で」》
混声合唱前の曲と同じようにクラリネットのメロディが先導しホルンに受け継がれる前奏。合唱のハーモニーがとにかく素晴らしい。中間部では4人のソリストによる重唱がある。合唱と重唱の音のコントラストが楽しい。


《狩人の合唱「緑の明るい野山に」》
混声合唱男声合唱、女声合唱、そして混声合唱と一度に三種楽しめる。題名の通り狩人の合唱。キプロスが舞台だが、この曲を聞く限り私には低オーストリア州の明るい野山の光景とオーストリア風民族衣装をまとう人々が踊っている様子が目に浮かぶ。


《舞踊音楽 第二番》
終曲も舞曲。おそらくハッピーエンドの王女と許嫁が舞踏会で幸せに踊る場面なのだろう。聞くだけで優雅に踊りたくなってしまう。終曲にしては派手なクライマックスもないが、上品な雰囲気は、かえってこのストーリーにぴったりかもしれない。


★私の聞いたレコードSLA-1132
シューベルト「ロザムンデ(魔法の竪琴)序曲」
D.644付随音楽「ロザムンデ」 D.797
全曲管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:カール・ミュンヒンガー
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団
(合唱指揮:ノルベルト・バラチェ)
コントラルト:ロハンギス・ヤシュメ
【musikerコメント】
この録音は素晴らしい。特に序曲、そして合唱の入った曲は最高。
同じ音源のCDはこちら ※ただしamazonではマーケットプレイスのみで入手可能
============================================================
★新しい録音ならアバド指揮のこちら↓シューベルト 劇付随音楽《ロザムンデ》全曲指揮:クラウディオ・アバド管弦楽:ヨーロッパ室内管弦楽団
※米国amazonでは序曲、男声合唱、混声合唱等一部試聴可能です。こちらで ※こちらもしamazonではマーケットプレイスのみで入手可能

ブラームス ヴィオラ・ソナタ第一番 ヘ短調 op.120の1

Brahms(1833-1897) Sonata Fuer Viola und Klavier

事実上ブラームス最後の器楽曲となったこの作品は、独奏楽器をクラリネット、 あるいはヴィオラと銘打っている珍しい曲です。私はクラリネットも大好きな のですが、この作品に関してはヴィオラバージョンの方が好きです。先に聞い たからかもしれません。興味のある方は両方聞き比べてください。

マーラーは、老ブラームスの音楽を評し「交響曲よりも、室内楽曲において彼 の本領が発揮される」と生意気なコメントを残しています。ブラームスの交響 曲ファンは多く全世界で愛されているので、マーラーの評価をそのまま鵜呑み にはできないけれど、確かにブラームスの室内楽曲は交響曲に比べ世間の注目 度は低いような気がします。

彼の室内楽曲はいずれも規模が大きく、気楽に聞けない点が足かせになってい るのかもしれません。3月に私もそう書きましたね。

「ブラームスの室内楽曲はドラマチックすぎ、そう頻繁に聞くのをためらう」
と。そう、聞いた後の満足感がの大きさと同じ位疲労感が伴う、つまりぐった り疲れるんですね。イージーリスニング的には聞けません。本を読みながら音 楽を聞くことってありますね?読書時のBGMにブラームス室内楽は止めるべ きでしょう。

ひとたびブラームスを再生してみなさいって。目の前にある本の文字は、次第 にかすみがかかり、やがてフェイドアウトしていきます。入れ替わりに八分音 符やら十六分音符やらが五線譜と共にフェイドインし、ぐるぐる回り出します (もちろん想像の中ででのお話です)。聞き入るまい、と決意していたのに、 意識は強制的に音楽へ。「じっと」聞いている自分が時々情けなくなります(笑)。 この「ヴィオラ・ソナタ」も強烈な効き目です。

第一楽章はピアノ両手によるドラマチックなオクターブのメインテーマがまず 提示され、それにヴィオラのむせび泣くようなメロディが続きます。この部分 だけで、相当気合いが入りますよ。しかもその後、艶のあるヴィオラのソロ。 ピアノはメロディを和音でリズムとで鳴らすこの時代特有の手法。ガーン、ガ ーンと頭に響く。要所要所で流れるヴィオラの音色。緩急自在なので、音楽的 充足感は満たされること保証するけれど、本当に疲れます。第一楽章だけで聞 くのを休憩するのも手かもしれません。でも、必ず第二楽章以後を聞いて下さ いね、二楽章以後を聞かないともったいないですから。第一楽章に標題をつけ てみました。それは「愛の修羅場」なーんちゃって。ピアノで冒頭に提示され たテーマは、最後ヴィオラが思い切りやるせなく、つぶやき、終わります。

第二楽章は「まどろみ」。第一楽章でこれでもかこれでもかと叩き続けたピア ノはサポート役に徹し控えめに鳴ります。ヴィオラの滑らかな響き。不思議な メロディで、夏の昼下がりにまどろむのもいい。まさにこの作品の聞きどころ です。

ブラームスはワルツをたくさん書いているけれど、「ブラームスのワルツでは 踊れない」って、誰かが揶揄していたのを思い出します。確かにシュトラウス のようなウィンナーワルツの軽さとは無縁であり、どこか重厚なので足取り重 くなってしまうのかもしれません。私は踊れませんが、踊りの得意な皆さんは いかがですか?第三楽章はワルツです。このメロディは、どこか中途半端な音 階でして、途中から始まっているような雰囲気があり、聞いている側は不思議 な気持になってきます。チェロにも似たヴィオラの音色は深いわいがあります。 中間部の一風変わった音楽も注目してください。

第四楽章、ファンファーレのようなピアノのせわしない前奏から始まり、快活 なヴィオラの調べ。メロディは第三楽章の変形ですね。ブラームスらしいフィ ナーレの見事な演出です。特にピアノの活躍がすごいです。ただ、聞くべし。 それだけしかコメントしようがありません。

ヒンデミット ウェーバーの主題による交響的変容(1943年)

Paul Hindemith Symphinische Metamorphosen nach Themen von Carl von Weber

最近とても気になる作曲家がいる。それは、ヒンデミット(Paul Hindemith 1895-1963)というドイツの作曲家だ。 元々彼は優秀なヴァイオリン奏者だった。フランクフルト歌劇場管弦楽団に入り、わずか3年でリーダーになったほど優秀な演奏者で、当時の代表的指揮者メンゲルベルグ、フルトヴェングラー、ブッシュ、シェルヒェンなどに認められた(これらの指揮者たちは後に彼の作品のよき理解者ともなる)。

オーケストラの一員としてだけでなく、ソリストとしても数々の名演奏を残した。ところが彼はやがてヴァイオリンではなく、ヴィオラに転向する。その後、彼は弦楽四重奏で活躍するが、第二ヴァイオリンやとりわけヴィオラの演奏を希望したという。この点がとても興味深い。

そして彼は作曲家としての方向を見いだし、数々の作品を書き残す。わずかの期間に膨大な作品を発表したことは驚きだ。しかもジャンルは多岐に渡り管弦楽、室内楽、声楽、交響曲はもちろん、色々な楽器のソナタを書いたのもヒンデミットの特徴だろう。特に管楽器とピアノのソナタは数多く、例えば「チューバとピアノソナタ」なんて珍しい組み合わせの曲があるのも驚きである。ヴィオラ曲も数曲ある。一般的には弦楽器ではヴァイオリンが主役だが、ヴィオラという地味ながらも、奥が深く、味わいのある楽器を好んだことは、注目に値するだろう。

彼は教育者としても優れた功績を残している。ヒンデミットが米国で教鞭をとっていた頃、あのバーンスタインが彼のもとで学んでいた。

と、書けば書くほど長くなる。ヒンデミットの事は改めて詳しく書くとして、彼の音楽に興味を持つきっかけとなった曲を紹介しよう。

それは「ウェーバーの主題による交響的変容」という作品だ。
奇妙な題名だ。1943年に、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団のために書いた作品で、ウェーバー(Carl Maria von Weber 1886-1826「魔弾の射手」などを書いた)の序曲やピアノ作品のテーマを借りて、ヒンデミット流にアレンジした音楽である。ちなみにMetamorphsen、英語ではMetamorphosisという言葉は、「変容」を意味する。変容とはわかりにくい言葉だが、つまり昆虫の脱皮のような意味だろう。だから、ウェーバーの音楽を拝借しているとはいえ、全く違う音楽に仕上がっているのではないだろうか。こうあいまいに書くのは、私はウェーバーの原曲を聞いていないからだ。

この音楽の特徴を一言で言えば管楽器と打楽器の活躍だ。管楽器をこよなく好んだヒンデミットらしいではないか。特にフルートの一風変わったソロが頭に残る。金管楽器の力強い音も素晴らしい。

第一曲では冒頭から怪しげなメロディが弦楽器で奏でられるダイナミックな音楽である。金管楽器と弦楽器との掛け合いも気持ちがいい。注意深く聞くと、両方が主役を演じているのがわかる。どちらも伴奏的役割ではないのだ。この点は、グレゴリオ聖歌におけるポリフォニー(すべての声部が違うメロディを歌い、それらが絡み合うことによって作り上げられる音楽の形式をいう)と似ている。

第二曲は、チャイムとフルートのソロで静かに始まる。やがて打楽器の導入と共に、弦楽器による主題。そして次々と管楽器に主役をバトンタッチしていく流れが圧巻だ。不思議なメロディだと思ったら、どうやら原曲でウェーバーが採用した「中国のうた」の旋律をもとにヒンデミットが自由にアレンジしているらしい。トロンボーンやトランペット、そしてクラリネット、オーボエなどと絡み合うところは、ジャズの匂いもする。曲の最後では、チャイムをはじめとするパーカッションが主役を演ずる。

第三曲は、クラリネットの哀愁を帯びたメロディで始まり、オーボエ、ファゴット、ホルンの掛け合い。弦楽器がひかえめに、管楽器をひきたてている美しいメロディもいい。メロディはやがて弦楽器へと移るが、やはり管楽器と弦楽器それぞれが主役を演じている。圧巻はこれらのメロディに伴って奏でられるフルート。このフルートソロだけでこの曲を聞く価値はある。

第四曲はマーチ風音楽である。冒頭のメロディがどこかシューベルトの「未完成交響曲」第一楽章を、そしてマーラーの「交響曲第三番」第一楽章を思い起こさせる。金管楽器の静かなファンファーレも気持ちがいい。コントラバス、打楽器が実に効果的に使われている。

オーケストラの楽器すべてに主役を与え、巧みに構成されたこの作品。はじめは「変わっているな?」という印象をもつかもしれないが、聞き続けると病みつきになるかもしれない。演奏時間トータルで20分と、気楽に聞けるのも嬉しい。

ヒンデミットという作曲家の作品を聞く楽しみが、また増えた。

この作品の一部がAmazonで試聴できます。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000003CVL/qid=1016723525/sr=1-1/ref=sr_1_0_1/249-5492645-8983548