寒い冬のある夜、中学生の私は、寒い部屋の中暖房もつけず、ある歌を聞いていた。なけなしの小遣いをはたいて買ったばかりのLPレコード「水曜日の朝、午前三時」のA面第4曲に収録されている「雀」だ。
「霧のブリーカー街」という初期の傑作が第三曲に据えられ、その後の歌。雀というありふれた鳥に、人間を投影して書いた歌。
ガーファンクルがライナーノートを書いている。(以下はその引用一部)
すずめは特徴のあるバックで始まり、曲の構造は主題の簡素化によって澄み切ったものになっています。小さなすずめを愛すのは誰?と問いかける私的擬人法を駆使し、次のように答えています。どん欲=オークの木、虚栄=白鳥、偽善=小麦、、と。
この曲をガーファンクルは大変気に入り、二人は再びデュオを組むようになっと書いている。また、この作品に、その後のポールの作品に現れる音楽的要素がすべて入っているとも。
不安げなギターの前奏から始まり、途中で加わる澄み切ったこれもギターのメロディ。二人のハーモニー、ポールの容赦ないソロの歌いぶり。ただならぬ雰囲気をかもしだしていることが、今改めて聞いてわかる。
たぶんサイモン&ガーファンクル自身も、この曲に相当な思い入れがあったに違いない。
「なんで雀なんだろう」などとは中学生の私は考えなかった。ただ、雀に人間を投影させていることはおぼろげにわかっていたので、とても真剣に何度も聞き返したことを覚えている。なぜならそれまで聞いてきた歌といえば恋や愛をテーマとした洋楽スタンダードナンバーが主であり、このようにシリアスな色合いの歌に出会ったことがなく新鮮だったからだ。
年齢を重ね、いろんな事を見てきた今になって、改めてこの歌が訴える意味を自分なりに考えられるような気がする。
「雀」はサイモン&ガーファンクル初期の隠れた名曲だろう、間違いなく!
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