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「ザ・サウンド・オブ・サイレンス」 The Sounds of Silence
 
 1963年11月、米国だけでなく、世界中の人々が大きな驚きと悲しみにうちひしがれたケネディ大統領暗殺のあったこの時、ポール・サイモンは、一曲の歌を構想し、作詞作曲を始めました。
 
 その後、3ヶ月間創作の上で悶絶を続けた後、1964年の2月にこの歌は完成しました。最初に聞かせたのは、相棒であるアート・ガーファンクルでした。
 
 この歌「ザ・サウンド・オブ・サイレンス」がポールとアートのその後の人生と、サイモン&ガーファンクルというアーチストにとって、極めて重要な存在になることなど、全く予想することなく、彼らはただ純粋にこの優れた作品を充実した気持ちで感動的に受け止めていたことでしょう。

  
  Hello darkness my old friends
  暗闇君こんにちは、僕の古い友よ
  I've come to talk with you again
  また君と話したくなってね
  Because the vision softly creeping
  あの幻想が静かに忍び寄り
  Left its seeds while I was sleeping
  僕の眠る間に、その種を蒔いていった
  And the vision that was planted in my brain
  その幻想は僕の頭の中で根をはり
  Still remain within the sounds of silence
  静寂の音の中に居座っている
 
 
 「静寂の音」。皆さんはこの言葉から何を感じ取りますか。この歌だけが持つ特有の言い回しですからわかりにくいですね。
 
 本来静寂ですと、音は聞こえません。現代は音に溢れているので、無音で暮らすなど不可能に近いでしょう。しかし、この歌はその逆のことを言っています。音のしない「音」のことを言っているのです。音のしない音とは矛盾していますが、聞く意味のない音。まさにこれはコミュニケーションにおける疎外感を表現しようとしています。
 
  絶え間ない夢の中を僕は一人歩き回った
  栗石が敷かれた狭い道を
  街灯の光のもとで
  寒さと湿気で襟を立て
  When my eyes were stabbed
  夜に飛び散るネオンの光が
  By the flash of a neon light that split the night
  僕の目に突き刺ったその時
  And touched the sound of silence
  静寂の音に触れた
 
 "The Biography, Simon and Garfunkel"では、「ザ・サウンド・オブ・サイレンス」についてこんな表現をしています。
 
 ポールは、暗闇と光という比喩を用いて、「無関心」と「無感動」がどれほど人間の基本的なコミュニケーション能力を破壊するを、提言している。真実と啓蒙を象徴する「光」は、極めて痛く破壊的であり、その事を stabbing、flashingという鋭い言葉で表現し、ネオンの神という偶像崇拝を表現に加えることで、大きな効果をあげている。
 
 私の注目している最も重要な箇所は次の第三コーラスです。
  
  And in the naked light I saw
  裸火の中で僕は見た
  Ten thousand people maybe more
  一万人、いやそれ以上の人々たち
  People talking without speaking
  彼らは伝えようとせずに語り
  People hearing without listenning
  理解しようとせずに聞いている
  People writing songs that voices never share
  声で分かち合うことのない歌を書き
  And no one dare
  誰も気にとめることなく
  Disturb the sound of silence
  誰も静寂の音をなくそうとしない
 
 こんなに情報が溢れ、こんなにコミュニケーション手段も多種となった現代。それにしても人の心を理解するのは極めて難しい。だから既に37年も前に、書かれた「サウンド・オブ・サイレンス」という歌が、現代でもそれこそ心に「突き刺さって」きます。
 
 声という音は通常の会話で不可欠です。でも、音だけを聞き、その内容を理解しないとすれば、単に、意味のない雑音を聞いているだけ。それなら「音のない音=静寂の音」と同じです。日常の人とのコミュニケーションをよく考えてみると、私自身も、どれだけ相手の「心の声」を聞いているのだろうか。よく考えてみるべきだな、とこの頃つくづく思います。
 
  「馬鹿者!」と僕は叫んだ
  「静寂は癌のように広がるんだ。
  僕の言葉を聞くんだ、教えてあげよう。
  僕の腕を取るんだ、この手をさしのべるから」
  しかし、僕の言葉は、音のない雨雫が落ちるように
  こだました
  静寂の井戸の中で
 
 コミュニケーションのない会話をずっと続けると、それに慣れてしまい、人を理解することから遠ざかります。「聞く耳を持たない」という言葉がありますが、これは人間が自信がつき、権力を持ち、勘違いして自分を過信し、間違った信念を持ったときに、陥りがちな態度です。
 
 しかし、そんなレベルではなく、むしろ日常の、家族や友人との会話において、こうした傾向に進む可能性を現代は充分秘めているではないでしょうか。意味のない会話。意味のない電話。時間をつぶすだけの会話。気分転換には時には必要なことですので、全てが意味がないとは思いません。むしろ「意味のある」ことが本当に「意味のない」ことより必ずしも「意味がある」とは思いません。しかし、人のいっていることを「わかろう」とする能力が欠如するのは、人間関係の上では重大な問題です。そのことで失うものの大きさは想像できません。

  And the people bowed and prayed
  人々は黙礼し、祈っている
  To the neon god they made
  彼らが創り上げたネオンの神に
  And the sign flashed out its warning
  そのサインは鋭い警告を発している
  In the words that it was forming,
  組み上げられた言葉となって
  And the sign said
  サインはこう語る
  "The words of the prophets are written
  「予言者の言葉は書き記されている
  On the subway walls and tenement halls"
  地下鉄の壁や安アパートの廊下に」
  And whispered in the Sounds of Silence.
  静寂の音の中で、そうささやいている
 
 アルバム「サウンド・オブ・サイレンス」で第一曲目に収録されたこの曲はいうまでもなく、「水曜日の朝午前三時」収録のアコースティック版に、ドラム、ベース、エレキギターを加えて、フォークロック風にアレンジされたものです。二つのヴァージョンのヴォーカル部とアコースティックギターは全く同じもの。
 
 前から再三述べているように、この世界的ヒットとなった歌は、オリジナルの方ですでに完成していて、むしろこちらの方が優れた作品であるという評価も高いようです。私もどちらかといえば、「水曜日〜」版の方が好きです。人によってはポールの幻のソロアルバム「ポール・サイモン・ソングブック」のものが一番だといいます。しかし既に絶版になっている録音ですので、今一般の方は聞くことが出来ない点で、引き合いに出すのはフェアではありません。確かにポールのソロは素晴らしいけれど、やはりこの歌は、二人のハーもニーにより完成されたと、断言して良いでしょう。
 
 そして本当の意味で世界中の人々に認められた、あの時代のあの音楽環境の中で受け入れられる(ヒットする)サウンドにするアイデアがあったからこそ、今もこの歌の存在がある。これは事実です。このエレクトリック・バージョンをやはり評価しなければならないと思います。
 
 「ザ・サウンド・オブ・サイレンス」は、その形を変えながらも、次の5種類として登場してくる希有な作品。
 
  「ポール・サイモン・ソングブック」
  「水曜日の朝、午前三時」
  「サウンド・オブ・サイレンス」
  「卒業〜サウンドトラック」
  「我が子を救いたまえ」(一部バックに流れるのみ)

 「明日に架ける橋」がサイモン&ガーファンクルの最高ヒット曲として評価されている。これは世界の常識かもしれません。でも、彼らを文字通りスターにした曲は紛れもなく「ザ・サウンド・オブ・サイレンス」です。そしてこの歌は、歌という枠を超える、人間をうたった見事な作品。文字通り金字塔のひとつといえるのでしょう。

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