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SONG, PAUL SIMON/ソング・ポール・サイモン
Vol.34 2003年7月24日(木)
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【はじめに】
「ポール・サイモン・ソング・ブック」というアルバムについて語るのは、少
しためらいがあります。これは日本だけでなく現在全世界で入手不可能な幻の
アルバムなのです。ですから仮にここに書いたことに興味を覚えた方がいても
、手に入らない、聞けない。
でも、このメールマガジンの読者の皆さんはポール・サイモンというひとりの
ソングライター、アーチストに魅せられた方です。ですから、彼の音楽のルー
ツであるこの古いアルバムについて知ることは無駄ではありません。また、彼
の音楽に狂い30年以上の一ファンのコメントを読むのは暇つぶしにもなるで
しょう。ということで、今日から数回、雑多に、気ままに語ります。
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CONTENTS
1.ポール・サイモン・ソングブック 1964年
プロローグ 〜録音までの経緯
2.S&Gの伝記「旧友」(絶版中)の復刊リクエスト投票のお願い
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1.ポール・サイモン・ソングブック 1964年
プロローグ 〜録音までの経緯
★ファーストアルバムの失敗
「水曜日の朝、午前三時」というサイモンとガーファンクル(以下S&G)の
ファースト・アルバムについては皆さんご存じですね。ふたりはトム&ジェリ
ーという名で十代の頃デビューしていましたが、本名でサイモンとファーファ
ンクルという名で初めて出したアルバムですからであえて「ファースト」アル
バムと呼びましょう。
トム&ジェリーで一躍スターになった彼等でしたが、その後はパッとせずレコ
ード界で埋もれていきます。二人ともそれぞ、もっと「まっとうな(?)」職
を将来のことも考え目指します。
でも、ポールは、一度味わった音楽の世界が忘れがたく、学業のかたらわレコ
ード業界の隙間でしぶとく活動します。アートは学問に専念するものの、ポー
ルとの交流は相変わらず続き、機会があれが二人で歌を歌うことも少なかった
ようです。
ポールは欧州へ渡り、英国へと拠点を移し、クラブ回りをはじめます。アメリ
カからきたこの若いシンガーソングライターを英国のこの世界は幸いにも好意
的に受け入れ、ポールは売れっ子になります。彼はここでとても幸せな日々を
過ごしたようです。
やがて本国への郷愁もあり、米国へ戻ります。そして幸運にもアートと一緒の
デュオでオーディションに通りついにアルバムを出すことになります。それが、
「水曜日の朝、午前三時」でした。
このアルバムのキャッチフレーズ自体がかなり気合いの入ったもので、
exciting new sounds in the folk tradition by....
(フォーク伝統によるエキサイティングな新しいサウンド)
という記載があります。
(カバー曲とオリジナル作品5曲を含め12曲の構成。40年近く経過した今
聞いてもお世辞ではなく、聞きどころが多いアルバムです)
しかし、このアルバム3,000枚売れただけでした。残念なことに話題にさえな
りませんでした。二人は相当ショックだったでしょう。
★失意で英国へ。そしてジュディスとの出会い
もうだめだ、、、と思ったかは定かではありませんが、アートは大学へ戻りま
す。ポールは再び英国へ戻り、クラブ回り活動を続けます。
そんな彼に興味をもった人がいました。ジュディス・ピープという女性です。
彼女は偶然クラブで歌うポール演奏を聞き、たちまち強い衝撃を受けたそうで
す。
そのステージでポールは「教会は燃えている」「木の葉は緑」「サウンド・オ
ブ・サイレンス」を演奏し、たまたま休暇のため英国を訪れていたアートを舞
台に上げて、ふたりで「ベネデクトゥス」を歌ったといいます。
感激した彼女は独力でポールの売り込みをはじめます。レコード会社をはじめ
音楽関係にかけあいますが、うまくいきません。当時流行っていた歌に比べ、
ポールの作品はあまりにシリアスすぎ、時代にあわないと評価されてしまいま
す。でも彼女はあきらめません。ある時彼女はBBCに目を向けます。この保
守的放送局が相手にするはずもないと誰もが思うでしょうが、ピープの執拗な
交渉に折れて、一時間だけスタジオを貸してくれることになります。ポールは
そこで12曲録音するのです。
★"Five to Ten"(5時から10時まで)での放送
さて、録音は終わった。でも取り上げる番組がありません。BBCの各部署を
回ったあげく、取り上げてくれることになったのは、なんと宗教番組でした。
それは"Five to Ten"(5時から10時まで)という題名の短い番組で、聖職者
が今日の教えを主婦や労働者に説くという内容でした。通常は番組にふさわし
い物語、賛美歌、祈りなどが放送されるのですが、ジュディスは、ポールの歌
を「人間愛の歌」「孤独の歌」そして「ポール・サイモンの歌をもう一度」と
いう三つのテーマに湧けタイトルをつけます。こうして12曲は二週間に渡っ
て毎日ジュディスの解説付きで放送されるのです。
ポールの歌の根底には常に人間への愛、人生などがあるので、ある種の宗教色
がないとはいえません。内容としては決して違和感はなかったでしょう。でも
賛美歌などと同じ土俵に出るなんて、現在ならともかく、今から40年も前のこ
とです。とんでもない異例のことだったでしょうね。
ジュディスが証言していますが、「教会は燃えている」が放送になった時には
放送局も相当慌てたようです。大変不謹慎ですが、この話を読んだ時、私は思
わず笑ってしまいました。
ポールがいいたかったのは
「火をつける価値もない教会は、教会と呼ぶ価値はない」
ということでした。これ大変意味深ですよね。
番組の反響はすごいもので、特に保守派ではなく、どちらかというと本流に反
感を抱く考えの神父たちからのものが多かったそうです。レコードは出ていな
いのという問い合わせも多く、ポールとジュディスは今度はレコード会社捜し
をはじめるのです。
CBSロンドンがしぶしぶ受けれてくれ、スタジオでの録音が実現します。わず
か一時間。機材はマイク一本と録音装置だけ。ポールのギターと歌だけで12曲
の録音は無事終了します。
そして出来上がったアルバムが「ポール・サイモン・ソングブック」だったの
です。
(※参考資料 『ポール・サイモン』(パトリック・ハンフリーズ著 野間け
い子訳 音楽之友社発刊))
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