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「簡単で散漫な演説」 A Simply Desultory Philippic

 正直に書きますが、all simon and garfunkelを始めた頃、書くのに苦労しそそうないくつかの作品がありました。それらは、本来S&Gの曲で異端的存在で、定番の美しいハーモニー、奥深い詩などの評価をしずらいものだからです。
 
 色々なとらえ方はあるにせよ、これらの作品は、マニアでもなければ一般的に積極的に聞きたくない部類に入るでしょう。そのことをレコードメーカーも十分承知しているようで、ベストアルバムなどだけでなく、かなり広範囲の曲が入っている三枚組「旧友」にも収録されていない。
 
 しかし、全曲を取りあげると宣言したからには、避けて通れません。覚悟を決めなければ?!
 
 そのひとつがこの「簡単で散漫な演説」です。
 
 どうですか、熱烈なS&Gファンの皆さんの中に、「この曲こそ、彼らの代表作として評価されるべきだ、一般的な評価の低さは我慢ならない!」ときっぱり言える方はいらっしゃいますか?
 
 私も、この作品については、引いてしまうファンの一人です。ポールのしゃれっ気を垣間見ることのできる作品、という位のとらえ方程度で、何度もリピートして聞くつもりになれません。
 
 しかし、今日、この作品を取りあげるにあたり、「パセリ・セージ〜」収録版と「ポールサイモン・ソングブック」版を何度も聞き返しました。なにしろ演説ですから、歌詞を分析するまでもありませんし、メロディもあるようでない、ないようである。どう書こうか?
 
 でも、改めて聞いてみると、結構おもしろい作品であることを発見しました。
 
 まず、ポール・サイモンがよく読み、思想的にも共鳴していた作家や思想家が誰なのかがわかるのです。もっとも米国の作家や思想家にうといわたしにはノーマン・メイラー、マクスウェル・テイラー、オハラ、ロバート・マクナマラなど単なる固有名詞の羅列でしかないのですが。
 
 また音楽シーンの英雄たちも出てきて、ローリング・ストーンズ、ビートルズ、にかぶれていた自分は盲目だった、などとうそぶくのがおもしろい。若気の至りか、冗談でしょうか?
 
 特に、歌の真ん中で、
 
 I knew a man, his brain so small
 ある男がいて、奴は頭がすごく悪い
 He could'nt think of nothing at all
 物事を深く考えることなんてできない
 He's the same as you and me
 ま、君や僕と同じなんだけどね
 He does'nt dig poetry. He's so unhip that
 詩なんかろくにかけやしないし、
 when you say Dylan, he thinks you're talking
 なにしろ「時代遅なディラン」っていえば、やつはみんなが
  about Dylan Thomas
 ディラン・トーマスのことを言っていると思っている
 Whoever he was
 自分のことだって思わないんだぜ
 
 これは明らかにボブ・ディランのことを揶揄している?と勘ぐれる部分ですね。歌の最後、異音がするのですが、ハーモニカを落としたような音の後、ポールは「ハーモニカを落としちゃったよ、アルバート」と困ったような口調で語ります。アルバートとは、ボブ・ディランの当時のマネージャーの名前だそうです。
 
 なぜ、彼はこれほどまでディランを意識せざるを得なかったのでしょう?
 
 S&Gの成功以後音楽的に高い評価を受けているポール・サイモンですが、1965年当時は少なからずコンプレックスがあったようです。なにしろ英国で「なぜ米国を出たんだい?」という問いに対し「ディランがいたからさ。」と答えたのは有名な話です。コンプレックスというと聞こえが悪いかな。どこでもフォークといえばディランと比較されることに対する苛立ち、つまりディランに対する強いライバル意識を持っていたことだけは事実だと思います。
 
 この歌は、「ポール・サイモン・ソングブック」にも収録されていて、おもしろいことに、ボブ・ディランの歌い方そっくりの語り歌調に仕上がっています。ボブ・ディランのデビューアルバムを買い(「ペギー・オー」を歌っていると聞いていたので)聞いた彼の歌い方の印象が強烈に頭に焼き付いているから、こう感ずるのかもしれませんが。
 ポール・サイモンがディラン調を真似たのか、または真似て皮肉ったのかはわかりません。「パセリ〜」版は全く違うものになっていますので、サイモン自身曲風を変えたのでしょう。ソングブック版では、詩に英国での孤独感もかいま見られ、最後に俳句という単語が出てくることも驚きです。

 -edという単語で、「何々派」を表現することができると初めて知りましたが、色々な名前が、この-edで、「〜かぶれ」と表現されているのが面白いです。歌の最後には、ロイ・ハリー(レコーディング・エンジニアでポール・サイモンの30年来のパートナー)やアート・ガーファンクルの名前も出ます。
 
 二つのアルバムを聞き比べると、やはり、ポールのディランに対するライバル意識が強く印象づけられます。その意識をパロディにした歌がこの「簡単で散漫な演説」かもしれません。ディランの歌と、ポールの歌は全く別のものだと、現代なら冷静に評価されるはずですが、当時は一緒にされていたことへの苛立ち。やはりポールは非常に自己顕示欲とプライドが高い人ですから無理もありませんね。
 
 たまにはこの歌で、ポールの変わった一面を垣間見てみるのもき悪くないのでは?
 

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