シューベルト ピアノ連弾曲「幻想曲」ヘ短調 D.940
以前、シューベルトの「ピアノソナタ第20番」を感傷的な文章で綴ったことがありましたが、その時も感じたのは、シューベルトのピアノ作品は一度聞いただけではその良さはわからない、ということ。他のソナタも同じです。最初は、だるい、つまらない、単調だ、という印象を私の場合もってしまうのです。
それは恐らくシューベルトの作品は基本がやはり歌曲的で、ピアノ伴奏と歌の構成が、そのまま他の楽器に移行しているからだと思います。
一般的に簡単なピアノ曲(特にイージーリスニング)の多くが左手は伴奏、右手はメロディという役割があります。一般的と書いたのは、クラシック音楽におけるピアノ作品のほとんどはそうではないからです。クラシックをイージーリスニングと一緒にするなんて、言語道断だ!と怒り狂う方もおられるかもしれませんが、ご容赦下さい。本メルマガ発行人のmusikerにとって、音楽とは、どれも同じ土俵のものでして、人の心にどれだけ訴えるものがあるか、しかも余計な知識や先入観なしで、純粋に音楽だけで訴えるか、が基本的な尺度なものですから。
シューベルトの作品はクラシックではないのか?そんなことはありませんが、どちらかといえば、より一般的作品に近い面もあるかもしれません。シューベルトの作品を退屈と感じるのはそのせいかも。こんな感覚は私だけでしょうか?
でも、大事なことは、シューベルトの作品はそんな退屈さを超越した時、始めて私たちの心に訴えてくるのです。ソナタもそうでしたが、「幻想曲」を何度も聞き確信しました。
「幻想曲」は連弾曲です。二人のピアニストが一台のピアノを、低音と高音に役割を分担し演奏します。シューベルトは連弾用作品をなんと30曲以上も書いているんですね。その中でもこれは後期の作品です。
楽章が別れていないものの、ピアノソナタに似た構成になっていて、4部形式になっています。主題は、まさに歌そのものの、哀愁帯びたメロディ。その変奏で全曲が進みます。哀愁帯びたメロディが、突然嵐のようなドラマチックなアクセントの音楽になると思えば、優しげなフレーズに変わったり、とにかく退屈させない構成になっていて、きっと16分弱の演奏は長くは感じません。
私は、この作品の、ソナタでいえば第三楽章にあたるscherzo部分でのリズミカルな曲想、ダイナミックかつ繊細な音の連なりが特に好きです。特に二人のピアニストの息が合った演奏でだけによって奏でられる音楽のスリリングなこと。
先週ご紹介したハラルド・オスベルガー+ミヒャエル・リップのCDが輸入盤で日本でも入手可能となりましたが、そのCD第一曲に「幻想曲」ヘ短調が収録されています。
スコダとデームスの演奏によるアナログ版のLPで同作品の収録されているものをアンサンブルで入手しました。とても美しく、洗練されているのですが、私は、オスベルガーとリップの演奏の方がテンポや弾き方の点でよりダイナミックに感じられ好きです。個人的な好みかもしれませんが。
誰の演奏であっても、この曲は聞けば聞くほど味が出る、まさにスルメのような音楽でしょう。
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