updated on 26 JUL 2006

ショスタコーヴィチ 「ピアノ(とトランペットのための)協奏曲第1番」


ショスタコーヴィチ(1906-1975)
Dmitri Shostakovich  「ピアノ(とトランペットのための)協奏曲第1番」ハ短調 作品35  Concerto No.1 in C minor for PIano, Trumpet and Orchestra Op.35


普通ピアノ協奏曲といえば華麗であり、ピアノという楽器の美しさを堪能できる音楽のはずだ。ある種のパターンというものが、聞き手にはある。多少普通とは違う曲想が出てきても、それは主流を逸脱しない程度のいわばフェイントであり、だいたいが安心してその華麗さに身を(耳を?)浸れる、それがピアノ協奏曲なのだ、絶対に!

ショスターコーヴィチはそんな既成概念などお構いなしに、独特の世界をこの「ピアノ(とトランペットのための)協奏曲第1番」で私たちに提供してくれた。なにしろ主ソロ楽器のピアノに加えて、要所要所でトランペットを第2のソロ楽器として加えている。その独創的なこと。
頭がはち切れそうな音楽だ、本当に。聞いて下さい、第一楽章から度肝を抜かれること保証しますよ。私は先に述べたような「普通の(何をもって普通なのかという議論もありそうだが、、、)」ピアノ協奏曲を受け入れる耳で心の準備をしていたのだが、途中で頭がパニックになりました。これ、マーラーよりすごい常識を逸脱した音楽ですよ。あ!プーランクに似ているな。

先の予想ができない。今日、ベートーヴェンのピアノ協奏曲を全曲通して聞いたけれど、ベートーヴェンの場合はメロディや展開がある程度は予想できる。ところがショスタコーヴィチは全く予想できない。まるでジョージ・ルーカスの映画のようにスリリングで、息をつく間もないのです。疲れる、、。
第一楽章 唐突なピアノとトランペットの音による始まりに続き、「熱情」のメロディにほんの少し似た主題。そしてはちゃめちゃぶりはすぐに始まるのだ。美しい曲想が出てくると思えば、全く別のリズムや和音が登場するわ、トランペットが鳴るわ、とにかく忙しい。この音楽についていくためには既成概念を捨てなければなりません。

第二楽章 弦楽器による深い味わいのある前奏だ。不思議なメロディに心を奪われる。そのメロディに見事にフィットした叙情的なピアノ。ピアノとオケのデュオの素晴らしさ。ドラマチックな中間部の展開。その後の弦の美しさといったら言葉では表せない。トランペットも控えめに哀愁帯びたソロを奏でる。低音楽器のソロにも注目!

第三楽章 宝石のきらめきのようなピアノのソロ。また弦楽器の情熱的なメロディ。

第四楽章 この余韻にひたっていると、突然快活なリズムに曲は変わっていく。またもやあわただしい音楽の始まりだ。ピアノ、オーケストラ、それにトランペットが彩りを加える。ひととおりの騒ぎが終われば、トランペットのソロ。それをぶちこわすようにピアノが邪魔をするが、トランペットは何食わぬ顔でソロを続ける。再び騒ぎは続いて、今度はトランペットまでもが騒ぎに加わり一気にフィナーレを迎える。ああ、、、疲れた。
この曲にはショスタコーヴィチが経験した職業の影響がある。彼は生活のため無声映画のバックグランドミュージックをピアノで奏でるというアルバイトをしていた。音声による台詞のない映像を、いかにスリリングに見せるか。それはひとえに映画館のピアニストの腕にかかっていた。スペクタクル!ジョージ・ルーカスの映画のようだと先に書いたのは、大げさではあるまい。まさに彼はそれをピアノだけで演じていたのだから。

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色々と憂鬱なことが多かったので最近気が滅入っていた。そんな気持ちをスカッとさせてくれたのがこの「ピアノ協奏曲」。深い味わいのメロディもあるし、はらはらさせてくれる。エンタテインメントとしてのクラシック音楽にふさわしい逸品である。オススメ!
【私の聞いたCD】
ショスタコーヴィチピアノ協奏曲第一番&第二番、ピアノ五重奏曲
イェフィム・ブロフマン(ピアノ)
トーマス・スティーブンス(トランペット)
エサ=ベッカ・サロネン
指揮ロサンゼルス・フィルハーモニック
ジュリアード弦楽四重奏団
SRCR 2475

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