「オーヴァーズ」 Overs
耳を澄まして良く聞くと、冒頭数秒後にマッチの火を付けたような音、そして、かすかな息づかいが聞こえます。前奏無しでいきなりポールの悲痛な声で歌は始まります。
Why don't we stop fooling ourselves ?
もうごまかすのは止めよう
かきむしるようなギターのアクセントが、耳に突き刺さります。
The game is over,
ゲームは終わり
Over,
終わりさ
Over.
終わったんだ、、
No good time, no bad times,
良い時もないし、悪い時もない
There's no times at all,
もう時はないんだから
Just the New York Times,
「ニューヨークタイムズ」さ
Sitting on the windowsill
窓台の
Near the flowers
花のそばに置いた
別れ話。それも、長年連れ添った夫婦のようです。
きっと、もはや会話もなく、毎日をただ静かに過ごしているのでしょう。会話がなくとも、心が通じ合っている夫婦もあるかもしれませんが、この二人は、すでに心もバラバラのようです(ポールの歌にはよくニューヨークタイムズが登場しますね)。
しっかりとしたポールの歌声は、まるで映画の俳優のような語り口に聞こえます。シンプルなギターの伴奏が、実に効果的です。この歌では伴奏にはギターだけしか使用されていなく、それもほとんど一本だけ。芸術的伴奏で素晴らしいですよ。
別れた方がいい
問題ないさ
別々に寝ているし
ホールですれ違えば微笑みはするけれど
本当の笑いじゃない
なぜなら二人は笑いきってしまった
ほんの短い間にね
感情の共有でもある「一緒に笑う」う行為を、すでに全部し終え、この先人生で再び本当に共に笑うことがないとすれば、この先二人で過ごすことは、拷問にも等しいのかもしれません。
ポールの深みのあるソロに続き、アートが天から降りてくるような聖なる声で次のフレーズが始まります。
Time
時が、、
is tapping on my forehead,
僕の額を叩いている
Hangin' from my mirror,
僕の鏡から垂れ下がり
Rattling the teacups,
ティーカップをカタカタと鳴らしている
And I wonder,
そして思うんだ
この部分の高音ヴォイスはアートの独壇場。本当に美しいです。それに、tapping、hangin'、rattlingのようなどちらかというと鋭どめに発音すべき歌詞も、ソフトな雰囲気を損ねることなく丁寧に歌うテクニック。まさに聞きどころですね。
And I wonder と高い音のフレーズは、ポールの現実的なヴォーカルに再び引き継がれ、
いつまで先延ばしできるんだろう
We're just a habit
僕らの関係はもう習慣のようなもの
Like saccharine
サッカリンのようにね
サッカリン(甘味料)を、習慣の例えにするなんて、ポール・サイモンらしいですね。そして、ここからが歌のクライマックス。
And I'm habitually feelin' kinda blue.
僕はブルーな気持ちが習慣になり
But each time I try on
試しに、君から離れる
The thought of leaving you,
その時のことを想像するたびに
I stop..
やめるんだ
I stop and think it over.
やめて、よく考えてみるんだ
結局主人公は、常に悩んでいるけれど、止めるんです、別れることを。心が通じていないと感じているパートナーとの別離が現実となる瞬間を恐れている、避けている、勇気がないのか、まだかすかな思いがパートナーに対し残っているのか?それは謎です。でも、男女の別れという永遠のテーマにおける、不思議な葛藤がこの短い歌の中によく描かれている。深い歌です。
映画「卒業」のためにポール・サイモンが書いた歌は結果的に数少なかったのですが、そのひとつが「オーヴァーズ」です。あの映画のテーマには、この歌はぴたりとはまっていたと思います。ロビンソン夫妻の関係など、まさにこんな感じでしょう。もっとも、ポール・サイモンの歌声には、映画のあの夫婦の派手目なキャラクターは合わないから、別の台本と演出が必要かもしれません。全く別の台本で、「オーヴァーズ」を挿入歌にした映画やドラマなど、味わい深い渋い作品ができそうですね。
私自身、若い頃は特に歌詞の内容がピンとこなかったせいか、それほど心に残っていなかったのですが、この歳になりしみじみと良さがわかるようになりました。大人の歌ですね。
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