updated on 18 AUG 2006


マーラー 交響曲第八番 変ホ長調《千人の交響曲》



マーラーは1897年から1907年まで10年間ウィーン宮廷歌劇場の音楽総監督を務めました。かなり精力的に活躍したものの指揮ぶりや音楽に対する考え方が人々に受け入れられたとはいえず、劇場側や演奏者たちからも反感を買い宮廷歌劇場を去ることになります。その後米国のメトロポリタン歌劇場に招かれ、そこでは成功を収めます。

「交響曲第8番」は1906年夏に作曲し始め8月には草稿を仕上げ、翌年夏にオーケストレーションを完成しています。この頃はまだウィーンで音楽総監督として働く多忙な時期です。これだけ長大な作品を2回の夏だけで書き上げたということが驚きではありませんか。

《千人の交響曲》という名称はマーラーがつけたものではなく、1910年の初演(ミュンヘン)でおよそ千人の演奏者を要したため、マネージャーがこの大げさなタイトルで人の目を惹こうと宣伝に使ったものだそうです。

大編成のオーケストラ(総勢100〜150人位か?管楽器と打楽器だけで60人近い)、8人のソリスト、2つの混声合唱団、児童合唱団1つ(初演時には300人だったそうな、すごい!)。合唱団の人数によりますが、厳密に計算すると700人ほど。千人にはなりませんが、まあ誇張すればこう呼んでもさしつかえないでしょう(日本には「一万人の第9」というイベントもありますしね。こちらは誇張でなく実数でしょう)。

大人数なので大味な作品かと思うでしょう?私も最初合唱団として参加を求められた際には練習に臨むまでそう感じていました。

「ケッ!たいそうな題名だな!」と。

しかし、いざ練習が始まると、決しておおざっぱな音楽ではないことがすぐわかりました。音の厚みの効果を狙うためにパートを増やしているのではなく、パート各々にきちんと役割が与えられ音楽の中で個々が埋没しないのです。

★宇宙を音楽で表現?
マーラーが表現しようとしたのは「宇宙」だそうです。彼はこの「第8番」こそが音楽で語りたかったことであり、「第1」から「第7」まではその序章に過ぎない、とまで言いました。あの長大な交響曲群がプロローグ??なんと大胆な発言でしょう。

第一部は「来たれ、創造主よ!」この題名自体が「宇宙」というコンセプトをストレートに表しています。創造主はこの世を造ったわけですからね。

パイプオルガンと管弦楽による二音のきわめて短い前奏に続き、

Veni Veni creator spiritus !
(ヴェーニ、ヴェーニ クレアトール スピリトゥス!)

と合唱が始まったとたん、脳天にガーンとハンマーで叩かれたような衝撃を覚えるのです。トランペットのファンファーレが鳴り響き、ド迫力の管弦楽団の演奏がそれこそ息をつく間もなく続きます。思えば、この冒頭からの迫力はまさに「宇宙」なのかも。なにしろ700人以上の演奏者が一斉に音を出しているんだから当たり前だけれど、聴衆は会場全体が揺れ動くかの錯覚を覚えても不思議ではありません。迫力だけではありません。ソリストの伸びやかな歌声、静かな合唱がそれに続く。緩急さまざまな表情を見せる曲想なのです。マーラー特有のロマンチックなメロディラインがとても美しく、うっとりさせられる箇所もふんだんにあります。

圧巻は、第一部真中の、管弦楽による間奏。各楽器のコンビネーションが聞かせどころ。指揮者によってこの部分のテンポが違いまして、マゼールは遅め、小澤は早め、バーンスタインはもっと早め。聞き比べるとおもしろいかもしれません。ヴァイオリンのソロと合唱のデュエットもいいですね!

終盤「グローリア」合唱からは、スピーディに楽曲が進みます。そして曲終盤の「アーメン」合唱、これは怒涛のようで、「ドレミファソラシド」の単純な音階が絡み合い一瞬にして終わります。オーケストラとは別の管楽器のアンサンブルが客席に配置されていて、本当にど派手なフィナーレ。すごい!

第二部、その前に
「クラシック音楽夜話」で、この作品の第二部についてすぐに書くつもりだったにもかかわらず、私は実に二年近くもこの題材を放置してしまいました。その許し難い理由は実に単純でして……、

 ゲーテの「ファウスト」を読まなければならない!

と、思ったのです。それも強く。

マーラーがこの題材を使ったルーツを知るには、たとえ解説本等を読んでも実感がつかめない。だから、絶対に原作を読むべきだと思いました。古本屋で文庫本を買ってきたけれど(セコイって思われるでしょうが、私の住むここ、冬のオリンピックを行った県庁所在地駅前の大書店にもなんと「ファウスト」は置いていなかった!!文庫本さえも)、少し読んだだけで実はそのまま一年放置してあります。実家には何年も前に買った森林太郎(森鴎外)翻訳の岩波文庫があり、買った当時は「絶対に読んでやる」と何度宣言したことか。結局最初の50ページくらいは読んで、あとはそのまま。私の「ファウスト」は常に「そのまま」が多いのです。読者の皆様の中にはお読みになった方もおられますか。

読まなかった言い訳になるかもしれませんが、この曲について語る上で必ずしも読む必要はない、と最近思えるようになりました。マーラーはこの長大な交響曲の第二部は確かにゲーテの「ファウスト」第二部終幕をテキストとして使用しています。でもこの作品は交響曲で歌劇ではない。マーラーは偉大な詩人ゲーテの作品をモチーフにしたけれど、あくまで自分の表現したい題材にぴたりと合ったから使ったもの(こんな書き方をするとゲーテに失礼か?)。

マーラーの頭の中ではすでにこの音楽へのイメージができあがっていたのですから、、。(それでも「ファウスト」は絶対読みたい気持ちは変わりません。死ぬまでにはぜひ一度実行しよう。)

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第二部は演奏時間が約1時間。長い長〜い音楽ですから気合いをいれないと聞けません。いつもなら「気軽に聞いてくださいね」というように努めていますが、この作品は気軽に聞けるもんではありません。嘘はつけません。心の準備が必要です。また「第二楽章だけでも聞いて」ともいえません。ぜひ第一部(こちらは30分位)と第二部を続けて聞くべきです。

第一部は9世紀頃に書かれたとされるラテン語の賛歌。短いオルガンの前奏の後力強い合唱で幕をあけます。本来はミサ曲風におごそかに、と思いきや、スペクタクル映画のように手に汗を握る展開。非常に映像的な音楽です。その映像的な音楽はそのまま第二部に受け継がれ、更にドラマチックになっています。このふたつの楽章の音楽的な流れをぜひ感じたいものです。

第二部冒頭は森のシーンです。暗闇で深い森の光景を想像してください。低音弦楽器のピチカートから始まり、フルートをはじめとする木管楽器のシンプルで哀愁おびたメロディが森の深さを見事に表現します。やがて奏でられるテーマ。このおごそかなメロディは、第二部全体の音楽を暗示するようです。
ドラマチックな管弦楽の展開。森に嵐でも起こったかのような激しい曲。金管楽器の大活躍は本当にすごい!

この後しばらく管弦楽の演奏が続き、合計10分に渡る前奏は終わり、合唱。これは男声合唱です。聞こえるようで聞こえない、聞こえないようで聞こえる本当のピアニシモとはこのことです。

そして、、「法悦の教父」役バリトンのソロが始まります。この歌は聞き所です。情熱溢れるバリトンソロをぞんぶんにお楽しみ下さい。


ゲーテ『ファウストの物語』
     長く、少し冗長。しかし、奥深い。

★ファウストの物語
皆さんの中で、ゲーテ作『ファウスト』を完読されたかたはおられますか?
前の文で告白した通り私は何度も挑戦したものの長い間完読できていません。森林太郎(森鴎外)訳電子本を買ったことを書きましたが、画面で読み進めるのは想像以上につらい読書でした。結局新たに柴田翔氏訳の文庫本(上巻1,400円、下巻1,700円!文庫本にあるまじき価格ですが、この翻訳なら全部読み終えられそうです)を読み進めています。なんとか上巻は読み終え下巻のなかば。一筋縄ではいかないこの物語。完読までもう少し。

しかし『ファウスト』を実際読んでみてこれだけはわかりました。マーラー「交響曲第八番」第二部を聞く上でこの本を全部読む必要はありませんが、ストーリーだけでも知ると音楽が更に楽しめるということを。この曲は交響曲といっても大部分が声楽で占める「声楽作品」です。ということは歌詞の意味がわからないと百パーセント楽しめない、という当たり前のことに気が付くわけです。再三《千人の交響曲》はいいぞ!と勧めてきたわりには、私自身歌詞を断片的に理解していただけ。きわめておおざっぱに楽しんできただけでした。

★外国語の曲をどう楽しむか?
そういう楽しみもあるでしょう?外国語の歌です。歌詞対訳を追いながら聞くのは楽ではありません。そういう場合、歌詞を「音声」や「音色」として楽しむ聞き方もあります。ポピュラー音楽、ロック、フォークの場合の英語なら曲がりなりにも中高と6年間英語を学び、仕事のシーンでも比較的親しみのある言語ですから、意味を理解しやすいけれど、日本人が日本語以外の作品を言語で百パーセント理解できるケースは希だと思います。

クラシックの歌はいろんな言語があります。ドイツ語やフランス語、イタリア語、その他の言語も音声として聞いてみるといいですよ。驚くほどの美しさですから。
またもや脱線、それと自己弁護になってきましたね。でも「交響曲第八番」の場合はやはり物語のあらすじ位はあらかじめ理解し、できれば音楽のシーン毎の場面設定や歌手の役割を頭に入れておくと、音楽がますます面白くなってくるのでした。

第二部のテキストは正確にいえば『ファウスト』第二部第五幕の最後の部分を使用しています。物語は第一部、第二部に分かれ、日本語翻訳本にすると全部で800ページ以上にわたる長編です。そのうちのわずか15ページほどの分量なのです(しかも抜粋)。

★ところでその前の長大なストーリーは?
あらゆる学問を学び尽くしたファウスト博士は、多くの人々から尊敬されています。しかし彼はいくら知識を支配しても虚しく感じています。何も真実はわかっていないと嘆くのです。知識とは違う、何かワクワクすることを体験したい。しかしそれができるはずもない自分に嫌気をさし、自らの命を絶とうとするとき、悪魔メフィストフェレスが現れます。
悪魔メフィストフェレスはファウストの魂を手に入れる目的でファウストに近づきます。ファウストに未知の経験をさせてやる代わりにある契約をとりつけます。メフィストフェレスがとりつけた契約とは、ファウストが
「留まれ!おまえはかくも美しい!」(至福の時を迎え、時間よ止まれ!と叫ぶことか?)
と叫んだとき息絶えてもよい。しかも彼の魂をメフィストにくれてやるというのです。
二人の冒険が始まります。

★第一部は恋の悲劇
第一部は純情無垢な少女グレートヒェンとの恋の物語。魔女の秘薬で若がえったファウストはこの娘に一目惚れ。メフィストフェレスの手を借り恋仲になります(このあたりの俗っぽいというかセコイ手口がなんとも微笑ましいというか、アホらしいといいうか。男はいつの時代も徹底的に馬鹿者なのです。私もバカの一人ですが、、)。ところが過程で彼女の母親を殺してしまったり、成り行きで彼女の兄と決闘することになって兄をも殺します。そしてどういうわけかファウストは子を身ごもったグレートヒェンを置き(その時点では子が宿っていることは知らない)、メフィストフェレスと別の地へ旅に出てしまいます。グレートヒェンは狂乱状態で生まれたばかりの赤ん坊を殺してしまいます(なんと極端なストーリーか!)。大罪により牢獄に入れられ死刑を待つ彼女を救いに来るファウストですが、彼女は悪魔と手を組んでいることを知り助けを拒みます。そして処刑されるのです。メフィストフェレスは彼女の魂を手に入れようとしますが、なんと天使の邪魔が入って阻止され失敗。
第一部の物語は他の作品でも取りあげられているので、おなじみのストーリーかもしれません。マーラー「交響曲第八番」第二部には直接は関係がないもののストーリーを知っておくと、後の感動具合が増します。

★第二部は神話をおりまぜた政治物語
第二部は舞台がローマ帝国、皇帝のブレインとして二人が再び登場します。話は入り組んでいて、ギリシャ・ローマ神話を知らないとさっぱりわからない。でも、登場人物のセリフ(つぶやきにも近い)をよく読むと人生における処方術のような発見があり興味深いです。「ファウスト」はストーリーよりも断片的に台詞をじっくりとかみしめるほうが面白いかもしれません。ファウストは皇帝に貢献し(その間にエレナという女神を伴侶にして子供を授かったりもする)ある土地を統治する権利を与えられます。ファウストその土地の支配者として働きます。統治者ですから自ら作業をするわけではありません。しかし民のゆくべき道を示し、民もそれに従って日々を過ごす。メフィストフェレスの余計な行動で自らの意志とは逆に人を死に至らせてしまったり苦難の連続ですが、とにかく民が幸福を満喫する様子を見ることで、至福の時を感じます。これら民のために生きようと決意し、思わず口ずさむ言葉が、
「留まれ!おまえはかくも美しい!」
でした、、、、。
悪魔との約束の通り、ファウストは死にます。
ファウストの魂を手に入れようとやって来たメフィストフェレスは、天使による色仕掛けにだまされ気を取られます。その時、ファウストの魂を天使たち持ち去るのでした!
メフィストフェレスは地団駄を踏み悔しがります。
天使によって運ばれた魂の行方。ここからがいよいよ、というか、やっとマーラー「交響曲第八番」第二部の物語なのです。

★この乾いた音楽こそ、この世の無常さを表現する?
10分間にもわたる長い音楽。この音楽は第一部のクライマックスのあの輝かしいメロディが姿を変え、信じられないほどの緊張感と静けさを帯び再現されています。この冒頭の管弦楽の演奏だけで雰囲気は充分伝わってくる!

管弦楽による導入部。弦楽器のざわめき、コントラバスとチェロの低音でのピチカート。不気味な雰囲気がただよいます。フルートの乾いた音色が印象的です。

そしてバリトンのソロが始まります。このバリトンソロだけを聞くために、この長大な交響曲を聞く、という馬鹿げた行為を、「馬鹿にする」ことがいかに馬鹿なことかがわかるほど、見事な歌です。私はこの歌を聞くことお勧めします。素晴らしい!まさに逸品です。聞いていて胸の底から熱いものがたぎるのがわかります。

バリトンの役柄は歓喜にひたる神父です。彼は人間ではありません。なにしろ空を上下に浮遊するんですからね(……)。歌うのは創造主への讃歌。力強く弱く、美しく、輝かしく、猛々しく、優しく、相対する言葉すべてを包むメロディ。詩の原文と訳文を並べるだけで、想像力が沸いてきます。

  Ewiger Wonnebrand  永遠の歓びの火
  Gluehendes Liebeband  灼熱する愛の絆
  Siedender Schmerz de Brust,  煮えたぎる胸の痛み
  Schaeumende Gotteslust.  神を思う泡立つ喜び
  Pfeile, durchdringtet mich  矢よ われを貫け
  Lanzen, bezwinget mich,  槍よ われを刺せ
  Keulen, zerschmettert mich,  棒よ われを砕け
  Blitze, duruchwettert mich,  稲妻よ われをうち倒せ
  Dass ja das Nichtige,  意味なきものが
  Alles verfluechtige  すべて消え去り
  Glaenze der Dauerstern,  あの動かざる星
  Ewiger Liebe Kern!  永遠の愛の 核心が輝き出るために

  ※訳:柴田翔(講談社刊 ゲーテ『ファウスト』下 講談社文芸文庫より

この部分は、ファウストの心情を見事に表すものだと、私はうけとめています。数々の冒険を通じ、ファウストが受け止めた物は永遠の愛。それは普遍的な愛です。異性だけでなく人間すべてに対する愛なのです。

この後、天使やかつて愛を誓い合ったグレートヒェンの霊などが登場し、皆でファウストの霊をあの聖母へと昇天させようとする物語が音楽で表現される。もはや交響曲というよりもオペラ、カンタータ、あるいはドラマでもあります。

(この項続く…)※意気込んで書いたものの、二度にわたって中断したままの未完成原稿となっています。

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