updated on 24 JUL 2006

長野県飯山市に流れたモーツァルト


★長野県最北端の飯山市
長野県は縦に細長い県である。最北端の栄村から最南端の根羽村までおよそ直線距離にして約200kmある。北から南まで高速道路を使えば2時間半ほどで走り抜けられるが、山が多いため、普通道や列車を使うととてつもない時間がかかる。
最北端の栄村の隣に飯山市がある。新潟県に隣接した雪国である。人口約26,000人。江戸時代までは千曲川を利用した舟運や越後へ続く街道を使った物流拠点として栄えたが、明治以後信越線の開通により拠点としての機能はなくなる。以後は農業を中心に、飯山仏壇、内山紙などの伝統工芸をはじめとする地場産業により発展。斑尾・戸狩などのスキー場があり、スキー用具の製造地でもある。
長野市から列車で行けば1時間ほどの距離にあるのだが、長野市とは全く別の風景になる。これは驚くばかりだ。こんなに近いのに別世界(もっとも長野は市街から少しはいると豊かな自然。その豊かさは半端ではないのだが、、)。飯山には冬に「いいやま雪まつり(2月)」という有名なイベントがある。冬はスキー客などで賑わうが夏はそれほど人も観光客も多くなくここはまさにのどかな田園地である。

なんだか飯山市の観光PRのような文になったが本題はこれからだ。
この飯山市を約20年前、1984年秋にウィーンの音楽家たちと訪れた。音楽家たちはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバー(現役あるいは引退したメンバー)を中心とした室内楽団であり、本場ウィーンで活動していた一流の音楽家たちである。ウィーン楽友協会のホールと、当時できたばかりの長野県県民文化会館との姉妹提携(楽友協会が姉妹提携に応ずるのは前代未聞だった)事業の一環として長野県に招待されたのだ。

★ポンコツバスでの道中、そして超シンプルな会館
相当古いポンコツバスでメンバーと長野から向かった。旧式のエンジンで、乗り心地も最悪だった。長い飛行機旅行、時差ぼけ、東京からの移動(当時はまだ「特急あさま」で上野から片道3時の旅)、連日のハードスケジュールで疲れていたウィーンのメンバーたちの表情が堅い。「まずい……」と私は思った。
ところが、、飯山市に近くなりあたりの景色を見るにつれて、彼らに笑みが戻ってくる。そう、緑豊かなこの地が、まるで故郷のオーストリアの田舎の景色に似ていて、心がなごんだのだ。
飯山市の市民会館に到着する。そこは本当に昔ながらの会館であった。シンプルで今みたいに設備も整っていない。舞台袖から階段を上った所にある控え室は引き戸の古びた部屋で、折り畳み式のテーブルとパイプ椅子。紺色の湯飲み茶碗とポット。本当にクラシックな日本の控え室(こういう表現でわかってもらえるかな?)。とてもウィーンの一流の音楽家に使ってもらうような部屋ではない、とその時は正直思った。内心困ったのだが、どうしようもない、、。
でも、彼らは文句のひとつもいわない。それよりステージでのリハーサルに余念がない。やがて開演時間がやってくる。会場にはたぶんそれまで一度もクラシック音楽、それも室内楽曲の生演奏など聞いたことのないであろう聴衆が大勢集まってきた。老若男女、子供もいる。会場は満員とまではいかなかったが7割程度埋まっている。

★第一楽章終了後の拍手喝采
ステージへメンバーが出ていく。大拍手。やがて演奏が始まる。モーツァルト「ピアノ四重奏曲第一番」である。冒頭からピアノと三本の弦楽器がユニゾンでテーマをダイナミックに奏でる。きびきびとしたいい曲である。聴衆もじっと聞いている。彼らの耳や心にはこのウィーンの音楽家たちが奏でるとてつもなく美しく柔らかな音色はどう響いただろうか。
第一楽章が終わる。ここで!私の最も恐れていたことが起こる。盛大な拍手がわき上がったのだ。それは大喝采といっていいほどの拍手である。拍手は鳴りやまないのだ。ううう、困った。ステージのメンバーを見る。彼らは苦笑している。まさか席を立ち拍手に応えるわけにはいかないから困っている。しばらくすると拍手は納まった。

第二楽章が始まる。今度はスローテンポの美しい楽章。ピアノの華麗な指裁きと繊細な弦楽器の音色のハーモニーが美しい。夢心地で第二楽章の演奏は終わる。さて、ここでも拍手が起こる。ピアニストは微笑みながら会場を見渡し少しだけうなずくしぐさを見せる。「ありがとう、でもまだ終わりじゃないからね、、」といいたげに。
快活な第三楽章が終わる。スリルとサスペンスの時間は終わった。割れんばかりの拍手だ!「いいんだよ、いいんだよ、今度はいくら拍手してもいいんだよ」ここで初めて私が胸をなで下ろしたのはいうまでもない。

★オーストリアやドイツだって同じさ

だが私の悪夢は続く。結局その日は最初から最後まで楽章が終わるたびに拍手が起こった。でも、メンバー達は皆嬉しそうだった。演奏会のマナーはともかく、自分たちの演奏を喜んでもらえたことに感動していたようだ。
帰りのバスの中、メンバーの一人はいう。「拍手のことかい? オーストリアや、ドイツだって、田舎なら同じようなものさ」間髪開けず別のメンバーが話しに加わってきた。「楽章の区別がつくかどうかは、知識の問題だからね。クラシック音楽を初めて聞く人だって多かったんだろう?それなら仕方がない。それより音楽を楽しんでもらえたのか、この会場に来て聴衆たちは幸せだったのか、それが大切なのさ」「……………………。」
拍手が起きるたび凍え、恥を感じていた未熟な自分を、私は恥じた。
私はこの作品を聞く度に、飯山のあの会館と、人々の満面の笑み、そして楽章毎の拍手がよみがえる。それにしてもあの時のモーツァルトは最高の演奏だった。あんな演奏は一生聞けないかもしれない。

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