The Late Great Johnny Ace

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   The Late Great Johnny Ace 今は亡き偉大なジョニー・エース
    "Hearts and Bones"『ハーツ・アンド・ボーンズ』第10曲


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この歌を初めて聴いたのは、サイモンとガーファンクルの歴史的コンサート「セ
ントラル・パーク・コンサート」の映像だった。先行して発売されたLPにこの
作品は収録されていなかった。ただ、解説でこの作品について少し触れてあっ
た。先年殺されたジョン・レノンへのトリビュート的歌、とあった。演奏中客席
から突然男が現れポールに何かしようとしたため、警備員に取り押さえられたこ
とが書かれていた。出来事はショッキングで、たぶん多くのファンたちの脳裏に
は「The Late Great Johnny Ace=コンサート中の暴漢事件」と焼き付いたに違
いない。セントラルパークで生演奏を聴いた聴衆以外の世界のファンたちは、コ
ンサートの映像で初めてこの不思議な雰囲気をもつ歌にお目にかかった。

最初の印象? 正直いって「変な歌だな」、それが感想だった。
ギターの前奏は、およそこれまでのポールの歌らしくない妙なフレーズ。変な
コード進行。つぶやくように歌うポール。字幕があったかどうかは忘れたけれど
(たぶんあったろうが)、ジョニー・エース、J・F・K(故ケネディ大統領のこ
とだと知ったのは後のこと)、そしてジョン・レノンの名が出てきたことが印象
に残った。けれど、ポールが襲われそうになる瞬間の映像をどきどきしながら観
ていたので、曲をじっくりと聴いた記憶もない。その瞬間は歌の終わり近くで
やってきた。「おお!」と思わず叫びそうになったが、男はナイフを持っている
わけでもないし、ポールはうまく彼をよけ、警備員に男は取り押さえられステー
ジから消えた。ハッとしたポールだったが、ちょうど歌の切れ目であり、その切
れ目がちょっと長くなっただけの不思議な余韻の後、彼は最後のフレーズを歌
い、思慮深げにギターでエンディングを演奏した。

その後、長い間私はThe Late Great Johnny Aceを聴くチャンスがなかった。
ポールのアルバムを購入することも聴くこともなかったためである。20年後、
そう、メールマガジン「all simon and garfunkel」を始めた頃、アルバム「ハー
ツ・アンド・ボーンズ」を手に入れた。終曲に収録されているこの歌に再会し
た。

聴いた。

とてもショックだった。こんな傑作を、なんと長い間聴かずに生きてきたのか。
わけもなく悔しかった。

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 The Late Great Johnny Ace

 I was reading a magazine
 僕は雑誌を読んでいた
 And thinking of a rock and roll song
 ロックンロールソングのことばかり考えながら
 The year was 1954
 時は1954年
 And I hadn't been playing
 あんなに夢中だったことはない
 When a man came on the radio
 ある時、ラジオで放送をアナウンスがさえぎり
 And this is what he said
 男はこういったんだ
 He said I hate to break it
 「番組の途中ですが
 To his fans
 ファンの皆さんに残念なお知らせです。
 But Johnny Ace is dead
 ジョニー・エース氏が亡くなりました」

 Well, I really wasn't
 僕はジョニー・エースの
 Such a Johnny Ace fan
 ファンじゃなかった
 But I felt bad all the same
 けれど、なんだかファンたちと同じ位ショックだった
 So I sent away for his photograph
 僕は彼の写真を注文し
 And I waited till it came
 それが届くのを待った
 It came all the way from Texas
 遠いテキサスから届いた写真に
 With a sad and simple face
 写るのは、哀しげで、ごくありふれた顔
 And they signed it on the bottom
 写真下のサインはこうだった
 From the Late Great Johnny Ace
 亡き大スター ジョニー・エースより

ギターの前奏は「セントラルパークコンサート」と全く同じ。シンセサイザーが
バックに控えめに流れ、怨念に似た雰囲気をかもしだしている。

第1部では、ロックンロールに狂っている中学生くらいのポールが登場。雑誌を
むさぼり読み、ラジオを聴いている光景が思わず目に浮かぶ。ラジオにはきっと
歌が流れていたのだろう。曲間、音楽でハイな気持ちに水をかけるようにアナウ
ンスが遮る。そのいらだちが短い詩から伝わってくるではないか。

変わったコード進行に乗る語り口調のメロディ。たんたんと進むフレーズの最
後、And this is what he said とやや音を延ばし、いまいましげにつぶやく歌詞


But Johnny Ace is dead

後半、「別にファンではなかったと」と告白しながら、いいようのないショック
を感じている。私自身、三島が自殺した後の嫌な気分を思い出したが、あれに似
た気分かもしれない。私も別に三島文学や彼の生き様が好きだったわけでもない。
むしろ嫌いだったが…。ファンでなかった彼は、エースの死で本当のファンにな
ったのかもしれない。でなければ写真を取り寄せたりはしない。若者の気まぐれ
かもしれないけれど、ファンになるきっかけなんていろいろあるのだから。

 It came all the way from Texas
 With a sad and simple face

哀しげな顔つき、という言葉が妙に心に刺さる。
アルバム「ハーツ・アンド・ボーンズ」解説シートにはジョニー・エースの写真
が掲載されている。

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およそ10年後。
20代半ばのポールはシンガーソングライターとしての成功を夢見て欧州へ渡っ
ていた。

相棒のアートと共に発表した初アルバム「水曜日の朝、午前三時」が全く売れず
失意を払拭するための旅だった。ザ・ビートルズやローリング・ストーンズが全
盛。取り残された自分に、苛立ちを感じていたのだろう。

母国アメリカでは政界のヒーローが生まれた。ジョン・F・ケネディである。
しかし、時代のヒーローは銃弾に倒れた。世界に衝撃が走った。

 It was the year of the Beatles
 あれはビートルズの年
 It was the year of the Stones
 あれはストーンズの年
 It was 1964
 1964年のこと
 I was living in London
 僕は前の夏から
 With the girl from the summer before
 ロンドンであの娘と暮らしていた
 It was the year of the Beatles
 あれはビートルズの年
 It was the year of the Stones
 あれはストーンズの年
 A year after J.F.K.
 そして、ジョンF.ケネディの1年後
 We were staying up all night
 僕らは寝ずに夜を明かし
 And giving the days away
 ただ日々を過ごしていた
 And the music was flowing
 あふれる音楽
 Amazing
 驚きの連続
 And blowing my way
 僕の道を風が吹きすさむ

第2部は、ロックンロール調のメロディとアレンジ。時に世界中の若者たちが
狂った電気ギターの音。

キャシーと共に暮らす英国での生活を、ポールファンならイメージする歌詞。ケ
ネディが暗殺されたことに直接触れていないことがむしろ印象に残る。ポールは
ケネディに対し信望を抱いていなかったのか?それともあえて触れずに余韻を残
したのか、謎だ。ただ、いえることは、母国アメリカのことを気にかけながら
も、彼は遠い英国で音楽と共に生きていた。最後の三行の言葉、flowing 、
Amazing 、blowing  がやけに哀しい。

曲調は第1部に戻り、そして、この歌の核心部へ迫っていく。

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 On a cold December evening
 寒い12月の夕方
 I was walking through the Christmas tide
 クリスマスの人並を歩いていた
 When a stranger came up and asked me
 見知らぬ人が近づいてきて、こう尋ねる
 If I've heard John Lennon had died
 「ジョン・レノンが死んだんです。知っていますか?」
 And the two of us
 僕たちふたりは
 Went to this bar
 そのバーへ入り
 And we stayed to close the place
 そこにずっと居続けた
 And every song we played
 聴いたのはどれも
 Was for the Late Great Johnny Ace
 亡き大スター ジョニー・エースの歌だった

冷え冷えとした、本当に寒いニューヨークの町並みがイメージさせられる。
クリスマスの夜。恋人と共に町を歩く姿が見える(たぶんキャリー・フィッ
シャーか?)。
町ゆく一人が、ポール・サイモンに気づき、ジョン・レノンが殺されたことを告
げた。

驚きショックを受けたポールの顔。そして、ショックを紛らわすため、二人は街
角のバーに入る。二人は会話もせず、ただ閉店までそこで過ごしたのだろう。無
言で時間を過ごすほどのポールの気持ちが痛いように伝わってくる。歌が淡々と
しているだけに、なおさらだ。

ジュークボックスか何かだろうか。その店でポールはひたすらジョニー・エース
の歌を聴いたのだろうか。それとも、他の歌だろうか。どの歌も、エースの歌だ
ったというのは、単純にエースの楽曲ばかりだったと解釈もできるし、あるいは
自分が作ってきた歌すべては、彼に捧げたものだった、という意味も含んでいる
のかもしれない。

いずれにしても、およそ四半世紀前に味わったやるせない気持ちが、ジョン・
レノンの死を知ったやるせなさと重なった。ジョニー・エースの歌と顔が心の中
をフラッシュした。

少し長目のストリングスとシンセサイザーによるエンディング。ただならない
雰囲気の歌の締めくくりは抜群に効果的で、満ち足りない哀しみや怒りがこみ
あげてくる。本当に意味深な音楽である。

まさに、タイトル"Think Too Much"「考えすぎかな」というタイトルそのまま。
このアルバムは最後まで聴き手を煙にまき、実態を表さない。実態は聴き手に
ゆだねられている。考えすぎかな、と自問自答しつつも、聴き手に考えさせて
しまう。これは難問ではないか?


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