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「フェイキン・イット」 Fakin' It

 これまでの日本語タイトルの付け方に疑問を感じる曲のことをあれこれ書いてきましたが、サイモン&ガーファンクルの歌には英語名のままカタカナでタイトルにしてある曲もいくつかあります。
 「フェイキン・イット」もそのひとつ。
 
 このタイトル、意味わかります?
 恥ずかしながら私はついさっきまで知らなかった罪深いS&Gファンです、。
 
 fakeを辞書で調べると
  でっち上げる、偽造する
  (だます目的で)欠点を隠す、見てくれを良くする
  ・・のふりをする、と見せかける
 日本語タイトルを付けるとすれば「嘘」(そんな演歌作品が昔あったな)、「まやかし」(これも演歌タイトルぴったり)、「僕は僕じゃない」(?)「私は誰?」(笑、、、)
 やっぱり一見意味不明でも、「フェイキン・イット」の方がいいですね。

 弦楽器と、手拍子、ドラムの力強い前奏に続き7thのブルース風コードによるギターストローク。最初から二人でハーモニー。アートのバックコーラス。
 
  When she goes, she's gone
  行きたければ、行ってしまう
  If she stays, she stays here.
  ここにいたければ、いる
  The girl does, what she wants to do
  娘はしたいように、する
  She knows what she wants to do
  したいことが何かをわかっているから
  And I know I'm fakin' it.
  僕といえば、自分をごまかし
  I'm not really makin' it
  やりたいようには何もやっていない
 
 骨のあるメロディとコーラス。1コーラスだけ聞いて、すぐに感じます。
 勇気を振るい出させてくれる雰囲気のあるいい歌だと。
 
 The girl doesのあたり、メロディとぴたりとマッチして、力強い。
 I know I'm fakin' itの三連符。メロディとギターのハーモニーも絶妙です。
 
  心許ない魂
  庭を散歩しても
  心がすり減るばかり
  横たわるブドウのツルには足をとられ
  パンチのある言葉をかき集めているだけで
 
 歌の世界における虚偽の自分に対する葛藤が感じられます。足にからむのは二人を取り巻くショー・ビジネスの世界のやっかみでしょうか
 
 第三コーラスでは、ふと我に返ります。
 
  そんなに深刻な問題なのって?
  いや、なんてことないんだ
  僕にまかせてくれるかい
  時間をつくるから
  君の隣人を心からもてなせる時間をね
  嘘ばっかりさ
  実は何もできやしない
  このうわべだけの気持ちが
  ずっと離れないんだ

 隣人をもてなす、きっとファンを喜ばせる歌を書く行為、という意味なのかもしれませんね。サイモン&ガーファンクルというミュージックシーンのヒーローと真の自分たちとのギャップに常に悩んでいたと、想像できます。それを深刻に歌うのではなく、この調子のよい曲想で、まるで笑い飛ばす
 ように歌う作品に仕上げている点が、さすがです。
 
 市販のCDやレコードについている訳では、
 I'm fakin' it
 I'm not really maikin' it
 の部分を
 「うわべだけをとりつくろっているだけ
 自分の人生を生きちゃいない」
 
 となっていますけれど、これほど文学的な印象ではなく、もっと軽いのりで「僕は詐欺師みたいなもの、何も真実を書いていやしないんだよ」と、歌っているような気がしてきました。「フェイキン・イット」を何度も繰り返して聞き抱いた私個人の感想ですが、、、。

 おもしろいのは、第四コーラス。彼は空想の世界へ飛びます。
 
  前世の僕の人生を想像してみれば
  服の仕立屋だったに違いない
  その時代の僕を見てごらん
  ("Good Morning, Mr. Leitch.
  「おはようございます、リーチさん。
  Have you had a busy day ?")
  今日もお忙しいんでしょうね?」
  I own the tailer's face and hands.
  仕立屋の顔つきと手だ
  I am the tailer's face and hands and
  僕は仕立屋の顔と手つき
  I know I'm fakin' it.
  嘘に決まっているだろう
  I'm not really makin' it
  そんなはずないはない
  This feeling of fakin' it
  このペテン師の感覚がさ
  I still haven't shaken it
  ずっと振り払えないんだ
  
  ※今回の迷訳(?)はいつもに増して私の主観が入っていますので、英文解釈的つっこみは入れないでくださいね、、、。と言い訳。
 
 書物によると、ポール・サイモンは、歌を書き演奏することで収入を得ている自分の境遇を奇妙に感じていて、1世紀前に生まれていたら、どんな人生を送っていたかを想像したそうです。彼はアメリカ人ではなく、オーストリアに住むユダヤ人であると考え(実際先祖はそうだったらしい)、職業は、船員だった想像しました。しかし、すぐに船員は取り下げ、ユダヤ人だとすると、、、「仕立屋」だろう。そう決めたそうです。ところが、後にポールはお父さんと話しているうちに、父のおじいさんポール・サイモン(同姓同名)は、オーストリアに住み、仕立屋を営んでいたという話を聞きました。全くの偶然ですが、不思議な話です。
 
 全体的に、ノリの良いフォークロック調の歌の中に急に、ヨーロッパ風のメロディに乗り、店を開けたときのベルの音(ここがドイツやオーストリアの雰囲気ぴったり)に続く女性の台詞。ビヴァリー・マーチンという歌手の声だそうです。いい雰囲気が出ていますよね。
 
 「フェイキン・イット」は、1967年にシングル発売されました。しかしこの録音をポールは気に入っていなかったらしいです。テンポが遅く、楽器がかみ合っていないことに不満だったようです。アルバム「ブックエンド」版はその不満を解消する内容に仕上がっているそうです。というのは、私はシングル版を聞いたことがないので、コメントできません。聞いてみたいですよね。
 
 私は、英国風女性のマーチンの声とドアを開けた時のベルの音が好きで、何度も聞いてしまいます。
 
 「フェイキン・イット」、良い歌ですよね。  

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