著作権保護は誰のため?
最近興味深い話題をNHKで見た。それは著作権の延長の法案に対する米国における反応だ。
米国では、1998年の法改正で、当時は、作者の死後50年までの著作権消滅期間を70年に延長となった。企業は作品の著作権発生から75年が95年になった。
もともと、米国建国の際この憲法ができた時、著作物の保障期間は出版後14年間だったという。14年過ぎれば、作品は社会の共有財産(パブリックドメイン)となり誰もが自由に使えたのだ。
ところが、米国では著作権による保護の期間は延期を繰り返してきた。
米国における著作権の期間の変遷を見てみよう。
1790年 14年+更新14年 合計28年
1831年 28年+更新14年 合計42年
1909年 28年+更新28年 合計56年
1976年 1975年以前の作品 28年+更新47年 合計75年
1976年以降の作品 個人の場合 作者存命期間+死後50年
企業の場合 著作権登録以後75年
1998年、これが更に20年延長となった。
1976年以降の作品 個人の場合 作者存命期間+死後70年
企業の場合 著作権登録以後95年
この改正を不当とし、1998年の著作権の有効期間の延長に異議を唱えている人々もいる。
なぜか節目で延期される著作権保護期間
1920年代に生まれた米国の豊穣な文化遺産が、今、著作権保護のもとで揺れ動いている。ひとつの例はミッキーマウスだ。
ミッキーマウスが著作権登録されたのは1928年。2003年にはその著作権が消滅し、この世界的マスコットは、一般開放され自由に使えるはずだった。それが20年更に延期されることになった。ちょっとまてよ? 上の表をよく見てほしい。1976年の法改正の時のケースも似ていないか。ミッキーマウスの著作権は1984年に切れるはずだったからだ。
作品を作る側の論理と、使う側の論理がある。
著作権という権利を少しでも長く保ちたいと願う作者は多いだろう。マリリン・バーグマンというミュージシャンは、自分の歌を、家や財産と同じように孫に譲ることができないことを嘆いている。歌は彼らにとって永遠の財産なのだ。だから死後わずかに50年しか著作権が続かないのは、不本意に違いない。
一方、新しいアーチストたちや文筆家たちは、発想の源となる作品の著作権がいつまでもだらだらと続くことに苛立ちを隠せない。「ウェスト・サイド物語」がシェークスピアの「ロミオとジュリエット」からヒントを得て生み出されたように、近年の優れた作品をモチーフに新たな創造をしたいアーチストは世界に存在するだろう。優れた作品は共有の知的財産であり、それらが延々と著作権保護のもと、自由に利用できない状況が続くのは、優れた作品が生まれる可能性を疎外していると主張する。
企業と国の経済政策としての著作権延長
どうも、この問題の根源は、著作権保護本来の意義が、現代では経済的な目的に変わってきている点にある。著作権を有する企業はビジネスとして、つまり収入源としての著作権を延期したいのだから。事実、彼らは著作権による収入は、米国経済の5%を占めているとアピールする。ここで著作権を20年延期しなければ、米国経済にとって損失であると主張する。言い換えれば、著作権保護期間延長は、作者の権利を守るものだという主張は、単なる建前で、保護しようとしているのは企業と国の経済なのだ。
少し下品な表現だが「他人のふんどしで相撲をとる」とはこのことだ。
※この項は、NHKスペシャルの番組と、以下のコンテンツを参考にして書いています。
http://cyber.law.harvard.edu/eldredvreno/nyt32898.html
IMMORTAL WORDS, IMMORTAL ROYALTIES ?
Even Mickey Mouse Joins the Fray
Dinitia Smith
The New York Times, p. A13
March 28, 1998
Copyright 1998 The New York Times. |