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「ニューヨークの少年」The Only Living Boy In New York


 大ヒットアルバム「明日に架ける橋」。
 「ボクサー」そして「明日に架ける橋」と続けてヒットをはなったサイモン&ガーファンクル期待のアルバムを、ファンは1970年、どれほど心待ちにしてレコード店に行き、買ってきたでしよう。そしてだれもが、胸をわくわくさせてレコードに針を落としたはずです。
 
 でも、、、、。
 多くのS&Gファンはこう感じていたはずです。
 「このアルバム、本当にサイモン&ガーファンクル?」と。
 
 「明日に架ける橋」は聞き慣れたヒット曲ですからいいでしょう。しかし、「コンドルは飛んでゆく」の不思議な民族的メロディとそれまでのポール・サイモンの詩とはかけ離れた内容。「セシリア」や「ご機嫌いかが」の騒がしげなサウンド。そして、ボサノヴァ風「フランクロイドに捧げる歌」。いずれもそれまで私たちが抱いていた彼らのサウンドのイメージと全くかけ離れたものでした。とりわけ、ポールのアコースティックギターが前面に出てきません。そして、二人の美しいハーモニーが聞こえないのです。
 
 A面を聞き終え、レコード盤を裏返しB面に向かいました。
 「ボクサー」はいい。しかし「ボクサー」のB面収録の歌で知っているものの、50年代風サウンドで彼らの歌としては耳慣れず、あまり積極的に聞く気になれなかった「ベイビー・ドライバー」。やはり、変だな、、。
 
 そんな気持ちを払拭してくれたのがこの「ニューヨークの少年」でした。懐かしい十二弦アコースティックギターの短いストロークでこの歌は始まります。ファンはみんなこのサウンドを待ち望んでいたのです。
 
 (第一コーラス)
  Tom, get your plane right on time.
  トム、飛行機に乗り遅れるな
  I know your part'll go fine.
  大丈夫、仕事はうまくいくさ
  Fly down to Mexico.
  メキシコまで飛んでいきな
  Da-n-da-da-n-da-n-da-da and here I am.
  僕はここにいる
  The only living boy in New York
  ニューヨークにひとりぼっちで住んでいるのさ
 
 当時発売のアルバムの解説には、「ギャングが自分の相棒に高飛びの指示をするようなシーンを思わせる」という怪しい記載があります。もちろんこれはいまではジョークのようなものと捕らえるしかなく、この歌はポールが相棒のアートに向かいかけた声でした。アートは当時「キャッチ22」という題名の映画に俳優として出演し、世界を撮影で飛び回っていました。
 (註:トム=アートのこと。サイモン&ガーファンクルは、トム&ジェリーという名で10代の頃デビューしていた)
 
 アート・ガーファンクルの映画俳優としてのキャリアの始まりが、サイモン&ガーファンクルの活動に次第次第に影響を与えてきたという事実は今でこそ周知ですが、当時は全くそんな情報はありませんでした。ファンは、サイモン&ガーファンクルというデュオのひとりガーファンクルが映画に出演するという話題をきわめて好意的に興味をもって受け止めていたはずです。
 
 しかし、アートの映画撮影のためのスケジュールは、アルバム作りにも支障をきたし、それだけが直接原因ではないものの、アルバム制作がかなり遅れたことは事実です。また、ポールもかなりフラストレーションが高まっていようです。
 
 でも、ポールは常に相棒を気遣い、彼にこの歌でエールを贈っている。自分の孤独感もさりげなく歌うけれど、この歌はまさにポールのアートに対する友情の証です。
 
 (第二コーラス)
  知りたいニュースは天気予報でわかる
  知りたいと思っているニュースは全部天気予報から集められるんだ
  ああ、今日は何もすることがないんだ、微笑む他にはね。
  僕はここさ
  ニューヨークにひとりぼっちで住む少年さ
 
 歌の主人公はもはや、天気予報以外のことに関心がないのです。天気を気にするのは飛び立つ相棒の安否への気遣い。無事に飛べよ、、と。放心状態で一日部屋で座りただ微笑んでいる。寂しさがかえって強烈に伝わります。
 
 情熱的な歌いぶりになるサビでは、アートとの短いハーモニーで、
 
 (サビ)
  Half of the time we're gone
  僕らは半分過ぎたんだ
  But we don't know where
  でも、どこにいるんだろう
  And we don't know where
  どこにいるんだろうか?
 
 ポールはサイモン&ガーファンクルというデュオの行方をこの歌詞の中で、問いかけます。二人の共同作業で進めてきた音楽は、既に折り返しに達している。しかし、いまどこをさまよっているかはわからないと、、、。
 
 アコースティックギター、ベース、オルガン、パーカッションによるサウンドは、不思議と教会音楽にも聞こえます。「アー」という声によるコーラス部分は、アートが本格的合唱風に、口を大きく開け大きな声で作り上げたハーモニーを、ミキシングによりソフトな音に作り替えるという実験をした部分です。確かにこの「アー」の部分は印象的なサウンドに仕上がっていますね。コーラスは、here I am ということばで結ばれるのも、意味深です。
 
 (第三コーラス)
  トム、飛行機に乗り遅れるな
  旅立つこの日を待っていたんだろう?
  ほら、君の信念に光を照らすんだ、いまこそ
  僕に光を照らしてくれたように
  ニューヨークにひとりぼっちで住んでいるのさ

 これは、ポールのアートに対する別れの歌です。ポールは彼と過ごした日々をとても大切に思っている。そして、アートの新たな挑戦にエールを送り、そして別れも決意しています。
 
 その思いは強く、サビの部分と第三コーラスがもう一度繰り返されます。
 
 前からこのメールマガジンでも述べている通り、アルバム「明日に架ける橋」にはポールとアートが揃って録音した曲は少なく、「ベイビードライバー」のようにポール一人の多重録音によるヴォーカルや別々にヴォーカルを録音し後に編集するという、それまでのアルバムとは違う方法で完成されました。
 
 「ニューヨークの少年」でも、メインヴォーカルはポールで、アートの声はサビの部分や、コーラスで登場するだけです。しかもこれらのコーラスは、ポールとは別に録音されているのです。
 
 懐かしいアコースティックサウンドで安心したファンの心境をよそに、「ニューヨークの少年」は、まさにサイモン&ガーファンクルの新たな旅立ちを暗示する曲であったとは、皮肉な話ですね。
 

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