updated on 11 JAN 2004 |
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於:東京文化会館 時:2003年12月31日15:30〜2004年1月1日0:40
場内に入り辺りを見わたすと客層は予想通り年齢が少し高め。若者たちもいますが、やはり50代以上の熟年層が圧倒的です。おそらく日本全国から集まってきたベートーヴェン好き約二千人以上。ベートーヴェン好きとまでいかなくても、大晦日から元旦にかけてベートーヴェンだけ聞くこの希有なイベントに賛同し好奇心で集まってきた人々でしょう、私と同じように。ロビーは活気溢れています。皆ワクワクしながら開演を待っているようです。企画者のお一人三枝さんの顔も見えます。着物姿の女性もいて年末年始らしい雰囲気がたっぷり。やがて東京文化会館特有の開演のチャイムが鳴ります。いよいよ開演です。
★前半 第一番〜第六番
ここで作家島田さんのトークが入りました。セッティング同時進行の中のトークですからつなぎ役みたい。ご本人も自ら「次の英雄交響曲の前座を務めます」とおっしゃっていました。会場はトイレに立つ人もいてざわつきぎみ、ステージはセッティングと、騒がしい中でのお話ですから「よく引き受けたもんだな」と私は個人的に感心していました。お話は、ハイリゲンシュタットの遺書が自殺を思い立った人の文とは思えないほど、後半が実に前向きであることに驚いたこと、ベートーヴェンの音楽は常に冒険、挑戦の連続であったことなど。第一番の交響曲は、まだ白いカツラをかぶって気取って演奏する貴族サロンの匂いが残っているけれど(つまりそれまでの貴族社会における娯楽扱いの音楽)、第二番で既に「何が起こるかわからない妙な予感をさせる、予断を許さない音楽」と、すでにウルトラ個性あふれるものになっている、と。そして、遺書を書いた後に発表した第三番でベートーヴェンにしか書けない独特の音楽を完成させたのではないか、とご自身は感じているとおっしゃいました。
「英雄」と名称が付くベートーヴェン交響曲で最初のポピュラーな作品「第三番」。こちらも指揮は金さんです(管弦楽:東京シティフィル)。雄大な第一楽章、葬送行進曲的第二楽章、小刻みなリズムで管弦楽のピアニッシモが栄える第三楽章、そして有名な英雄変奏の第四楽章。要所要所を見事にまとめあげ、管弦楽もそれについていきます。特に管楽器セクションの秀逸さは特筆すべきです。このコンサート初の「ブラボー」が飛び出しました。三度のカーテンコールに、指揮の金さん、オーケストラもご満悦。聴衆も大満足でした。
今度は指揮者大友直人さんの登場です(管弦楽:東京交響楽団)「交響曲第四番」という比較的地味な曲をどう料理するか注目していましたが、美しい和音と、整った音楽展開で、十分効果的に演奏してくれました。気が付いたのは大谷さんは指揮棒なし。この曲だけかと思えば、最後まで全部指揮棒なしです。ポリシーなのでしょうか。
この時点で18:30位。既に一回のコンサートを遙かに超える時間交響曲を聴き続けています。やや疲れ気味になりますが、次の「運命」が待ちかまえています。
三枝成彰さんのトークです。ベートーヴェンがそれまでの作曲家たちといかに違ったかをとくとくとお話されます。音楽家がすべてそれまで演奏家、指揮者、作曲家という三役をこなしていたのを、ベートーヴェンは作曲のみで生きる専門職を確立したということ。そのきっかけは耳が悪くなったことに始まります。音楽家として命でもある耳が遠くなってしまったことに絶望し彼は遺書を書きました。そして、死なずに生き続けたことが、あの素晴らしい音楽を生み、また、その後の音楽界をも変えた。耳が聞こえないため指揮や演奏は無理になり、作曲に専念し、社交の場に出ることもなくなったため時間もできたこと。耳の病気は悲劇でしたが、悲劇は結果的に考えれば必ずしも悲劇ではなかったのではないか、と語ります。そして三枝さんが強調するのは、ベートーヴェンこそ音楽を単なる「娯楽」ではなく「芸術」という地位にのしあげた最大の貢献者であるということ。ベートーヴェンが現れなければ音楽という芸術さえもどうなっていたかわからない、とまで言います。また、次の演奏曲「第五《運命》」のモチーフがいかに単純であるか、しかもその単純なモチーフを用い壮大な音楽を構成していく手法の巧みさを説明してくれます。「運命」に限らず、ベートーヴェンの交響曲はすべてこうした単純なモチーフを網の目のように構成し築き上げられていると。なるほど、と私は納得しました。
「交響曲第五番」の指揮は大友さんで管弦楽は東京交響楽団。この演奏は圧巻で、日本人指揮者による演奏で感動したのは正直初めてでした。バランスのよい管楽器、ダイナミックな中にも繊細さを感じる弦楽器、カッコイイティンパニー、そして貴公子のように華麗な大友さんの指揮。有名な運命のテーマの第一楽章はきびきびとした演奏、優しい三拍子の第二楽章では豊かなヴァイオリンの音色、第三楽章のなんとも不気味な様相を木管楽器が見事に演出し、第四楽章でトロンボーンが加わった金管楽器の雄大なこと。三十分があっという間に終わります。当然「ブラボー」の連続です。これでコンサートのフィナーレでも全くおかしくない充実感。ですが今日はこの後に素晴らしい作品がまだまだ続くのです。
前半の最後は「交響曲第六番《田園》」、指揮は岩城さん(管弦楽:東京シティフィル)。岩城さんの緻密で優しい指揮がぴったりの曲です(それにしても今回のプログラムにおける指揮者の分担は絶妙のバランスですね!)。第一楽章有名なメロディに眠りたくなる良い心地です。何度も繰り返される弦楽器のテーマとサブテーマがトリの田園の風のように頭をよぎっていい気持ちなのです。第二楽章も静かな清流の光景のよう。弦楽器の美しいこと!第三楽章は私が最も好きな楽章ということもあり、一音も聞き逃さないつもりでじっと耳をすましました。ファゴットを抱えながら居眠りするオーストリア片田舎のおとっつあん団員の光景が目に浮かんできます。ユーモラスな箇所を実際演奏者たちが音を出すのを見て、ニヤニヤしていました(他人にあの表情を見られたら不気味に感じるでしょう)。嵐の第四楽章、そして嵐が去り晴れ渡る田園の第五楽章まで、あっという間に心地よい時間は過ぎていきました。「終わるな、終わらないでくれー」と願っても無駄です(当たり前だ!)。「ブラボー」こそ出なかったものの、聴衆は皆この美しい音楽の余韻に存分浸ったことでしょう。
時は20:30。ここで55分間の休憩。食事タイムというわけですね。しかしこの休憩時間は長いようで結構短く、皆食事場所を探すのに苦労したことでしょう。私たちは、上野駅構内にあるドトールでコーヒーとホットドッグという簡単なもので済ませ、あとコンビニおにぎりで補充です。寒い中文化会館の入り口でおにぎりをほおばる四人家族を目撃した方がいるかも。あれがmusiker一家です、はい(笑)。
★後半 交響曲第七番〜第九番
「交響曲第八番」は金さんと東京シティフィル。2番同様こちらも地味目な作品なところを、金さんはやはり独特のメリハリでスリリングな曲作りです。楽しくて楽しくて、私はずっとまたもやニヤニヤし続けていました(←気味が悪い!)。流れるような三拍子の爽快な第一楽章。アヒルの行列のようにユーモラスな第二楽章、チェロとコントラバスが大活躍です。優雅なメヌエットの第三楽章、こんな音楽で宮廷では踊っていたんでしょうか。そしてスリリングな第四楽章。最初から最後まで優しさあふれたこの音楽は、耳に優しい音楽なのですが、音楽としてはベートーヴェンがかなり細部まで構成をしっかりと組み立てたといわれている隠れた名作。受験生の長男も「この曲は音楽的に面白い」などと生意気なことを言っていましたが、確かにその通りで私もベートーヴェン交響曲の中で最も気に入っています。
「第九」の前に、ピアニスト横山幸雄さんと三枝さんによるトーク。横山さんは若手のピアニストですが、以前ベートーヴェンの全ピアノ・ソナタを一年間シリーズ演奏会を行ったといいます。その経験はまさに格闘で、ベートーヴェンという偉大な音楽家を知る上で最高の経験だったと語ります。印象的だったのが三枝さんが執拗に何度も「好きなピアノソナタは何番?」と尋ねるのに対し決して何番が一番好きと答えないことでした。好きとか嫌いとかのレベルではないという印象なんでしょうね、きっと。それほど大変な経験であり充実感と脱力感が大きかったのではないかと私は想像しています。
晋友会合唱団と東響コーラスが入場し、東京シティフィルと東京交響楽団ふたつのオーケストラ、全部で350人以上の人がステージに上るといよいよ今夜のクライマックスの始まりです。指揮は岩城宏之さん。長いこと年末の第九は振らなかったらしいので、本当に久しぶりでしょう。「ビジネス化した第九は振らない」という信念を折ったのは、この日の企画が「あまりにばかばかしい企画だから引き受けた」とまでおっしゃる通り、さすが頑固者の岩城さんならではです。こういう方大好きですね、私は。
予断を許さぬ第一楽章。嵐の静けさの後怒濤のような音楽の渦が巻き荒れます。かなり曲の細部まで知っているはずなのに、いつも聞き慣れているはずなのに、心沸き上がるんです。偉大という言葉はあまり使いたくないけれど、ベートーヴェンが凄いことは、この第九の第一楽章だけを聞いても十分感じられます。合同オーケストラも合同なんてことは忘れさせる絶妙のバランス。もう、最初から圧巻!猛々しいティンパニー先導で始まる第二楽章のユーモラスな曲想を引き立てる木管楽器たち。軽快な音色が気持ちいいです。中間部のソロのリレー、そしてサポートするファゴットの小刻みなフレーズのおかしさ。またもやニヤニヤしながら聞き入りました。第三楽章は居眠りタイムに格好の曲なのですが、もちろん私は眠るなんてもったいなくて目をばっちり開けて聞きました。柔らかで優しい弦楽器の演奏、本当に美しい。ベートーヴェンはこんな単純なメロディをなぜこんなにも情熱的できらびやかな音楽に仕上げられるのだろう、なんてことを考えていたら、あっという間にホルンのあのソロ。こちらもお見事!といっているうちに第三楽章は終わり、即座に第四楽章へ突入。管弦楽が一体となり落雷のような激しい音楽の後、第一楽章、第二楽章、第三楽章のテーマが次々再現されます。間にそれらを否定するような四楽章のテーマ。そして「歓喜の歌」がチェロとコントラバスで奏でられます。このメロディが流れるとそれこそワンパターンですが心の底に熱いものがこみあげてくるのです。これ、不思議なことですね。そしてついにバリトンのソロが始まり、いよいよ合唱です。久しぶりに聴き応えのある合唱で最後まで安心して聞けました。男声の声も張りがあり、何よりドイツ語の発音がしっかりしているのはさすが晋友会。合唱指揮関屋晋先生は音楽だけでなく、外国語の発音についても厳しいですから当然といえば当然。昔のきびしい練習を思い出しました。トロンボーン先導のSeit Umschlungenの部分はまさに管弦楽と合唱が一体になった荘厳な音楽。そして後半の大合唱は流星群のように会場いっぱいにこだまします。「もうすぐ、最後のクライマックス」だと言い聞かせる心の中で、第一交響曲から聞き続けたこの長い時間の終わりが来ることが、無性に残念に感じられます。ソリストの重唱、そして合唱。Goetterfunken、による終結、そして管弦楽の後奏!!
割れんばかりの拍手と歓声、「ブラボー」の渦。3人の指揮者も登場し、合唱指揮の関屋先生もステージに。何度カーテンコールがあったか回数さえ忘れるほどの盛り上がり。大晦日から元旦まで続いたこの大コンサートはこの大喝采で幕を閉じたのです。
時は0:40、休憩時間を入れ合計9時間10分もの間、ほとんどのお客さんが熱心に聞き続けたのです。いくらベートーヴェン好きとはいえこの忍耐力。人間ってすごいですね。そして、音楽の力の偉大さ。
◆プログラム◆
★ベートーヴェン交響曲全集はこちら
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