updated on 10 JAN 2006

これは僕のライフワークです

(指揮者岩城宏之氏談)

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ベートーヴェンは凄い〜全交響曲連続演奏2005レポート
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もはやこれは年の瀬恒例行事

2005年大晦日午後3時30分から行われた「ベートーヴェンは凄い〜全交響曲連続演奏会2005」。今回は第三回、すでにある特定のマニアックな人々においては恒例行事化した感のあるこの狂気のイベントに、再び行ってきました。
大晦日午後3時30分開演。元旦午前1時20分頃終演。途中休憩を含むもののトータル11時間余り、ベートーヴェンにどっぷり浸かり過ごした人々が、合計約2500人(聴衆約2000名、管弦楽約90名、合唱団約150名、指揮者ソリスト5名、その他大勢のスタッフ数を予想した数で、公式発表ではありません)。
一言で感想を述べると…。すごい演奏会でした。管弦楽のイワキオーケストラ(岩城宏之さんの意気込みに賛同し集まった一流アーチストで構成)の多くが全曲ステージに出っぱなしでした。凄い!そして何より凄いのが指揮者岩城宏之さん。御年72歳。最後まで変わらぬ指揮ぶりで私たちを感動させてくれました。
交響曲第五番終了後の三枝さんとのトークでは、「まだ演奏が半分ほど終わった段階ですが、既に来年のこの演奏会のことを思い、ワクワクしています」とまでおっしゃいました。会場大喜びの拍手でした。
「ブラボー」は全曲飛びだしましたが、最も熱かったのは第三、第五、第七、そして第九。毎回カーテンコールを三度、七番の時なんか四度、最後の第九においては数えきれず、ようやく管弦楽と合唱団がひきあげる途中で、岩城さんは一人でステージに再び出てきました。カメラに納めたかったシーンでした。
いい時間を過ごした、という気持でいっぱい。本号より二回に分け、そのレポートをお贈りします。
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★開演前の場外
大晦日の池袋は大勢の人々で賑わっていた。学生時代、合唱団の打ち上げコンパ(って死語?)でよく訪れたこの地が懐かしいのだが、30年近く経過している街は激変していた。東京で仕事をしていた頃はたびたび訪れたがそれも12年以上前。西口には見たこともないビルが並び、店、店、店。深夜映画を観た池袋文芸座へ向かう通りはどこへいったのだろう。公園だったはずの土地に巨大な建物がそびえている。それが東京芸術劇場だった。
ビル前広場では寒空の中、ギターを抱えた若者二人が野外ライブで歌っている。二十人ほどの聴衆が拍手を送っている。巨大な建物ガラス張りの入り口へ向かい大勢の人々が歩いている。たぶん我々と同じ目的の人々なのだろう。
二階、いや、三階、四階ほどの高さまでつながる長いエスカレータ。これほど高い吹き抜けを見たのは始めてだ。そして、ようやくたどり着いた会場入口。既に長蛇の列だった。
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★場内に入る
入口から続く場所は一階ロビー。我々は再びエレベータに向かう。これも長いエレベータ。そして、更に階段を昇り三階へ。会場後部に広いロビーがある。左右両側面に化粧室が設けられ、中央にはバーカウンター。申し分のないスペースである。
場内の床も椅子も木を主に作られている。これも音響に配慮してのことか。前席との段差がちょうど良く快適にステージを観ることができる。
開演間際の客入り状態は7割といったところ。全席共パラパラと空席が目立つ。曲が進むにつれて増えていくのだろう。客層は前回(我々が前に訪れた2003年末の第一回時)同様熟年世代が圧倒的に中心だが、若い層も意外に多く驚いた。中高年カップルも多く見られる。男性二人連れ、若い男性一人も結構多い。「大晦日をベートーヴェンの交響曲で過ごしましょう」、という誘いにいったん応じたものの、「第九」だけではなく、全交響曲ぶっ続けで聴く演奏会と知り、「このひととのお付き合いは止めよう」と、誘いを断った女性も相当いるだろうな、と余計なことを思ったりする(笑)。
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★始まった…
開演のチャイムが鳴る。照明が暗くなりステージ下手の木製の大きなドアが開く。オーケストラメンバーが入場。客席から早々と拍手が起きる。コンサートマスターの篠崎さんが登場し、コンマス席の前に立つと大拍手。いよいよ始まる。
客席が静まり、少しすると岩城宏之さんが登場。ゆっくりとした足取りで、第一ヴァイオリンの隙間の道を通り指揮台へ向かう間、大拍手を浴びる。指揮台に立つと大喝采となった。
第一曲目はもちろん、交響曲第一番第一楽章。そんなことはわかっているのだが、はじめの和音が聞こえてくるのを、胸をドキドキさせ、初めての音楽を待つような気持だったのは私だけではあるまい。
柔らかな木管楽器の音色。このハ長調交響曲なのに全く別の調のしかも属和音で始める斬新さ。巧みに転調を重ねてアレグロでハ長調へ突入。この冒頭の部分の管楽器と弦楽器のバランスがたまらない魅力。イワキオーケストラは見事に私たちを酔わせてくれた。
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★岩城宏之オーケストラ
今回の管弦楽はふだん共に活動していない演奏家たちの集合体。大変失礼だが、「音楽的にまとまるんだろうか?」と心配したのを告白しよう。軽いプログラムではなく、ベートーヴェンだ。それも全交響曲ということで、私でなくとも心配した方がおられたのでは?
一方、岩城さんの名の下に集まる音楽家なら、きっと一流アーチストばかりだろう。ふだん共に活動していなくとも、数回合わせればレギュラーオケなみにまとまるんだろう、それがプロっていうものだ、という期待もあった。
不安と期待、どっちつかずの思いを、イワキオーケストラは交響曲第一番の演奏で払拭してくれた。疑心暗鬼だった自分が馬鹿馬鹿しく思えるほど、素晴らしく、今後レギュラー活動をしてもりっぱに通用するオーケストラだった。
団員プロフィールを見ると、NHK交響楽団団員、準団員、契約団員などN響所属の演奏家が半数を占め、都内や地方オーケストラの団員(コンサートマスター級も多い)、フリーで活躍中の演奏家など、岩城宏之さんの心意気に惚れ集まったメンバーであることが一目瞭然だ。
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★いきなりブラボー、ガッツポーズ
第一番は地味な交響曲である。もっとも、「ベートーヴェンにしては」という但し書きがつく。けれど、オーソドックスなこの曲が見事にスリリングに、そしてまた美しくまとめられ聴衆を満足させてくれた。第四楽章が終わるやいなや、大喝采。いきなり「ブラボー」が飛び出した。まだ一番なので、控えめなブラボーではあったが、この狂気のマラソン演奏会オープニングにふさわしい名演奏で、私たちもみな心の中で「ブラボー」を叫んでいた。
岩城さんは、聴衆に向け両手を挙げ拳をにぎりガッツポーズ。「来てくれて本当にありがとう!今日もやりますよ!」という熱い想いを体で示してくれた気がした。二度のカーテンコールを経て、聴衆は静かになる。
続く第二番。ベートーヴェンがハイリゲンシュタットの遺書を書く直前の夏に書き上げられた初期の傑作交響曲である。後に巨大な交響曲が出たためめっきり影が薄くなったものの、輝かしい魅力と、冒険心いっぱいの曲だ。
「ジョーク」を交響曲に加味させた点が面白い(専門家は「メヌエットの代わりにスケルツォを使った」と説明しているけど、musiker的解釈ではジョークとなるのです)。この夜の演奏は特に第四楽章が秀逸だった。この楽章特有のトチ狂いぶりを見事に表現し、私は客席で血が騒ぐのを抑えられなかった。
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★何?焼酎の試飲?
二番が終わると休憩。場内アナウンスは「ロビーにて、焼酎の試飲をおこなっています」と告げている。
焼酎?ワインやビールならともかく、焼酎とは…。と思いきや、スポンサーに焼酎を販売する酒造会社の名が連ねられていた(その商品名は「田苑」。交響曲第六番「田園」との語呂合わせを、私が気が付いたのは、3日のことだった)
どれ、試してみようか、と、ふだんの私なら躊躇なく試飲するところだが、「演奏中に焼酎の匂いをプンプンさせるのもいかがなものか…」という思いと、飲んで演奏中に眠ってしまう危惧もあり、止めておいた。
ロビーで早くも持参の弁当を食べている方々もおられる。準備周到。常連客はこうでなくてはいけませんね。
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★三番と四番に対する怒濤のような拍手
当初7割程度だった場内も、席が埋まり、空席は少なくなっていた。
第三番。雄大な第一楽章。風格たっぷりの弦楽器の音色を堪能する。第二楽章では弦のフーガが心を揺さぶる。そして、第三楽章中間部、ホルンの三重奏に度肝を抜かれた。聴衆はみな目をぱちくりさせたのではないか。それほど見事な演奏だった。
英雄の波瀾万丈の末の栄光を表す第一楽章。英雄の死と悲劇を歌う第二楽章。まさにこの交響曲の通称に相応しいふたつの楽章に比べ、全く異質な第三楽章、第四楽章はやや拍子抜け感があるかもしれない。この後半ふたつの楽章は愚作とまで語る人もいる(私は第四楽章が特に好きだが…)。
ベートーヴェンは、この曲で単にひとりの英雄を音楽に表そうとしたわけではない。英雄の登場と死。そしてその後実現した人間の自由、自由を得た世界の喜びを表現しようとしたのだ。すると、あのウキウキ感、少し不安な気持の色合いも感じられる第三楽章、祝宴のように華やかな第四楽章の存在が愛おしくなっていくではないか?………また、能書きが過ぎましたね。
ブラボーの嵐。IT企業を率いるH氏の言葉を借りると「想定内」とはいえ、凄まじさには驚かされた。無理もない、聴衆の何十パーセントはこの曲の大ファンなのだから。もちろんファンでなくとも、第三番の素晴らしさを充分感じさせてくれる名演奏だった。何度もガッツポーズを見せる岩城さんに、我々は頼もしさと感謝の気持ち両方がこみ上げてきた。
再び休憩。「第三」は一時間弱にも及ぶ「第九」に次ぐ長い交響曲だからなぁ。
第四番。クライバー指揮の銘盤が頭にこびりついているので、それを忘れて聴く努力をした人、私だけではあるまい(笑)。が、聴いていると、この交響曲がいかに特別な存在であるかがわかるのである。たぶん、単品で聴くと別の印象になるだろう。作曲上のテクニックやら、思想のうんたらかんたらなんか超越した、暖かいものを感じる。エレガントで気負いもなく、ただ一途に求めたもの。それは何だろう?それは愛。たぶん愛。きっと愛(笑)。か否かは聴き手の想像に任せましょう。
私もクライバー盤を愛する一人だ。けど、この夜の「四番」は、よかった。どこが?といわれても説明できないのだが、なんというかふんわりと、しかし、第一から第三までの交響曲とは違う気品を感じさせてくれた演奏だった。聴き終えて、豊かな気持にさせてくれた、という表現でもまだ足りないかも。
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★大休憩、そして後半への大いなる期待
第四番終了後、いわゆる「大休憩」に入った。一時間の休憩である。大勢の人々が会場外へと出ていく。民族の大移動とはこのこと。エスカレータは混雑し、階段も人人人。二千人の観客たちはひとときの食事タイムを求め、池袋西口の繁華街へと向かう。東京芸術劇場の巨大なエスカレータ下にあるおにぎり屋でおにぎりを頬張る人々(これが美味いのだ!少し高いけど)、劇場すぐそばのマックに向かう人々。それぞれがそれぞれの休憩時間をエンジョイしにいった。その時の会話はきっとそれまで演奏された交響曲や、演奏ぶりについての話題で盛り上がったのだろう。
皆が、後半の演奏を、胸をときめかせて待っている。私も、久々のビッグマックを頬張りながら期待に胸をおどらせていた。

終わらないブラボー


★大休憩
久々にマックのハンバーガーを味わい会場に戻ったのは午後7時15分ほどだった。会場スタッフさんたちは40分まで戻ってくるようアナウンスしていたから充分な時間であった。終演が深夜。帰り際何か食べなければいけないということで、東京芸術劇場1Fのおにぎり屋さんでにぎりめし4個を買う。一個160円する高級おにぎりだ。決して安くはないが、バラエティに富んだ具が面白い。
席に戻ると、まだ半分ほどの聴衆たちが戻っていない。休憩時間がしばらく残ので、開場前入り口でもらったチラシの束を見る。コンサートサービスというチラシ配布専門会社が専用のビニール袋に大量のチラシをセットし配っていた。昔、モダンダンス公演制作に携わった際、チラシ配りをしたのを思い出す。
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★チラシの束に時の流れを感じる…
あの頃はめぼしい公演に出向き、主催者自ら公演チラシを配っていた。手渡しの宣伝。最も原始的で最も効果があった。観客動員が多く見込める人気のある公演では、ホール入口で多数のチラシ配り要員が並んだ。そのうちに、ホール側が頭を抱えるようになった。東京文化会館等は専門業者が交渉し独占契約を結んだ。それがコンサートサービスだった。
マネジメント会社のサポートもない小さな制作会社の手打ち公演ではダンサーなど出演者自らがチラシ配りをした。皆、ボランティアだった。そのボランティア作業を代行するサービス。画期的な発想に目からウロコが落ちた。
あれから25年の月日が流れた。東京は大ホールも増え、演奏会や公演回数もめっぽう増えた。地味なチラシ配りという仕事は、時代の風に乗り、りっぱなビジネスとなった。一センチほどの厚みのあるチラシの束を見てそう感じた。(チラシ配布料金を知っている私は、あの一束を配る料金がいくらになるか、つい計算してしまう…)
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★名演第5番
後半の第1曲は交響曲第5番である。言わずと知れた名曲。この会場に足を運んだ人々は、これまでの人生で何度も聴いた曲であることは間違いない。全く非の打ち所のない名演だった。厚みのある弦楽器の美しい音色、木管金管の時には柔らかで時には猛々しい音に、圧倒された。第2楽章が特にきらめいていて、うっとりさせられた。ホルン軍団がまた大活躍。第3楽章で、他の金管楽器の音をそんなに消していいの?とハラハラさせられるほど強烈な音だった(3Fだから特に金管楽器の音が響いたのだろう)。ささやきのような弦楽器のさまよい、そしてティンパニーの足音に伴い、小さくクレッシェンドしていく終盤。胸をときめかせて次の輝かしいブリリアントな(突然英語表現が出てくるのも変だが、どうしてもここではbrilliantと言いたい)音を待ったのは私だけではあるまい。圧巻の音のかたまりに気分は高揚し続けた。
当然だが、大拍手と大ブラボー。岩城さんはまたもやガッツポーズである。この日何度目だろうか。30分ほどの演奏なので、休憩抜きで進むと思いきや、また休憩である。皆で神経を集中させたのである、まあ、ひとまず休もう。
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★10割打者、しかも全部ホームラン
続いて岩城さんのトークだ。
オーケストラがはけたステージに岩城さん、三枝さんお2人で登場した。
「本当は岩城さんお1人の予定でしたが、お前も一緒に来いと言われまして…」
「まったく、これだけ指揮をしているのに、更に喋らせようってんだから、なんて人づかいの荒いプロデューサだろう…」
場内から笑い声が聞こえる。
「今回は大休憩が4番の後にしました。去年は5番の後でしたが…」
「去年は、5番で勢いに乗った後休憩にしたため、失速しまして6番ではエンジンがかからず調子に乗れなかったんです」
「確か6番はあまりお好きではないということでしたね」
「去年まではね。この曲がどうもベートーヴェンらしくないって感じていまして」
「お嫌いですか」
「でもね、今年はこれも良い曲だな、と思えるようになりました」
「8番がお好きなんですよね。5番はいかがですか」
「五番はあまりに完璧すぎて少し気に入らないんです」
(場内笑い)
「8番の他にお好きなのは?」
「3番ですね」
「9番はいかがでしょう」
「第1楽章、2楽章、3楽章と否定し、クライマックスに持っていくところなんか、あまりにうまくできすぎでしゃくにさわります」
(場内大笑い)
「でも、第3楽章は好きです」
岩城さんは話を続ける。
「いずれにしてもベートーヴェンは交響曲にかけては、野球のバッターに例えると10割打者ですね。それも全部ホームラン」
「確かにそうですね」
「フェンスギリギリに入った危ないホームランもありますけど」
(爆笑)
「文句なしのホームランというと?」
「3番、5番、6番もそう…、7番などは場外ホームランかな」
「9番も場外ですか」
「9番は、場外どころかどこかもっと遠いところまで飛んでいった感があります」
(会場大喜びで大拍手)
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★来年のことを考えるとワクワク
他の作曲家の交響曲の打率は?という話もあった。そのお話はベートーヴェン以外のファンにとって、心地よいコメントではないので、割愛。まあ、あの日はベートーヴェンのイベントなのでその点を考慮したサービスでもあった…、と私は解釈している。
トーク最後に、岩城さんはこう語った。「5番を終え、ようやく半分を超えたところで、こういうことを言うのもなんですが…。実は来年のこの演奏会の事を考え、ワクワクしているんです」間髪入れず三枝さん…、「来年大晦日は東京文化会館を予約してあります。来年もよろしくお願いします」場内から大拍手が起きたのは言うまでもない。
このイベントはもはやベートーヴェンファンたちにとって大晦日の恒例化行事となったのである。
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★美しい6番
「第6番」。我々が聴いた第1回目のコンサートは3人の指揮者が3曲づつ担当した。あの時、岩城さんが6番を振った。最も好印象で忘れられなかったが、まさかご自身この曲があまり好きではないことを知り驚かされた。けど、そんなことは全く感じさせないほど今日も名演奏。やさしげで気品に満ちた第1楽。川のせせらぎが目に浮かぶ第2楽章。第3楽章がおかしくて本当に笑いをこらえるのに私は懸命だった。嵐の第4楽章。そしてホルンの調べが暖かく、三拍子のリズムに思わず体が揺れる第5楽章。フルートの名演。ファゴット、クラリネット、オーボエ、など木管楽器の活躍に思わずうなずきながら聴かせて頂いた。
大拍手。喝采。もはや毎回がどんちゃん騒ぎなので、改めて触れる必要なんかないかもしれない。曲が終わるたびに、最低3度カーテンコールで岩城さんがステージに登場する。そのつどソリストを讃え、オーケストラを讃え、会場全体に向かい丁寧で、ある時は最敬礼にも似た元気なお辞儀をなさる。よほど嬉しいのだろう。
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★場外ホームラン。狂乱の7番
さて、場外大ホームランの「第7番」である。じわりじわり進む第1楽章前半。岩城オーケストラの音色は重厚で揺るぎがない。ピアニッシモが特に素晴らしいのが特徴である。オーボエのソロが輝く。「ターンタター、ターンタター、ターンタター」というリズムの軽やかさ。第2楽章冒頭、ほとんど聞こえない弦のささやきが圧巻だった。クライマックスへ向かう長いクレッシェンドが絶妙。第3楽章のはしゃぎぶり。ホルンの音色がまた愛おしい。そして怒濤の第4楽章。せわしなく終始踊りまくる弦の響き、管楽器とティンパニーの雄叫び。岩城さんのコメント「巨大な交響曲」の通り、本当にすごい作品である。聴衆をエキサイトさせるという点では9つの交響曲の中でもピカ一ではないか?
blogでこの作品の第4楽章メインメロディついて触れた。ベートーヴェンが交響曲7番を書く数年前、アイルランド民謡の編曲集が出版されている。その中の第8曲目の歌の間奏に、第4楽章メインメロディと極似の旋律が現れるのである。単なる偶然か、それとも?
民謡をもとにベートーヴェンが編曲した作品である。だから、メロディの元がアイルランド民謡であったのか、はたまたベートーヴェン自身が考えた音楽だったのかは定かでないが。
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興味のある方は以下のサイトで試聴してみてください。
WoO.54-8save me from the grave and wise
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/B000001GZK/249-2767524-7485157
ソロ、合唱の後、ピアノによる問題(?)の旋律が登場します。

今回は、4度のカーテンコールである。ひときわ大きな歓声と拍手。すごい、ホントに凄い!
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★スマートに第8番
既に時は23時近い。演奏する方はもちろん大変だが、我々聴く側も体力をそうとう消耗している。けれど、頭は冴え渡っている。あと2曲。変な話だけれど、私はこのまま時が止まればいい、と思った。全国からやって来たであろう二千人のベートーヴェンファン。そして我が家族3人。皆で共有できた貴重な時間が終わるのがもったいなく感じられた。寝ても醒めてもあと2曲なのだ。
第8番。岩城さんがおっしゃる通りベートーヴェンが作曲のテクニック、構成力など熟練の境地であった時に生まれた傑作だ。彼はことごとく交響曲の常識を覆してきたわけだが、この曲では古典的な構成に戻った、とされている。第3楽章でメヌエットを用いたのがそれだ。まあ、聴く分にはどうでも良いウンチクの類かもしれない。爽やかなこの音楽を、ただ楽しめばよい。
第3番同様、第1楽章を3拍子にしたせいもあり、軽やかで気持のよい雰囲気だ。怒濤の7番の後だけに軽快さが一層ひきたつ。第2楽章には有名な「カノン〜メルツェルに(通称「タタタタ・カノン」WoO.162)のメロディが用いられている。メトロノームを意識して書いたといわれていて、コミカルで本当に面白い(ちなみに、「タタタ・カノン」という小曲はベートーヴェンではなく、元秘書シンドラーがベートーヴェン死後、自らでっち上げた作品だというのが真相のようだ。研究者たちは長い間この作が第8番第2楽章の原形であると興奮していたが、お気の毒としか言いようがない。※実は私も興奮した一人だった。もちろん、8番の第2楽章こそがベートーヴェンのオリジナル)。第3楽章のメヌエット。ベートーヴェンは久々に踊れそうな音楽を交響曲用に作った。本来は踊り好きだったと見られるベートーヴェン。けど、実際は踊れないのでひがんでいたのかもしれない(笑)。ホルンがまたもや大活躍である。テンポによって神経質にも聞こえる第4楽章。興奮させる要素が満載のこの楽章。でも、曲が全体的に軽めなので、そういう印象はない。フィニッシュまで長くしつこい終わり方は全9曲の交響曲中一番かもしれない(笑)。またもやエキサイティングな拍手喝采。
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★金子健志氏と三枝氏のトーク
ベートーヴェンの時代の演奏と、現代私たちが聴く演奏はかなり異なるらしい。第一に、当時の楽器はまだ未開発。金管楽器に音階を操作するバルブはなく、特定の音しか出せなかった。簡単にいうと、ドミソド位しか表現できず、間の音は唇で調整するか、ホルン等の場合は、ラッパの穴を手で塞ぎ出していた。穴を塞ぐため濁った金属的な音になる。金管特有の輝かしい音色は、特定の音程に限られた(バルブなしのラッパが出せる自然音のことを言っています。話をわかりやすくするためドミソドと書いていますが、実際はドミソドだけでなく他の音も出せますが、微妙な音程になり、また楽器によって特性は様々です)。
作曲家たちは楽器の特性をふまえ曲を書いた。ようするに、出せる音だけで構成された旋律にするしかなかった。現代の楽器を操る奏者たちからすると、奇妙な旋律であった。けれど、楽器が発達し事情は変わった。ベートーヴェンが、もし発達した楽器を使えたなら、たぶんこういう旋律にしたのではないか?という予想のもとアレンジされたスコアが後に使われるようになる。現代私たちが聴く演奏の多くがそれなのである。金子氏は、当時の演奏と、現代の演奏の違いを、言葉だけでなく、実在の録音例を聞かせ説明した。
また、楽器の違いだけでなく、テンポの問題。ベートーヴェンはメトロノームが発明された後、自分の作品を正しいテンポで表現するべく再検討したらしい。が、残念なことに「第9」だけはその再検討が不十分だった。理由は彼自身の健康の悪化だった。ベッドに横たわるベートーヴェンが甥のカールと共に行検討作業を行った。筆談帳を介し進める作業がいかに大変か想像できるだろう。病のためクリアでないベートーヴェンの言葉を書き留めるカール。音楽に疎い彼には神経を使う仕事だった。また、威圧的なベートーヴェンの言葉を萎縮しながら聞き書き留めた。音楽家なら「そんなテンポはありえない」と思える指示でも、そのまんまになってしまった、と充分想像できる。音程も同じこと。結果、疑惑の部分が何カ所も残った。カールの記述の誤りも荷担し、楽譜には謎が多いらしい。
第9の第4楽章、テノールソロ先導のトルコ風行進曲のテンポが今の二倍早く、あるいは二倍遅く演奏されたら、私たちその違和感におったまげるに違いない(似た演奏がガーディナー指揮のベートーヴェン全集で聴ける)。
これらの話は複雑であり、専門的な話にもなるので、資料細部を分析し改めて書くつもりだ。
トークはまだ続きそうだったが…、「まだ時間はある?え、ああ、ないのね…。では今日はこのあたりで終えます。お話しする話題はまだあるんですが、たとえば、歓喜の歌のメロディのリズムが、なぜあんなに単純なのか?なんてお話とか…、それは来年のお楽しみということで。」とステージ上で残念そうに語る三枝さん。時間切れとはいえ、もっと金子さんと三枝さんの話を聞きたかった。
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★そして、第九…
晋友会が入場だ。150人の合唱団がステージに上る時間は意外に長い。およそ5分位かけて合唱団全員が入った後、オーケストラが入場。そして、ソリストの登場。いよいよクライマックスである。
初演時、「65分間の苦痛」と評されたというこの曲。二百年近く経過し、これほど熱狂的に、しかも極東のこの国で毎年演奏されると、誰が想像しただろう。
第1楽章。霧のような弦楽器のトレモロ。思い切り不協和音。これが当時の人々の神経を逆なでした象徴だろう。力強いメロディが七変化していく音楽に、酔いしれる。第一楽章だけでもそれまでの交響曲を凌駕している、というコメントは少し大袈裟に感じても、「そうかもしれない」という感想になるのが、少し納得いかない(笑)。第2楽章は、例の歯抜けの金管楽器のフレーズ(出せる音だけ断片的に鳴らす)が出てくる箇所だ。三枝さんは、金管楽器の旋律が歯抜けでも、木管楽器が前面に出てきて、これはこれで趣がある、と語った。私もそう思う。少なくとも違和感は全く感じなかった(この日のスコアは金子さんと三枝さんの先お話で出てきたベートーヴェンが実際に書いたのと同じとされている版のスコアを使ったらしい)。岩城さんが好きな第3楽章。長い楽章である。けど、ベートーヴェンが得意とするスローな楽章の素晴らしさ。柔らかく美しい音色に心が震える。ホルンのソロが聞こえ、弦楽器は静かに遠くへとそのきらめくように音を響かせる。終わりたくない音楽がついに終わりを迎える。3楽章終わりの余韻はなく、すぐさま嵐のような第4楽章が始まる。この日既に9時間余り経過しているオーケストラ最後の力がみなぎっている。第1番から始まったベートーヴェン交響曲のまるで集大成のように聞こえてくる。第1楽章、第2楽章、第3楽章のテーマが次々現れる。第4楽章冒頭の低音楽器による不気味なテーマはそれらをうち消していく。岩城さんが「話ができすぎていて面白くない」とコメントしたのはここである。が、あのわかりやすさが人気を呼ぶ要因であるのは間違いない。決してベートーヴェンは否定したわけでもなく、輝かしくあの歌を登場させるための演出として勧善懲悪的演出をほどこしたのだ、と私は想像する。
「歓喜の歌」のメロディが聞こえる。オケのメンバーは何度もこれを弾いたはず。でも、毎回弾くときの気持はどんなだろうか?と想像しながら聴き入る。特に大晦日、いや既に新年になっている時間最初の演奏。何を考えているのだろう。再び4楽章冒頭のテーマが現れ、バリトンがいよいよ歌い出す。朗々とした歌声。合唱がそれに続く。150人余りの合唱団がおなじみのテーマを歌い始めると、体の底から熱いものがみなぎっていく。あらかじめわかっているのに、とても冷静でいられない。
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★清水敬一氏の晋友会
晋友会は昨年まで関屋晋氏による指揮で出演した。が、今回は清水敬一氏に交代となった。プログラムで晋友会のプロフィールに「故関屋晋氏を常任指揮者とした十余の合唱団が…」という記述を見て、いまさらながら氏が亡くなったことを実感させられた。
清水氏とは第2番後の休憩時に、ロビーですれ違った。出番まで相当時間があるのに、彼は最初から全演奏を聴いていたのだ。当たり前のことかもしれない。けど、清水氏も関屋氏と同様、心底音楽が好きな人なのだな、と暖かな気持になった。
実は、清水氏と私は3歳違いで、別ではあるが、同じ関屋晋指導の合唱団に所属していた。私が大学二年の時、彼は高校三年生。以前話題に触れたヤナーチェク「イェヌーファ」で共に群衆役合唱団テノールとして出演したことがある。高校時代から才能にあふれ確か学生指揮者でもあった。大学でも学生指揮者を務め、一般合唱団の練習指揮者を経て、やがてプロとして活動を始めた。事実上関屋氏のアシスタントとして活動し、関屋氏の後を継ぎ私の母校大学合唱団の常任指揮者も彼である(といっても、卒業後全く面識がないのだが…)。かつて故関屋氏が常任指揮者を務めた合唱団のほとんどを彼が引き継いでるのではないだろうか。真の弟子である清水氏が後を継ぎ活躍しているのは嬉しい。
晋友会が歌えば「第9」は安心して聴いていられる。この感覚は揺るぎない。この日の合唱も、全く危なげのない歌いぶりだった。時にはソリストさえも、凌駕する声に驚かされる。それにしても、遠くから見えるメンバーの中に、もう30年も前に私と並んで歌っていた方々がまだ現役でおられ、驚かされた。
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★終わらないブラボー
ユーベルム・シュテルネン・ムス・エル・ヴォーネン。(神はあの星空の向こうにおられるに違いない)
思い切りピアニッシモの後始まる長い合唱のフーガ。各パートは管弦楽それぞれの楽器と同じフレーズを歌うのであるが、まさにオケと合唱が一体になり、演奏が繰り広げられる。クライマックスは、ソリスト4人の重唱で始まる。ソプラノのとんでもない高音フレーズが終わり、最後怒濤のアレグロへ突入。それなりに長いはずなのに、あっという間に終わるという感じ。ここまで来ると、「ああ…、本当に終わってしまうんだ」と感無量になる。合唱が最後の音を放てば、管弦楽はゴールを急ぐ走者のように、終わりを急ぎ、エンディング。
この日の演奏会最高の拍手とブラボーの連続。大勢の聴衆がスタンディングオベーションである。ブラボーは終わらず、拍手も鳴りやまない。ソリスト、合唱指揮者清水氏、岩城宏之氏が何度もカーテンコールでステージを行き来した。カーテンコールの数なんか数えている余裕はなかった。聴衆も、演奏者たちも、まるでこの演奏会を終えるのを惜しむように。時間は午前1時20分。ようやくオケメンバーと合唱団が引きあげ始め、聴衆も帰り支度。ところが、岩城さんが最後にもう一度ステージに登場した。我々は再び大喝采。
言葉で言い表せない素晴らしい時間を過ごした…、そんな気がした。来年もまた来たい、そして、岩城さん、あの素晴らしい演奏者たちと、ベートーヴェン、そして全国のベートーヴェンファンたちにに再び会いたい。そう思いながら、会場を後にした。

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