updated on 02 JAN 2005

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第13番 作品130 変ロ長調


ベートーヴェンというと、先日「ベートーヴェン音楽夜話」で行ったアンケートであらためて知らされたことは、交響曲ファンが圧倒的に多いということ。ベートーヴェンといえば交響曲、となるわけです。逆にベートーヴェン嫌いな人は?ベートーヴェンの交響曲が嫌いな人がこれまた圧倒的に多いのではないかと想像します。好き嫌いの基準が交響曲にあるという事実こそ、まぎれもなく彼が交響曲作曲家と認知されている証拠かもしれません。あ、これはあくまで私の独断的解釈ですけれど。

しかし、ベートーヴェンには交響曲作曲家としての顔以外にふたつの顔があります。まずピアノ・ソナタ。もともと驚異のピアニストとしてウィーンの楽壇に旋風を巻き起こした彼です。ピアノ曲における想像力は抜きんでていて数々の傑作を生み出します。32曲のピアノソナタは、ピアノソナタの新約聖書とさえ呼ばれています。

★鍵付きケースに保管されている宝物は本当に難解か?

そして、弦楽四重奏曲。第1番から第16番までと、第13番から独立させた「大フーガ」、合計17曲の作品は、ハイドン、モーツァルトを継承し、いや、ベートーヴェンの独創性を加味した最高峰としてこのジャンルに君臨しています。ブラームスは交響曲と同様、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を強く意識する余り、多くの作品をボツにし、わずか三曲のみを公表するに止まりました。

作曲家たちだけではありません。評論やちょっとした軽い音楽の読み物でも、弦楽四重奏曲こそが、彼の精神の高さを表している、崇高な音楽を究めた最高峰、など美辞麗句が目白押しです。聞く側には敷居がきわめて高くなっていて、ふだんは手の届かない、いえ、手を出すべきではない遠い存在の音楽のような印象があります。いつの間にかベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、ごく限られた層のための鍵付きケースに保管されている宝物にされてしまいました。

それに、弦楽四重奏が難解な音楽という上っ面の評判ばかり先行しているのも困ったものです。難解だ、難解だと、何回も言われ続ければ、「ああ、難しいんだ」と最初から拒絶する、あるいは聞くのをあきらめるでしょう。

私もこういう風潮に惑わされ、弦楽四重奏曲は崇高で手の届かない音楽だと思っていました。手の届かないものに人間は憧れます。こういう音楽を「楽しめる」ようになることが、自分のクラシック音楽感覚の最終目標であるかの錯覚に陥り、ひたすら修業を続けるようになるのです(笑)。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聞ける(楽しめる)ベートーヴェンファンこそが、真のベートーヴェン理解者である、などと布教を始めそうです。

ちょっと待て!少し目を覚ませ。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲って、そもそも、そんなに難解なのか?

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★先入観はすべてリセットして聞きたい

一度周囲にある、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に関して上に書いたような、ショーケースに飾る、あるいは、音楽の前にひれ伏す、またはヨン様ならぬB様のように奉る傾向の文章、解説書などがあれば、どこかにほっぽりなげて下さい。燃やす必要はありませんけど、しばらく読んではいけません。そして、あなたの記憶にあるこれら音楽に関する美辞麗句はすべてリセットしてみましょう。何も知らない、予備知識のない人の方が音楽と純粋に向き合えるのです。

とりわけ後期の作品(第12番〜16番)を、、例えば、第16番などを聞けば、たちどころに親しみを覚えるでしょう。この作品については「クラシック音楽夜話」草創期に既に取りあげていて、ベートーヴェン最後の弦楽四重奏曲ということで構えて聞けば、意外に(というより随分)軽いタッチで、片意地はらず聞ける作品なのです。

第12番などは、情熱的な全楽器による強奏の和音に圧倒されるけれど、あとは明るくて快活な音楽が続き、印象的なメロディが心地よいです。海原をボートでスイスイ言っているような爽快感があります。

第14番は、第一楽章が難関であることは認めましょう。きわめて観念的で音楽としては弾くも聞くもそうとう難しい部類でしょう。和声の緻密な動きについていくにはかなり聞く経験が要求されるからです。けど、その後に待っている第二楽章の甘い旋律が楽しめるなら、後はいともたやすく全曲にその耳を委ねられそうです。

第15番は、第一楽章のヴァイオリンに泣き、第三楽章でベートーヴェン自らが譜面に記したように、心と体が癒され神への感謝したい気持になれるでしょう。他の楽章も親しみやすい音楽の連続で、楽曲の一体感を楽しめばいいのです。

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★まず第13番を聞いてみよう
そして、難しくない最たる作品が第13番です。ホント、初めて聞いた時耳を疑いました。誰が弦楽四重奏曲は難解で近寄りがたいと言ったのだ!えっ?と一人でぷんぷん怒りたくなりました。最近は聞く度に微笑み、次第に笑いはじめています。このまま放っておくと、ゲラゲラとではなく、高笑いしそうで、自重しなければなりません。

この曲は初演時、現代作品133とされている大フーガが第6楽章となっていました。けど、あまりに長いこと、いや長さはともかく、あまりに異質なので、これだけ独立させ、ベートーヴェンは別の第七楽章を1826年に書きました。このフィナーレは事実上ベートーヴェン最後の作曲です。晩年のベートーヴェンの人生はかなり悲惨で、甥のカールに翻弄され、兄弟とも不和が続き、金銭的にも惨めな状態でした。苦悩の人生を送ったベートーヴェンと呼ばれるのは、この時期のことを言い表しているのでしょう。なのに、同時期に書いた最後の作品第6楽章が、ほんとうに人をおちょくったような音楽なのです。これには、笑ってしまいます。

【第一楽章】 アダージョ・マ・ノン・トロッポ〜アレグロ
重厚な前奏部の響きから難解な短調のメロディを予想すると、意外にも長調のゆったりとしたメロィに驚かされます。低音楽器が主導する叙情的な調べ。そしてヴァイオリンから始まるエコーのような効果。小刻みな音の動きが活き活きと泳ぎ回ります。中間部のヴィオラやチェロがソロを歌う部分のハーモニーが不思議な色彩を醸しだし、これが本当に二百年近く前の音楽なのだろうかと、耳を疑うほどな新鮮さ。

【第二楽章】プレスト
わずか2分余りの短い楽章。せわしない音型が面白くたまりません。せっかちな人間が独りよがりで静かに騒いでいるような感じでしょうか。ヴァイオリンソロが秀逸で楽しいです。ハンガリーやチェコの臭いのする

【第三楽章】アンダンテ・コン・モート・マ・ノン・トロッポ
この楽章も冒頭だけ聞くと、難解な音楽が始まる予感。ところが、きわめてのどかなメロディが始まります。面白いのは伴奏を担当する楽器たちの音の動き。美しく伸びやかなヴァイオリンの調べだけに耳を奪われていてはいけません。チェロのアルペジオがいい味を出しています。

【第四楽章】アラ・ダンツァ・テデスカ(アレグロ・アッサイ)
揺れるような舞曲風な音楽の動きで、風にゆれる草のように、なめらかに耳を楽しませてくれます。途中は変奏曲風な展開となり、ヴァラエティに富んだ表情になります。この楽章も3分弱。

【第五楽章】カヴァティーナ(アダージョ・モルト・エクスプレッシーヴォ)
シンプルな動きのアダージョ。各楽器が奏でるたっぷりとした音色ひとつひとつがメロディであると同時に和音の構成音でもあります。冬将軍の到来のような厳しい音型で突然始まる中間部。けれどヴィオラのためらいがちなメロディに再びうっとりさせられるのは、寒い夜ストーブの前でうたた寝をしてしまい、夢から覚めた時の暖かさのよう。音楽は再び冒頭の静へと戻っていきます。

【第六楽章】フィナーレ(アレグロ)
途中から始まったような変な音型が妙にコミカルで、可笑しい。合間合間には、おどけた雰囲気を少し真面目に転じようとする懸命の努力が感じられる(笑)。けれど、誰が犯人かはわかりませんが、いつの間にどこかおどけた様相に戻ってしまうんです。真面目な顔をしてジョークを飛ばす役者のようで、この部分、演奏者たちはどんな表情で演奏するのでしょう。一度見てみたい。エンターテインナーに徹する演奏家たちをとことん楽しんでください。

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ベートーヴェンの弦楽四重奏曲が難解だとか、精神の究みだとか言う人に感化され、このジャンルを拒絶しているクラシックファンはまず13番を聞いてほしいです。この曲に込められているのは崇高な精神でも難解な思想でもありません。自由で豊かで暖かな心なのですから。

そして、最後にもう一度繰り返します。「おいおい、またか…」と言われようが、私は語ります。この曲を聞けば聞くほど私は笑ってしまうのです。笑いたくていつもわくわくしながら聞いているんです、本当に。

★私の聞いたCD
東芝EMI TOCE−8180−83
新 ベートーヴェン 弦楽四重奏全集〈第1巻〉
アルバン・ベルク四重奏団
Disc3
収録 弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 作品18−3
   弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 作品130

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