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交響曲第三番《英雄》 Op.55


疑問、、。この交響曲は英雄の曲だろうか?

ベートーヴェン交響曲第三番については、ナポレオンに献呈するためベートーヴェンが清心込めて書いていたことはよく知られています。ベートーヴェンは当時としてはかなり先進的な共和主義者でしたから、フランス革命以後に登場したナポレオンに相当期待していたし、敬愛していたのでしょう。しかし、ナポレオンが後に皇帝に即位したことで、失望は極まり、その報告を聞いたとたん、作曲途中の「交響曲第三番」の表紙に書いてあった「ボナパルト」という記述を乱暴に消し、「シンフォニア・エロイカ」と書き替え(紙に穴が開いていたそうです)、出版の際「偉大な英雄の想い出のために」と書き替えたのは、有名なエピソードです。

現代人がベートーヴェンの失望の度合いを完全に理解するのは難しい。でも、たとえば、民衆の支持を得て誕生したK首相が、突然、あの将軍様K氏に変貌した光景を思い浮かべましょう(少し極端すぎるか?)。それほどインパクトがあり、失望度合いは相当大きいわけですね。音楽家ベートーヴェンですが、常に人間の自由を思い、考え、苦悩してきました。彼の思いの結集が「交響曲第九番」であるとすれば、ベートーヴェンは音楽という枠を超えて常に社会を見てきた人だということがわかります。

自由と平和を願う音楽の巨匠。その心意気を明白に感じられるのが「交響曲第三番」だったのです。

でも、、、。これは本当に英雄をうたった曲なんだろうか?
改めて聞くと不思議な感覚に陥るのです。正直な感想を述べますと、作品のタイトル「英雄」をイメージできるのは第一楽章のみ。百歩譲って第二楽章までだと私は思います。

第一楽章は確かに英雄を彷彿させる堂々とした音楽です。この曲を聞いて誰も勇敢な気持ちになります(3拍子なので、軽やかで、流れるような雰囲気があるためでしょうか、猛々しい英雄ではなく、上品さが感じられますね)。折々にちりばめられる不協和音のアクセントがまた効いています。スケールの大きな楽章です。

第二楽章は「葬送行進曲」と命名されています。あのドラマチックな曲想は確かにそのような雰囲気があります。偉人の葬儀にこの楽章を流すとかなり感動的でしょう。しかし、私はこの楽章は葬送行進曲というよりもさらに壮大な音楽だと思います。うまく説明はできませんが、おおげさにいえば人間の苦悩すべてを代弁してくれるような。主題のテーマの重苦しさと対照的に、途中から同じメロディが長調に転じて木管楽器による美しい調べになるのが感動的です。また、第四楽章のテーマが少し見え隠れ(聞き隠れ?)してきます。金管楽器によるクライマックス、そして圧巻は後半のフーガでしょう。このゆっくりとしたテンポによる音の絡み合いには、もう「まいった!」という感じです。涙をさえも流させる威力。

うって変わり快活な第三楽章。花畑でピクニックでもしている家族。野原には蝶々が飛んでいる光景が目に浮かびます。この交響曲のどこが英雄の音楽なのだろうと思ってしまうほどミスマッチな優しさに満ち溢れた楽章ですね。

そして、第四楽章。これは完全に英雄なんてイメージはふっとんでしまいますよ。

「交響曲第三番」を書くきっかけは確かにナポレオンへの献呈を勧められたことでした。でも結果的にはナポレオンという英雄のための音楽ではなく、難聴に苦しみ遺書まで書いたベートーヴェンが「音楽に身を捧げる」と決意したその心情を表現した、そして人間の自由と平和を歌う作品だと思うのです。その心情は第四楽章に明確にあらわれています。

交響曲第三番第四楽章のテーマ使いまわし履歴とその意味

第四楽章にはなんと使いまわし四度目のテーマを持ってきました。驚きですよね。

  同じテーマを使っている作品
   12のコントルダンス(第7曲目) WoO.14
   12 Contretaenze fuer Orchester WoO 14
   ※他の曲にも部分的に同テーマが見え隠れします

   《エロイカ》の主題による変奏曲とフーガ 変ホ長調 作品35
   Eroica Variation in Es-dur Op.35

   バレエ音楽《プロメテウスの創造物》作品43 フィナーレ(第16曲)
   Ballet "Die Geschoefe des Prometheus Op.43

   交響曲第三番 変ホ長調 作品55 《英雄》 第四楽章
   Symphonie Nr.3 Es-dur Op.55

同じテーマを使い回すんですから、ベートーヴェンが珍しく手抜きをしたのか?と思えなくもありません。でも、私はむしろ、使い回したテーマそのものにとても興味を覚え、よせばいいのに、あまりメジャーでない二曲も探してきて聞きました。確かに英雄の第四楽章のイメージそのものです。元々ダンスミュージックですから、音楽の根底に人間が踊るときの躍動感があるのは当然といえば当然。

以上をふまえ、第四楽章を聞いてみて下さい。ナポレオンなどそっちのけで、ベートーヴェン自身が民衆と共に勝利宣言しているようです。しかも踊りながらですよ。ポール・サイモンの「夢のマルディグラ(ニューオリンズの祭りをうたった歌)」みたいに、人々が踊り楽しんでいるんです。ユーモラスで、暖かで、こんなに豊かな音楽は他にありません。戦争が終わり、人々が自由に楽しく笑い、歌い踊っている光景を、平和を、この第四楽章に託しているような気がします。

もっとも使い回しの完成形である交響曲第三番第四楽章で、ベートーヴェンはダンス音楽に止まらせることなく、緻密にアレンジしなおし、フィナーレを飾るにふさわしいスケールの大きな楽章にしました。ピアノで繰り広げたあの変奏が、オーケストラでは実に面白く変奏しています。使う楽器も多彩ですし、同じテーマでこれだけ色彩豊かな音楽になるのは驚きです。ダンスミュージックの楽しげなメロディが大日本帝国時代の軍歌にも似たフレーズに変身して登場すると「おっ」と声を上げそうになります。終わりに近づいた頃、テーマが金管楽器で壮大に奏でられ、ティンパニーがドカンドカンと盛り上げてくるあたりは、本当に感動的です。

ベートーヴェン自ら出版時に添えた言葉「偉大な英雄の想い出のために」における英雄とはナポレオンではなく、ベートーヴェン自身のことではないでしょうか。もちろん彼自身はそんなことを意識したはずはありません。当初はナポレオンを、失望後はナポレオンではない彼自身の心の中にある空想上の英雄を高らかにうたいました。でも私は「英雄=ベートーヴェン」と思っています。ベートーヴェンこそ「音楽の英雄」だったのですから。

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正直言いますと、私は「英雄」という副題が好きでなかったので、積極的にこの曲を聞いてこなかったのです。「運命」と「田園」もそうです。アバド指揮ベルリンフィルの「第三」も随分前に回マイしたが第一楽章と第二楽章の途中まで聞いて終わり。あとは眠ってしまいます。おそらくこの作品に傾聴できない方の多くが第二楽章で止まるでしょう?両方とも長い楽章ですしね。

これでは損です!実は、お楽しみはそれからなんですよ。
第三楽章の楽しい曲想。ベートーヴェンらしくない(いや、これこそベートーヴェン?)快活で喜び溢れた音楽。そして第四楽章。これはユーモラスで、本当に楽しい音楽です。「英雄」という副題から離れて、もう一度この作品を特に第三楽章と第四楽章を聞いてみて下さい。

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【私の聞いているCD】
CDH 7-63033-2
ベートーヴェン Ludwig van Beethoven
交響曲第1番 Sinfonie Nr.1 C-dur, Op.21(1952録音)
交響曲第3番 Sinfonie Nr.3 Es-dur, Op.55(1952録音)
※第二楽章後半のフーガ部分の泣かせ方は憎らしいほど感動的!!
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
フルトヴェングラー:指揮

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